素晴らしい演奏会で、演奏者と観衆が一体化する等と言うが、それは喩えではなく、実際のことを表している。
観客が演奏者であり、ヴァイオリン奏者がフルート奏者であり、指揮者がピアニストになってしまう。
個人としての自分が消え、自己と他人の区別がなくなるのだ。優れた音楽は、心と心を埋めてしまうからだ。
また、本当に愛する人と一緒にいれば、2人で1人の人間になってしまう。本物の霊覚者が見れば、2人の魂が融合して一体化しているのが分かるに違いない。愛とは溶け合うものだからだ。

今朝も書いたが、意識と無意識に境界がある訳ではなく、人と天にも本質的な区別はない。
そして、人と神も本当は1つのものなのである。
だが、個人的な欲望のために、人が神から離れているに過ぎない。
人が幸福になるには、神の魂と再び溶け合えば良い。
そのためにはどうすれば良いのだろう?
仲の良い飼い主とペットは似て来るというが、その通りだ。それは、必ずしも外見的な意味ではなく、雰囲気として感じられるもので、両者が発する波動の周波数が似て来るのである。それすれば、ペットは、主人が帰宅の途上にある時、まだ、その感覚器官に感じられるはずもない遠くの場所にいるに関わらず、玄関に出てきてじっと待つようにもなる(帰宅の時間が変わってもそうであるらしい)。ラジオが放送局が流す電波と同じ周波数の弱い電波を出して同調する仕組みであるように、飼い主とペットが同調しているのだ。
ここに、神と同調し、一体化するヒントがある。
飼い主とペットは、お互いが好きだから同調したのだ。
人間の男女では、本当に愛し合っていれば精密に同調するので、ほとんど1人の人間と言って良いくらい融合するのである。
福音書に書かれているが、誰かがイエスに、「最大の律法は?」と尋ねると、イエスが「神を愛すること」と答えた。
神はもとより、我々を愛している。ならば、我々が神を愛すれば、やはり1つになるのである。

では、どうすれば神を愛することができるのだろう?
荘子は、神とは言わず天と言ったが、運命は天の定めたものであるから、いかなる運命も無心に受け入れれば、天と一体化すると述べた。
どんな出来事も、起こるがままに任せて受容し、それを楽しめば、本来は自分と区別のない天と1つになるのである。
それが難しいなら、次のようなものはどうだろう?
法然は、1日6万回、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えたという。どんな時も、会話をしている時ですら、小さな声で念仏を唱えていたらしい。これもまた、仏を愛することであり、法然はまさに仏(阿弥陀如来)と一体化していた。法然は、苦難もあったが、危機的な状況ではいつも不思議なことが起こり、案外に豊かで、当時としては異例の78歳まで健康で恵まれた生涯を送った。弟子の親鸞にいたっては89歳まで生きている。
法然は、「念仏の行者は必ず仏が守る。阿弥陀如来は、多数の仏を派遣し、念仏の行者の周りを何重にも囲んで保護する。弥勒菩薩や文殊菩薩もやってきて親しい友となってくれる」と述べているが、彼は、それが嘘でないことを証したのだろう。
ラマナ・マハルシの弟子であったプンジャジは、1日4万回、クリシュナ(ヒンズー教の神)の名を唱えた。彼は熱烈にクリシュナを愛していたので、やはり、彼自身がクリシュナになったのだ。

アメリカの科学者で講演家、著作家であった、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の著者ベアード.T.スポールディングは、生身のイエスに会い、直接聞いた、イエスが「他は忘れて良い」とまで言った秘法を、自分も講演などで教えていた。
それは、法然の阿弥陀仏や、プンジャジのクリシュナ神への愛も、究極では同じなのだろうが、「神」という言葉自体を頻繁に使うことだ。
20世紀前半のことではあるが、現代の科学をも上回る装置で、その効果を科学的に検証したことも明かしてる。
無論、信じるか信じないかはそれぞれの自由であるのだが、やはり、一般の科学では認められることはないであろう、我が国の天才的な科学技術者であった楢崎皐月(ならさきさつき)の相似象学などを見ると、そのようなものがあっても不思議ではないと思うのである。
また、簡単な心理学から言ってさえ、スポールディングやプンジャジの方法は道理に適うように思う。
身体の痛いところや病気から意識を離せば治ってしまうことがよくあるし、経済的な困難や仕事のトラブル、人間関係の問題も、それを否定的に考えることをやめれば、時によっては魔法のように解決することもあると思う。
私などは、確かに大きな問題を抱えていたはずなのだが、それが何だったか分からないということすらよくあった。それほど、問題そのものがきれいさっぱり消えてしまっているのだ。しかし、誰だって、忘れているだけで、そんなことは、特に子供の頃はよく起こっているものなのである。
あなたも、特に好きな神や仏があるなら、その名を常に呼び、心が余計なことを考えるのをやめさせることだ。人間は、自由に考える時間が多いと、ろくなことは考えず、事態はますます悪くなるのだ。
問題から逃げるという意味ではない。問題は、実際はさほど大きなものではないことを知るのだ。なぜなら、神に難しいことは何もないのだからだ。
上に述べたイエスの秘法に関しては、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の第3巻でイエス自身が話している様子が詳しく書かれているが、スポールディングの易しい説明が第5巻にある。この第5巻は、単独で読んでもよく、秘法の書として、あなたの良き友となるだろう。
相似象学に関しては、下にご紹介した、楢崎皐月自身の著書である『静電三法』があり、必要な電気理論に関しても、一般向けに初歩から説明している。
また、『選択本願念仏集』は、法然の代表作であり、私も愛読している。









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