一昨日の夜に書いた記事、「人間はいくつになっても力は増大する」で、「人間の人生の全盛期は60歳以降だ」と書いたことについて、嬉しいコメントをいただいたので、このことについて、もう少し書いてみたい。
人間は、たかが60歳くらいで、年寄り根性を持ってはならない。
60歳というのは、ますます頭が良くなる年齢であるのだから、いよいよ30年計画を立てて、人類に奉仕するのに良い時期であると思う。それまでに巨万の富を得ていたとしても、そんなものは子供の遊びで、たまたまである。
無論、30年計画を立てて開始するのは、70歳でも80歳でも差し支えない。
40歳くらいになれば、もう自分は老境に入りつつあると思う者が多いらしいが、それは単に、世間の伝統的なものの考え方に埋もれてしまっているだけである。アメリカの有名な弁護士には、その年齢まで電信器のキーパンチャーをしていた人もいたらしい。
もし、世間的因習に囚われて、60歳を過ぎてからやるようなことが、儲けるためのビジネスや、個人的な趣味しか思い浮かばないようなら、まずは20年くらいかけて、頭を鍛え直すのも手である。
梅原猛さんが、円空(江戸時代の僧。円空仏といわれる多くの仏像を造ったことで知られる)の研究書『歓喜する円空』を発表したのは81歳くらいだったが、その時、「もう10年くらい勉強してから出すべきだったかもしれない」と述べておられたものだ。
『法華経』に、こんな話がある。
1人の男の子が家出し、父親は散々探すが見つからない。しかし、父親は諦めずに探し続け、50年後にようやく見つける。しかし、息子は経済的に貧しいだけでなく、心までひなびてしまっていて、大金持ちの父親の豪壮な家を見ただけでも怯えてしまい、父親は、自分が父だと名乗ることもできない。そこで、父親は、自分が父であるとは言わないまま、息子を下男に雇い、自分は彼の先輩の下男であるように振る舞いながら、息子にいろいろなことを教えて、その心を正し、大きくしていった。そして、20年かけて息子の教育を終えると、ようやく、本当は自分が父であることを明かし、財産を譲った。
父親は、本当は、一刻も早く、息子に財産を渡し、贅沢三昧させたかったのだが、息子の心が成長するまで20年も待ったのである。
言うまでもなく、この息子とは我々のことで、大金持ちの父親とは仏である。
法華経のポリシーは、仏とは、相手にあった教え方をするために、最も良い手段を使うということである。
人間が、年齢が高くなると能力が衰えるというのは全くの嘘であるが、そのような世間の妄信を信じるなら、やはりそうなるのかもしれない。
世界的な潜在意識の活用法の教師であったジョセフ・マーフィーの父親は、60歳でフランス語の勉強を始め、80歳で大家となったという。
神道家の葉室賴昭(はむろよりあき)さんは、形成外科医でもあったが、60歳になった時、母親が、「お前の人生はこれからが本番だ」と言う。葉室さんは、「かーちゃん、俺、もう60だよ、還暦だよ」と言ったが、67歳で、完全な手術ができるようになったといい、7時間にも及ぶ手術を完全に理想的に行えたという。そして、その後は本格的に神職の道に進み、春日大社の宮司も務めた。
プロレスのジャイアント馬場さんは、60歳になった時、「若い頃は、60歳といえば、すごいじいさんだと思っていたが、自分がなってみたら、なんてことはない。全然、まだまだやれるじゃないか」と言って、社長業と現役を続けた。
アメリカの画家アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスは、グランマ・モーゼス(モーゼスおばあさん)と呼ばれる、アメリカで最も人気のある画家の1人だ。元々、絵を描くのは好きだったらしいが、本格的に絵筆をとったのは75歳の時で、しかも、そのきっかけは、リウマチで趣味の編み物ができなくなったので、その代わりだったらしい。78歳くらいで1人の絵画収集家の目にとまり、80歳で初めて個展を開き、やがて世に知られるようになった。絵は売れて、収入はうなぎ上りになったが、決してアトエリを作らずに台所の隅で描き続け、絵筆は頭がなくなるまで使い、高価な絵の具は使わなかったという。そして、101歳で亡くなるまでに1600点の作品を制作した。
企業で65歳定年制が導入されるような話もあるが、年齢の高い人に、若い人と同じことをやらせるのでは決してうまくいかない。
現在の目先の欲に囚われた物質主義の世の中では、そんな仕事が多いのである。
ルドルフ・シュタイナーが教えたように、物質主義に陥った人類は、今は神秘主義と呼ばれるような精神主義とのバランスを高め、精神革命を起こさなければ、硬化して滅びるだけである。言い換えれば、80歳を過ぎた人が、その素晴らしい能力を活かし、楽しく働いているなら、人類は永遠であり、格段の進歩を遂げ、他の惑星の人達との一般レベルの交流も盛んになるであろう。
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人間は、たかが60歳くらいで、年寄り根性を持ってはならない。
60歳というのは、ますます頭が良くなる年齢であるのだから、いよいよ30年計画を立てて、人類に奉仕するのに良い時期であると思う。それまでに巨万の富を得ていたとしても、そんなものは子供の遊びで、たまたまである。
無論、30年計画を立てて開始するのは、70歳でも80歳でも差し支えない。
