おこがましいかもしれないが、これは経験ある社会人でもなかなか分からないことであり、もし、若いうちに理解できれば素晴らしい・・・そんなことを書いてみたい。
一応、私の職業を例として述べるが、何でも同じである。
私は、企業のコンピューター業務システムの開発者である。世間ではシステムエンジニアと言うのだと思うが、私自身は、システムエンジニアとプログラマーの区別をしない。自分のことを言う時は、面倒なのでディベロッパー(開発者)と言っている。
私は以前、dbMAGIC(現在はMAGIC)と呼ばれるイスラエルで開発されたデータベース操作の容易な開発ツールでソフトを開発していたが、そのおかげで、短期間に腕の良い開発者になれた。これが、JavaやPHP、あるいは、BASICやCOBOLといった一般的なプログラミング言語を使っていたら、そうはいかなかったと思う。
現在は、素人の道具と言われ勝ちなマイクロソフトAccessを主に使うが、私は、ExcelやAccess、あるいは、FileMakerや桐を専門に使って開発する開発者は賢いと思う。

それはともなく・・・
開発者として、いくらか経験を積み、少し自信が出来てきた頃だった。
私は、ある貿易会社の業務システムの開発の相談を受けるために、その会社を訪問していた。
話を聞いていると、先方は、割と一般的な業務システム部分を作って欲しいというが、主業務である税関関連部分は自分達で作ると言う。大きな会社でもなく、言っては悪いが、人手も余裕があるようには見えない。私は、経験のためにも、そういった未経験の分野のシステム化に興味があったので、「そこもやらせてくれ」と申し出たが、先方は、「外の人には無理だ」と言う。自分達でなければ、とてもではないが、開発できないと断言するのである。
私は、彼らを愚かであると思った。また、現代的な開発手法を知らない、ITに関して無知で時代遅れな人達だと確信した。
しかし、どこか心の奥でひっかかるところもあった。つまり、直感が私に何かを教えていた。
結局、私は、その会社の仕事自体、受けなかった。それは後で分かったことによれば、大正解であった。もし受けていたら、私はノイローゼになって、自殺とまではいかなくても、仕事をやめていたかもしれない。

少し前、私は、ある教育関係のサービスを行う企業の業務システムを開発する会社を決めるために、何社かの開発会社と面談した。
ある大手コンピューターメーカーの、それなりの経験のあるらしい人達と面談した時だった。
私は、このクライアント(お客様)のシステムが、いかに特異で、システム化し難いかを説明し、特別な注意をしないと必ず失敗すると警告した。
ところが、開発会社のリーダーは薄ら笑いを浮かべ、「大丈夫ですよ。任せて下さい。」と、私の警告をスルーするように言う。
私は、この開発者も、以前の私同様、馬鹿なのであるが、私と違い、直感は働かないようだと分かり(守護霊様に挨拶してないのだろう)、この開発会社にやらせたら悲惨なことになるとはっきり分かった。
その後の顛末はこうである。
政治的な力で、その「高次の能力」に欠けるリーダーの開発会社が開発を請け負ってしまった。そして私は一切手を引いた。
開発会社は、私が既に知っていた通り、大変な困難に遭い、納期は2年遅れた。しかも、出来損ないのシステムが納品され、業務効率は最悪となり、そのしわ寄せは、ただただ、ユーザーの従業員に押し付けられた。最初から分かっていても、私には何もできなかったが、それも運命である。
だが、開発を請け負った会社は超大手で、そんな時も責任を逃れる契約をするノウハウだけは巧みだった。私はそれにも気付いていたし、クライアントに警告していたが、クライアントの担当者は、開発が終ることだけが自分の立場にとって重要で、従業員の業務には関心がなかったので、私の警告は無視された。
この開発会社のような、自分達の利益を守ることのみを重視した契約をするのではない、別の開発会社のチーフの開発者は、このクライアントと同業のシステムを大真面目に開発しようとし、精神に異常をきたして、まだ40歳そこそこで、優秀な開発者であったのに、仕事をやめてニートになっている。

私はかつて、あの貿易会社のシステム開発が私の手に余ることを理解できなかった。しかし、直感によってそれを感じたが、それは正しかった。
このようなことがあるのだということを理解することは大きな財産なのである。
私は、開発者としてそこそこの自信があったとはいえ、愚かであった。なぜ愚かであったかというと、やはり、自惚れていたのであり、自我が自分を何より高い位置に置いていたのだ。現在は、愚かな自我を持ちながらも、自分より高いものの存在を知っているので、それほど愚かな間違いをしない。
その高い存在からの声を少しは聞くことができるからだ。それをもっとクリアに聞けるならば賢者である。私の目指すところは、そこである。
だが、そういった気構えさえ無い者があまりに多いのだ。慢心して、自分の卑小な知恵を振りかざすばかりの者があまりに多いのだ。そして、大半は、自分がそんな状態であることに一生気付かないに違いない。
かつての人類であれば、それなりの年齢になれば、誰もが、自分の無知を悟り、素直に神の英知に頼った。
しかし、現在の人類は物質主義に凝り固まり、見えるものしか信じない。
だが、そうである限り、喜び無く、惨めな人生を送るしかないのである。
これらの話から、何かを感じていただけたら嬉しいと強く思う。









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