世界的なシンセサイザー奏者の冨田勲さんの本で読んだが、シンセサイザーは、自然界のあらゆる音、また、あらゆる楽器の音を作り出せるらしい。
1本数億円と言わるヴァイオリンのストラディバリウスの音だって再現できるという(ただし、演奏家の弾き方による音の違いは当然ある)。
しかし、それでも、人間の声を出させることはほとんどできない。
冨田勲さんも、シンセサイザーで、荘厳な合唱のような声や、なんとなく人間の話し声のように聴こえる音を創り出して作品に使ってはいるが、本物の人間の声にはほど遠い。
初音ミクが本物の人間のような声で歌うのは、実は驚異的なことであり、ヤマハが初音ミクに使われているボーカロイドシステムを開発するには、長い時間をかけて大きな困難を克服しなければならなかったのだろう。そして、現在のボーカロイドシステムも、まだ進化中であり、初音ミクだって、まだ完全な人間の声ではないところもある。もっとも、初音ミクの人間らしくない部分が良いと感じることもあり、ボーカロイドシステムが進歩し過ぎて、全くの人間の声を出せるようになるのが果たして良いかどうかは分からないのだが。
私は特に、ミクの「お」を伸ばした時の声が好きだ。
昨年(2012年)11月23日に、東京オペラシティ・コンサートホールで公演が行われた冨田勲さんの新作交響曲『イーハトーヴ交響曲』のアンコール曲として初音ミクが『リボンの騎士』の歌を歌ったのだが、その中の歌詞、「馬を飛ばす王女」の「王女(おうじょ)」の最初の「お」が非常に可愛らしく感じた。それが、楽器としての初音ミクの味と言えるのかもしれないし、将来にできるかもしれない、完全なボーカロイドシステムにはない人間らしさかもしれない。
コンピューターの世界では、対話している相手がコンピューターであることを、いつまで気付かれずにいられるかというチューリングテストというものがある。これは、コンピュータによる人間的な知性のシミュレーション能力を試すのであり、あくまで文字によるものである。
そして、チューリングテストで、人間との違いがないと判定される、完全なチューリングマシンが現れ、これと完全なボーカロイドシステムを組み合わせることができれば、面白いというか、恐ろしいものができることになるだろう。
そして、それは、本来は不可能だ。
しかし、現在の人類のあり様を見れば、それは割合に早く実現してしまうに違いない。
その意味は重要である。
人間の可能性は、本来は無限なのである。
しかし、物質主義に陥った人間は、その可能性を狭めていき、現在の文明国の人間は極めて限定された存在に成り果てているのである。
天地という言葉があるが、どこまでが地で、どこからが天であるかは定かではない。地上百メートルならまだ地と見なすべきであるが、50kmくらいまでの成層圏や、さらにそのずっと上の外気圏(1万kmくらいまで)、さらに宇宙空間まで行っても、まだ天とは言い難い。
つまり、天は無限の先である。しかし、天は地をも含んでいるのであり、地もある意味、天である。
古代から、聖人達は、人と天との違いは本来はないと述べてきたが、それは、このように理屈で考えても、ある程度分かるのである。
近代の心理学では、人間の意識が、表面的で自覚される意識(顕在意識)と、その奥に広がるが自覚されない無意識(潜在意識)に分けられることを発見したが、C.G.ユングが、「意識と無意識の境界が定かである訳ではない」と述べたのが印象的だ。
人間がシンセサイザーで創り出せる音にだってまだまだ大きな可能性があり、ボーカロイドも今後も無限に進化するだろう。
それなら、ましてや人間が、物質主義に陥って自らを限定してはならない。
人間こそ、神に限りなく近付く可能性のある存在なのである。
しかし、物質主義を抱えたまま、つまり、物欲、名誉欲、表面的な動物的本能である快楽にとりつかれたまま神の領域に踏み込めば、聖書にある、バベルの塔を造ろうとした愚かな人間達の二の舞である。そして、現在の医学や理論物理学でも、その愚を犯しつつあるのかもしれない。
ただ、いきなり壮大なことを考えても仕方がない。