40歳くらいになれば、もう自分は老境に入りつつあると思う者が多いらしいが、それは単に、世間の伝統的なものの考え方に埋もれてしまっているだけである。アメリカの有名な弁護士には、その年齢まで電信器のキーパンチャーをしていた人もいたらしい。
もし、世間的因習に囚われて、60歳を過ぎてからやるようなことが、儲けるためのビジネスや、個人的な趣味しか思い浮かばないようなら、まずは20年くらいかけて、頭を鍛え直すのも手である。
梅原猛さんが、円空(江戸時代の僧。円空仏といわれる多くの仏像を造ったことで知られる)の研究書『歓喜する円空』を発表したのは81歳くらいだったが、その時、「もう10年くらい勉強してから出すべきだったかもしれない」と述べておられたものだ。
『法華経』に、こんな話がある。
1人の男の子が家出し、父親は散々探すが見つからない。しかし、父親は諦めずに探し続け、50年後にようやく見つける。しかし、息子は経済的に貧しいだけでなく、心までひなびてしまっていて、大金持ちの父親の豪壮な家を見ただけでも怯えてしまい、父親は、自分が父だと名乗ることもできない。そこで、父親は、自分が父であるとは言わないまま、息子を下男に雇い、自分は彼の先輩の下男であるように振る舞いながら、息子にいろいろなことを教えて、その心を正し、大きくしていった。そして、20年かけて息子の教育を終えると、ようやく、本当は自分が父であることを明かし、財産を譲った。
父親は、本当は、一刻も早く、息子に財産を渡し、贅沢三昧させたかったのだが、息子の心が成長するまで20年も待ったのである。
言うまでもなく、この息子とは我々のことで、大金持ちの父親とは仏である。
法華経のポリシーは、仏とは、相手にあった教え方をするために、最も良い手段を使うということである。
人間が、年齢が高くなると能力が衰えるというのは全くの嘘であるが、そのような世間の妄信を信じるなら、やはりそうなるのかもしれない。
世界的な潜在意識の活用法の教師であったジョセフ・マーフィーの父親は、60歳でフランス語の勉強を始め、80歳で大家となったという。
神道家の葉室賴昭(はむろよりあき)さんは、形成外科医でもあったが、60歳になった時、母親が、「お前の人生はこれからが本番だ」と言う。葉室さんは、「かーちゃん、俺、もう60だよ、還暦だよ」と言ったが、67歳で、完全な手術ができるようになったといい、7時間にも及ぶ手術を完全に理想的に行えたという。そして、その後は本格的に神職の道に進み、春日大社の宮司も務めた。
プロレスのジャイアント馬場さんは、60歳になった時、「若い頃は、60歳といえば、すごいじいさんだと思っていたが、自分がなってみたら、なんてことはない。全然、まだまだやれるじゃないか」と言って、社長業と現役を続けた。
アメリカの画家アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスは、グランマ・モーゼス(モーゼスおばあさん)と呼ばれる、アメリカで最も人気のある画家の1人だ。元々、絵を描くのは好きだったらしいが、本格的に絵筆をとったのは75歳の時で、しかも、そのきっかけは、リウマチで趣味の編み物ができなくなったので、その代わりだったらしい。78歳くらいで1人の絵画収集家の目にとまり、80歳で初めて個展を開き、やがて世に知られるようになった。絵は売れて、収入はうなぎ上りになったが、決してアトエリを作らずに台所の隅で描き続け、絵筆は頭がなくなるまで使い、高価な絵の具は使わなかったという。そして、101歳で亡くなるまでに1600点の作品を制作した。
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現在の目先の欲に囚われた物質主義の世の中では、そんな仕事が多いのである。
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私の自宅から車で片道3時間の所に、うさぎ治療の実績が非常に高い女性の獣医がいました。
彼女が獣医になる前に、小動物専門の獣医に連れて行った彼女のペットのうさぎが、そこで前歯を全て抜かれ、それが原因で亡くなったそうです。
そんないい加減な獣医しかいない現実にショックを受けた彼女は、50代半で獣医になる決心をし、60歳でうさぎの診断を得意とする獣医になりました。
我が家のうさぎ達全て彼女から去勢の手術を受けましたが、毎回うさぎにとって全く負担のない完璧な手術でした。
彼女は150cmもない小柄でシワシワの痩せたヨボヨボの白人のお婆さんで、愛想や冗談もありませんでしたが、遠方からのガソリン代を心配してくださり、毎回安い治療費なのに更に無料で薬や器具もくださったりと、寡黙の中にも、いつも優しさを感じさせる方でした。
最後にお会いしてから5ヶ月後、74歳で癌のため亡くなられました。
全く知りませんでしたが、動物を診察しながら、ご自分も癌と戦っていらっしゃったそうです。
そして亡くなる最後の最後まで、ご自分の命より動物の治療に専念されたそうです。
獣医としては60代で始めた十年ちょっとの短いキャリアでしたが、派手さや軽はずみの無い、ひたすら動物を助けたいというシンプルなモットーだけに集中されたからこそ、あんな動物に負担の無い高度な技術をお持ちだったのでしょう。
そういう彼女の生き様は、私の指針になっています。