昨夜の記事でも書いたが、改めて考えるに、およそ本物の聖賢は、天(あるいは神)に全てまかせきってしまうことが最も安全で、そうであれば、損害を受けることも傷付けられることもなく、楽しく充実した人生を送れると、確実に述べていることが分かる。
ただ、こう言うと、必ず誤解する者がいるのだろうが、それは、怠惰になれとか、投げやりになれとか、放埓(ほうらつ。勝手気ままの意)になれということでは全くない。
だが、もっと誤解されるかもしれないことは、サミュエル・スマイルズの、「天は自ら助くる者を助く」という有名な言葉と合わせ、「怠けずに、とにかく努力して、結果は天にまかせろということだ」と心得、闇雲に奮闘することである。そんな人間は、結果が悪いと、「天に任せたはずなのに」と文句を言うのだ。
天に任せるということは、天が「怠惰であれ」と言うなら、怠惰になることでもある。悪人になれというなら、悪人になるしかない。こう言うと、また誤解をして、「怠惰はともかく、悪を肯定するのか?」と言われるかもしれないが、親鸞も言ったように、人間は、自分の意志で自由に悪いことをしたりはできないし、同じく、善いこともできないのだ。

本当に天に任せるなら、結果が良いか悪いかはともかく、楽しく、心安らかである。おかしなことに、周囲から見れば、あまりよく見えなくても、本人は満足し、王位を得たかのように感じているのである。
天に任せ切るのも能力である。ただし、それは、受験やスポーツで勝つのとは全く異なる、高次の能力である。
その能力を磨くのに、私が普段お奨めしている腕振り運動(スワイソウ。せい手)ほど良いものはない。
この簡単な運動に、宇宙の真理全てが含まれる。
腕振り運動とは、改めて言うと、自然に立ち、真っ直ぐに伸ばした両腕を、同時に前後に振るだけの簡単な運動だ。
手のひらは、内側に向け、肘を伸ばし、肩の力を抜き、後ろに振る時に少し力を入れ、前に振るときは力を抜く。
ところが、多くの人が、これを、力んで、自分勝手なペースで、鼻息荒くやってしまうのである。
天、あるいは、神とは自然の生命である。それは、我が身体の内にもある。それに従い、自然に腕を振ることをせず、自我が前面に出て、自我の好きな調子で腕を振っているのでは駄目である。
ただ、「では身体の内にある生命に全て任せます」と言って力を抜いてしまうと、腕が動くはずがない。
初めは、自分の意志で振らねばならないが、身体の内の生命のシグナル(信号)を感じ、それに合わせていくのである。
つまり、自分が従で、身体の内の生命たる天、あるいは、神が主であり、従である自分が主である天に従うのである。
それができれば、腕を振るペースは完全に一定になる。天とは、完璧に正確だからだ。それは、素粒子の振動や惑星の運行を見ても明らかである。
腕を全く一定の自然なペースで振ることができれば、無心になっているのであり、天と調和し、神と和らいで(親しくして)いるのである。
そうなれば、何百回、何千回でも続けていられるし、春の心地よさであり、青春を感じて爽やかである。
聖書のヨブ記に「神と和らぎ平和でいなさい。そうすれば幸福になれます」とある通りである。
そして、無心であれば人間に不可能はない。いかなる奇跡も、無心である時に起こるのである。

以上をよく考えれば、腕振り運動が、いかに優れたものであるかが分かると思うが、これは一説では、禅の創始者であるインドの超人的な僧である達磨大師(ボーデイ・ダルマ)が考案し、中国に伝え、現在も健康、病気回復、武術、密教の秘法として大切にされているのである。
簡単な運動であり、お年寄りでも無理がないので、1年365日、1日も欠かさず、決まった時間に行うことをお奨めする。
そして、毎日やっていれば、コツも掴めて上達し、ますます効果的になるだろう。
仙人のような力を得られるかどうかは、熱心さが決めるのである。
関英男博士(工学博士)は、『宇宙学序章 グラビトニックス』で、未来科学の立場から腕振り運動を考察しており、効果についてのデータを公開している。
また、腕振り運動が直接に扱われているのではないが、中国の老子、荘子や仙道の書が非常に参考になると思う。









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