まずは、ボーカロイドシステムでも真似のできない、我々の声を大切にすべきである。
イエスは、「人は口から入るもの(ここでは洗わない手で食べる食物を指す)で穢れない。口から出るもの(言葉)で穢れる」と教えた。
まずは、正しい言葉を使うべきである。それは、上品ぶった、見かけだけ立派な言葉ではない。しかし、現代の汚い言葉や品のない省略語を使う者に見込みはない。特に、世界でも類を見ない表意言語(文字の1つ1つに意味のある言葉)を使う日本人なら、特に言葉を大切にしなければならないのにである。
たとえ、器質的な問題で声が出せないとしても問題ではない。声に出す言葉は心の想いから出るのであるから、我々は心を整えなければならない。
そのために大切なことは、無駄な言葉を言わないことだ。そして、さらに良いのは、無駄な想念を起こさないことである。
心が静まり、穢れた想念で心が曇らない時に、心の深奥から神の声がやってくるだろう。ソクラテスはそのことに気付き、その声をダイモニア(ダイモーン)と呼んだ。人間の偉大な行いで、ダイモニアによらないものは1つとしてない。
そして、古代から、あやゆる本物の聖賢は、人の内側にある崇高なもののことを繰り返して教えてきたが、ほとんどの者が分からない。しかし、聖者は、千人に一人でも理解できる者がいるなら、それを教え続けるだろう。
ジョセフ・マーフィーは一種の方便として、俗っぽくはあるが、実質的には聖者と同じことを分かり易く教えたので、世界中に愛されたのであると思う。まずは、そこから入るのも手かもしれない。マーフィーの法則は決して欲望の法則ではないと気付けば、次の段階にも進めるだろう。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
1本数億円と言わるヴァイオリンのストラディバリウスの音だって再現できるという(ただし、演奏家の弾き方による音の違いは当然ある)。
しかし、それでも、人間の声を出させることはほとんどできない。
冨田勲さんも、シンセサイザーで、荘厳な合唱のような声や、なんとなく人間の話し声のように聴こえる音を創り出して作品に使ってはいるが、本物の人間の声にはほど遠い。
初音ミクが本物の人間のような声で歌うのは、実は驚異的なことであり、ヤマハが初音ミクに使われているボーカロイドシステムを開発するには、長い時間をかけて大きな困難を克服しなければならなかったのだろう。そして、現在のボーカロイドシステムも、まだ進化中であり、初音ミクだって、まだ完全な人間の声ではないところもある。もっとも、初音ミクの人間らしくない部分が良いと感じることもあり、ボーカロイドシステムが進歩し過ぎて、全くの人間の声を出せるようになるのが果たして良いかどうかは分からないのだが。
私は特に、ミクの「お」を伸ばした時の声が好きだ。
昨年(2012年)11月23日に、東京オペラシティ・コンサートホールで公演が行われた冨田勲さんの新作交響曲『イーハトーヴ交響曲』のアンコール曲として初音ミクが『リボンの騎士』の歌を歌ったのだが、その中の歌詞、「馬を飛ばす王女」の「王女(おうじょ)」の最初の「お」が非常に可愛らしく感じた。それが、楽器としての初音ミクの味と言えるのかもしれないし、将来にできるかもしれない、完全なボーカロイドシステムにはない人間らしさかもしれない。
コンピューターの世界では、対話している相手がコンピューターであることを、いつまで気付かれずにいられるかというチューリングテストというものがある。これは、コンピュータによる人間的な知性のシミュレーション能力を試すのであり、あくまで文字によるものである。
そして、チューリングテストで、人間との違いがないと判定される、完全なチューリングマシンが現れ、これと完全なボーカロイドシステムを組み合わせることができれば、面白いというか、恐ろしいものができることになるだろう。
そして、それは、本来は不可能だ。
しかし、現在の人類のあり様を見れば、それは割合に早く実現してしまうに違いない。
その意味は重要である。
