私は、今月に入ってから、ほとんど食事をしていないのだが、私は決して人に断食を勧めたことはないし、勧める気もないのである。
私は、断食をする人が少しも偉いとは思わないし、もちろん、自分も全然立派だとは思っていない。
断食などをするのではなく、1年365日、1日も欠かさずに食を慎むのが良いのである。
私は、自分があまりに駄目なので、どうしても我慢がならずに食を断っているだけである。
本当のところを言えば、あまりに世の中が嫌なので、このまま死んでしまえれば良いと考えることもあるのだ。
それは確かに不遜であり、身の程知らずだということも分かるのであるが、そう思ってしまうのだから仕方がない。
ただ、人間には、大なり小なりの死の願望というものはあるらしく、フロイトもそう考えていたようであり、多分それは本当なのだろう。それならば、私も別に特別ではないのだろう。
そして、おそらく私は恵まれており、身体は並外れて健康で強靭だし、社会的にも恵まれていると言えると思う。これは別に、私が優秀だからでは全くない。これは謙遜でも何でもないのだが、誰にでも出来ることが、私にはさっぱり出来ないということが実に多いのである。それでも、なんとかいい思いをしているのは、運が良いのと、立派な人の情けのおかげである。
能力もなければ、人間性はかなり低い方であるに関わらず、不相応に良い思いをしているのは、まるで、天下太平の時代の武士のようで後ろめたく感じないでもないが、だからこそ、ひどく苦しい思いをしている人達には、最低限、私程度にはなって欲しいと思うのである。
そして、それは可能であるはずなのだ。
無論、巷の成功法則のように、成功者や金持ちになる方法など私に教えられるはずがないし、私は自分がそんなものになれないが、楽で良い生活なら、ちょっとしたことで簡単に得られるのである。
例えば、毎朝5時に起床するニートなんて絶対にいないのであるから、ニートを脱出したければ、毎朝5時に起きれば良いのである。逆に言えば、毎日8時過ぎまで寝ていて、ニート生活から抜け出ようなんて虫が良過ぎるのである。
ちなみに、私は、休日であっても、盆、暮れ、正月であろうと、1年365日に渡り、5時前には必ず起きている。そこまでやれば、誰でも、黙っていても恵まれるのである。
どこかで聞いたが、社長が、朝7時半までに出勤している会社で倒産した会社は1つもないそうである。それなら、会社を潰したくなければ、社長は、黙って朝7時に出勤すれば良いのである。
般若心経を10万回唱えたという人がいるが、神仏が、そんな人を普通の人にしておくはずがなく、嫌でも特別な人間になるのである。
何か1つでも、普通の人のやらない特別な習慣を、決して1日も欠かさなければ、3年もすれば、大成功者になるなどとは言わないが、相当な、「いいご身分」くらいにはなれるのである。
私程度の人間なら、蔑み見下す人は多いのであり、私は蔑み疎まれたいと思っているのであるが、私よりはるかに辛い生き方をしている人には、私は我慢がならないのである。それは確かに自分の責任であるのだが、世間のつまらない教義や信念に騙されている面も大きいのだと思う。
だが、世間の迷妄に打ち勝つには、ある程度の修練も必要なのに違いない。
それが、毎朝5時に起きることであったり、食を慎むことである。
それは、決して気持ちが良いこととは限らない。実際はあまり楽しくはないかもしれない。
しかし、1つくらい、自我が嫌がることをするのだ。
つまるところ、幸運の秘訣とは、自我の嫌がることをして、自我を屈服させることである。
自我は、8時か9時まで寝ていたいし、学校や会社に間に合う時間までは寝ていようと思うものである。
だが、それよりもずっと早く起きるのだ。5時に起きるのが良い。すると、知らないうちに、そう悪い生活ではなくなっていることだろう。
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私は、断食をする人が少しも偉いとは思わないし、もちろん、自分も全然立派だとは思っていない。
断食などをするのではなく、1年365日、1日も欠かさずに食を慎むのが良いのである。
私は、自分があまりに駄目なので、どうしても我慢がならずに食を断っているだけである。
本当のところを言えば、あまりに世の中が嫌なので、このまま死んでしまえれば良いと考えることもあるのだ。
それは確かに不遜であり、身の程知らずだということも分かるのであるが、そう思ってしまうのだから仕方がない。
ただ、人間には、大なり小なりの死の願望というものはあるらしく、フロイトもそう考えていたようであり、多分それは本当なのだろう。それならば、私も別に特別ではないのだろう。
そして、おそらく私は恵まれており、身体は並外れて健康で強靭だし、社会的にも恵まれていると言えると思う。これは別に、私が優秀だからでは全くない。これは謙遜でも何でもないのだが、誰にでも出来ることが、私にはさっぱり出来ないということが実に多いのである。それでも、なんとかいい思いをしているのは、運が良いのと、立派な人の情けのおかげである。
能力もなければ、人間性はかなり低い方であるに関わらず、不相応に良い思いをしているのは、まるで、天下太平の時代の武士のようで後ろめたく感じないでもないが、だからこそ、ひどく苦しい思いをしている人達には、最低限、私程度にはなって欲しいと思うのである。
そして、それは可能であるはずなのだ。
無論、巷の成功法則のように、成功者や金持ちになる方法など私に教えられるはずがないし、私は自分がそんなものになれないが、楽で良い生活なら、ちょっとしたことで簡単に得られるのである。
例えば、毎朝5時に起床するニートなんて絶対にいないのであるから、ニートを脱出したければ、毎朝5時に起きれば良いのである。逆に言えば、毎日8時過ぎまで寝ていて、ニート生活から抜け出ようなんて虫が良過ぎるのである。
ちなみに、私は、休日であっても、盆、暮れ、正月であろうと、1年365日に渡り、5時前には必ず起きている。そこまでやれば、誰でも、黙っていても恵まれるのである。
どこかで聞いたが、社長が、朝7時半までに出勤している会社で倒産した会社は1つもないそうである。それなら、会社を潰したくなければ、社長は、黙って朝7時に出勤すれば良いのである。
般若心経を10万回唱えたという人がいるが、神仏が、そんな人を普通の人にしておくはずがなく、嫌でも特別な人間になるのである。
何か1つでも、普通の人のやらない特別な習慣を、決して1日も欠かさなければ、3年もすれば、大成功者になるなどとは言わないが、相当な、「いいご身分」くらいにはなれるのである。
私程度の人間なら、蔑み見下す人は多いのであり、私は蔑み疎まれたいと思っているのであるが、私よりはるかに辛い生き方をしている人には、私は我慢がならないのである。それは確かに自分の責任であるのだが、世間のつまらない教義や信念に騙されている面も大きいのだと思う。
だが、世間の迷妄に打ち勝つには、ある程度の修練も必要なのに違いない。
それが、毎朝5時に起きることであったり、食を慎むことである。
それは、決して気持ちが良いこととは限らない。実際はあまり楽しくはないかもしれない。
しかし、1つくらい、自我が嫌がることをするのだ。
つまるところ、幸運の秘訣とは、自我の嫌がることをして、自我を屈服させることである。
自我は、8時か9時まで寝ていたいし、学校や会社に間に合う時間までは寝ていようと思うものである。
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