私は1日1食の菜食をするようになって5年近くになるが、身体が健康になったこともだが、それよりも、以前と比べて、世間の妄信や偏見に影響されなくなり、精神的な自由度が増してきたことをとても嬉しく思っている。
何と言っても、世間では、1日3食しっかり食べ、栄養のある肉などをたっぷり食べてこそ健康でいられるというのが通説であるが、それが全部嘘であることをこの身で実感できたのであるから、世間で言われていることだからと言って信じる理由は何もないということが分かる。
そして、他のあらゆることにおいても、世間で確固として支持されている考え方は、ほぼ全て間違いと思っても差し支えないことが分かった。
もちろん、世間で言われることを何でもかでも否定する訳でもないが、世間とは嘘が多いところであり、以前はそんなものを信じて神から離れることが多かったが、今は騙されることがかなり少なくなってきたとは言えるだろう。

昔、無業という僧は、毎朝、自分に、
「おーい、主人公」
と呼びかけ、自分で、
「はーい」
と返事をし、そして、
「しっかりと目を覚ましておれ」
と言って、
「はい」
と自分で返事をした。
さらに、
「人に騙されるな」
と言い、また自分で、
「はい」
としっかりと返事をした。
世間とは、いかに虚偽、デタラメ、偏見に満ちているかということであり、また、意識をしっかりさせておかないと、人はたやすく騙されるのである。

そして、私は、今月に入ってから、ほぼ食事をしなくなった。
それまでは、夕食だけは食べていたが、今は、夕食の時には、生タイプだがインスタントの味噌汁と野菜と果物を少しだけ食べている。
そして、朝、ナッツとビスケットのようなものを少し食べる。
飲み物だけは、仕事をしている中で手に入る範囲のものであれば、缶コーヒーでもペットボトルの紅茶でも、何でも飲んでいる。
脳に糖分が必要だというのは本当かもしれず、多少は甘い飲み物を摂った方が頭が働くように思う。まあ、それも自分で試してみれな良いことだ。
言っておくが、身体に悪い食べ物というものは、よほどのものでない限りない。
砂糖が身体に悪いだの、今のパンが身体に悪いだのというのもまた、世間の俗説や妄信をそのまま受け入れている者の言うことである。
神の造った身体は極めて素晴らしく、少々悪いものを食べたところで、普段から少食を守り、正しく機能している限り、何の問題もない。
私は、肉食そのものを非難することも全くない。ただ、肉は美味過ぎて、食欲が増大する危険があるし、自分でその動物を殺すかはともかく、解体することもできない状況で肉を食べる訳にはいかないと思っているのだ。他人に関しても、少量食べるのであれば、何ら悪くないと思っている。

私が朝、ビスケットのようなものを食べるのは、旧約聖書で、モーセと共にエジプトを出た人々に、神がマナという食べ物を与えたことを思い出すためもある。
マナは小さな木の実のようなもので、練って料理すると、甘い菓子のような味であったという。
だが、人々が、肉が食べたいと言って泣いたので、神の怒りを買った。
私は、別に他のものを食べたいとは思わない。無論、別の食べ物も良いと思うが、求める理由もない。
そして、ほとんど食べていなくて空腹であると言っても、がっつくように食べたり、大量に食べたりということはない。
実をいうと、食事のためという気持ちはあまりなく、精神的な満足のために食べているということが大きいのだ。
聖書では、マナは、朝落ちる露が変化したものらしい。
冨田勲さんが制作した交響曲『イーハトーヴ交響曲』の第5幕「銀河鉄道の夜」で、初音ミクが、天使のような透き通った美しい声で、
「ケンタウルスよ、露降らせ」
「ケンタウルス、露を降らせ」
と何度も繰り返し歌う声と一体化する感覚もあって、それがとても良いのである。
私は、今も、『イーハトーヴ交響曲』を毎日のように聴いており、「雨にもまけず」も、これによって完全に憶えたが、日に日に、宮沢賢治の心の深さをますます感じるのである。
「雨にもまけず」に、あのような素晴らしい曲をつけ、荘厳な合唱で表現してくれた冨田勲さんは日本の救世主である。
そして、初音ミクを、超一級の交響楽団、訓練された男性、女性、そして、子供達の大合唱団と高度に調和させ、宮沢賢治の不思議な世界を見事に表現したこの作品は、歴史に残る芸術であると確信する。









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