人間の可能性は、本来は無限なのである。
しかし、物質主義に陥った人間は、その可能性を狭めていき、現在の文明国の人間は極めて限定された存在に成り果てているのである。
天地という言葉があるが、どこまでが地で、どこからが天であるかは定かではない。地上百メートルならまだ地と見なすべきであるが、50kmくらいまでの成層圏や、さらにそのずっと上の外気圏(1万kmくらいまで)、さらに宇宙空間まで行っても、まだ天とは言い難い。
つまり、天は無限の先である。しかし、天は地をも含んでいるのであり、地もある意味、天である。
古代から、聖人達は、人と天との違いは本来はないと述べてきたが、それは、このように理屈で考えても、ある程度分かるのである。
近代の心理学では、人間の意識が、表面的で自覚される意識(顕在意識)と、その奥に広がるが自覚されない無意識(潜在意識)に分けられることを発見したが、C.G.ユングが、「意識と無意識の境界が定かである訳ではない」と述べたのが印象的だ。
人間がシンセサイザーで創り出せる音にだってまだまだ大きな可能性があり、ボーカロイドも今後も無限に進化するだろう。
それなら、ましてや人間が、物質主義に陥って自らを限定してはならない。
人間こそ、神に限りなく近付く可能性のある存在なのである。
しかし、物質主義を抱えたまま、つまり、物欲、名誉欲、表面的な動物的本能である快楽にとりつかれたまま神の領域に踏み込めば、聖書にある、バベルの塔を造ろうとした愚かな人間達の二の舞である。そして、現在の医学や理論物理学でも、その愚を犯しつつあるのかもしれない。
ただ、いきなり壮大なことを考えても仕方がない。
まずは、ボーカロイドシステムでも真似のできない、我々の声を大切にすべきである。
イエスは、「人は口から入るもの(ここでは洗わない手で食べる食物を指す)で穢れない。口から出るもの(言葉)で穢れる」と教えた。
まずは、正しい言葉を使うべきである。それは、上品ぶった、見かけだけ立派な言葉ではない。しかし、現代の汚い言葉や品のない省略語を使う者に見込みはない。特に、世界でも類を見ない表意言語(文字の1つ1つに意味のある言葉)を使う日本人なら、特に言葉を大切にしなければならないのにである。
たとえ、器質的な問題で声が出せないとしても問題ではない。声に出す言葉は心の想いから出るのであるから、我々は心を整えなければならない。
そのために大切なことは、無駄な言葉を言わないことだ。そして、さらに良いのは、無駄な想念を起こさないことである。
心が静まり、穢れた想念で心が曇らない時に、心の深奥から神の声がやってくるだろう。ソクラテスはそのことに気付き、その声をダイモニア(ダイモーン)と呼んだ。人間の偉大な行いで、ダイモニアによらないものは1つとしてない。
そして、古代から、あやゆる本物の聖賢は、人の内側にある崇高なもののことを繰り返して教えてきたが、ほとんどの者が分からない。しかし、聖者は、千人に一人でも理解できる者がいるなら、それを教え続けるだろう。
ジョセフ・マーフィーは一種の方便として、俗っぽくはあるが、実質的には聖者と同じことを分かり易く教えたので、世界中に愛されたのであると思う。まずは、そこから入るのも手かもしれない。マーフィーの法則は決して欲望の法則ではないと気付けば、次の段階にも進めるだろう。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
| 人気ランキング参加中です |
|

よく聞いています。
先日たまたま図書館で鼓童との共同制作「ナスカ幻想」というアルバムを見つけ
聞いてみました。(お聞きになりましたか?)シンセサイザーと太鼓が
なんともいえない音をかもしだし南米の大地を非常によく表現しています。
一番地味ですが「パルサー」という曲は非常に印象的です。1秒11回のパルス波を
永遠に規則正しく送る星。曲の最後でガラスが割れるような音があり
これは地球が終わったという事か。それでもパルス波は続いていく。
一度機会がありましたら聞いてみてください。