年齢、性別などに関わらず、将来が不安だって人はとても多いようだ。
まあ、全く不安が無いって人もいないのだろうが、イエス様が、「明日を思い煩うな」って言ったのだから、心配などしないことだ。
言ったからには、イエス様に責任を取ってもらおうじゃないか?
それは冗談だと思うかもしれないが、実際にこんな話があった。

昔、あるお金持ちの中国人が日本にやって来てビジネスをやったのだが、何をやってもさっぱりで、挙句、膨大な借金を抱え込み、その上、大怪我して入院してしまった。
さすがに悲観もしたが、キリスト教徒であった彼は、神様にこんなお祈りをしたらしい。
私は、初めてそのお祈りのことを知った時は、変わったお祈りだなと思ったものだった。それは、こんなものである。
「神様、これまでのことは私の責任とします。きっと、私にいたらないところがあったのでしょう。でも、神様。これからのことはあなたが責任とって下さい」
すると、その日のうちにスカウトが現れ、彼は真直ぐ成功への道を進み、借金を清算したばかりか、大金持ちになったのだ。

この発想は、普通の人ではなかなか無いと思うが、私は、今では大正解だと思うのだ。
彼は、それまでは、自分の力を頼み、自分が世界を動かせると思い上がっていたのだ。
それが痛い目にあって、自分には何の力もないと悟り、神様にバトンタッチしたのだ。
神様は全知全能である。しくじることは決してない。上手くいくのは当たり前だ。

要は、天が放っておかない人間であれば、天は面倒を見てくれるということだ。
ペットの子犬が、そのつぶらな瞳であなたを見つめていたら、放っておけるはずがないじゃないか?
なぜ子犬がそんな目をするのかというと、子犬は、あなたの方が自分よりずっと強力だと知っているし、全面的に頼っていて、全幅の信頼を置いているからだ。
あなたも、天に対して同じようであれば良い。
実は、イエス様も、全くそのように言ったのだ。
だが、それは単に甘えるってことでもないのだ。
あなたに対する子犬のように、あなたは、天を自分より上位に置かなければならない。
だが、普通の人は、自我を天より上に置いているのだ。
それで、思い通りにならないことに不満を言い、天の定めなど知ったことではないという態度で、自分の望みを何より優先するのだ。

黒住宗忠という、江戸末期の神道家で、実は、イエス様のような力を持った神人と言って良いほどの人がいたが、彼は、30歳そこそこだったと思うが、重病で死に掛けたことがあった。
深く敬愛していた両親が相次いで亡くなったことで、孝行息子だった宗忠は、激しく嘆いたのは仕方がないとしても、いつまでも悲観して泣き暮らしていたようだ。そして、そのうち、病気になり、それがどんどん悪くなって、何年も寝たきりになってしまった。
彼の両親は病気で亡くなったとはいえ、もう老齢だった。
亡くなったのは天の定めだ。それをいつまでも嘆いていたのは、なるほど、宗忠が美しい心根の持ち主であることは分かるが、それは天を軽んじているのではないだろうか?
だが、宗忠は、ある日、ついに、自分の命を見限った。それを天命として受け入れたのだろう。
その時、天照大神の生命が自分の中に入ってくるのを感じ、彼はみるみる回復して、極めて強健に生まれ変わったのだった。そして、上に述べた通り、イエスにも匹敵する力・・・病気を治し、暴風を静め、空間移動する力をも発揮するようになったのだ。

スーフィー(イスラム教神秘主義)に、こんなことわざがあるらしい。
「神を信じろ。だが、驢馬はしっかりつないでおけ」
放埓(勝手きまま)ではいけないが、自分にできることをちゃんとやっている限り、神様は面倒を見てくれることは、あらゆる聖者が保証している。
イエス様は言ったのだ。
「神様、できれば私の運命を変えて下さい。しかし、私の思いではなく、あなたの思いがなりますように」
荘子も言ったのである。
「運命は決まっている。だが、それを無心に受け入れれば、結構楽しめるし、良い人生になるよ」
黒住宗忠も、
「まるごと神様に任せてしまえば、面白いことばかりなのだ」
と言っていた。
神様と、イエス、荘子、黒住宗忠という、いずれ劣らぬ3聖人を信じることだ。
加えて、近代インドの聖者、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジも、まさに、そう言っているのである。









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