本日は、芥川龍之介の生誕121周年であるらしい。
では昨日(2月28日)はというと、ライナス・ポーリングの生誕112周年だった。ポーリングは20世紀が始まった1901年の生まれだから覚え易い。
しかし、ライナス・ポーリングという名に馴染みが薄い人が多いかもしれない。
1956年創刊のイギリスの科学雑誌ニュー・サイエンティスト誌では、「史上偉大な20人の科学者」として、20世紀の科学者としては、アインシュタインとこのポーリングを挙げているらしい(Wikipediaより)。
ポーリングは分子生物学の父とも言われる化学者である。
ポーリングは2度ノーベル賞を受賞している。化学賞と平和賞である。単独で2度の受賞は彼しかいないようだ。
今でも、「風邪をひいたらビタミンCが効く」とよく言うが、そんな主張をし、ビタミンCの多量の摂取を薦めたのはポーリングが初めかもしれない。確かに医療分野にも多大に貢献し、自ら自分を結晶学者、分子生物学者、医療研究者と言っていたポーリングだが、はたして彼のビタミン理論が正しいのかどうか分からない。ただ、今でも、彼のビタミンの本や、ビタミン商品があるほどである。
ポーリングが高校卒業資格を得たのは60歳を過ぎ、2つのノーベル賞を受賞した後だった。ただ、大学は卒業し(2校)、博士号(2つ)も取得していた。高校を卒業できなかったのは、出席日数が足りなかったからだが、それは、彼の家が貧しく、母親を養うためにも長時間働く必要があったからのようだ。
このあたりは、私は『銀河鉄道の夜』で、病気の母親を抱え、小学生でありながら学校以外の時間を労働に追われていたジョバンニを思い出し感慨深い。
アメリカは年齢に関係なく大学入学資格が得られるが、もしポーリングが日本人だったら小さな工場の技術屋みたいなものになり、科学の世界とは縁がなかったかもしれない。まあ、そういう人は沢山いるだろうが。
ルドルフ・シュタイナーは大学入学資格が無かった(商業学校の卒業生だったからだ)ので、専門学校に入ったがそこも中退した。だが、博士論文により、哲学博士の学位を取得した。学位そのものに価値はなかっただろうが、社会的には大いに役に立ったはずだ。
日本もだが、学業なんてのは、生まれた家柄で決まる部分が大きいかもしれない。学校は子供のためというより、教師の雇用のために存在するように思えるほどだし、それ以上に、教育以外の意図があり過ぎるのだろうと思う。
時折、博士の学位を名乗る有名人の学位には、正規のものではなく、金で買ったのだという話を聞くことがあるが、正規の学位を持っていても何も出来ない者がいて、逆に、仮に買った学位かもしれないが、それを持っている者が人類に貢献する働きをしたなら、どっちが偉いのだろう?
さっきも言ったが、学位そのものに価値があったりはしない。しかし、良い目的のためのやむを得ない手段であるなら買えば良いくらいに思う。そもそも、正規の博士号を取るのも、馬鹿げた部分もかなりあるのではないだろうか?
ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんは、「ドクター(博士)」と呼びかけられた時、「僕はドクターじゃありません」と訂正した話があるが、実際、彼はノーベル賞受賞者では異例の博士号を持たない研究者だ。また、大学や高校も出ていないが、名前だけの博士よりずっと立派な研究開発を行った人は大勢いるはずである。
まあ、社会を批判しても仕方がないが、志あれば、社会的権威や制約などに負けず、立派な研究や仕事をしていただきたいと思うし、私もそうあろうと思うのである。
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では昨日(2月28日)はというと、ライナス・ポーリングの生誕112周年だった。ポーリングは20世紀が始まった1901年の生まれだから覚え易い。
しかし、ライナス・ポーリングという名に馴染みが薄い人が多いかもしれない。
1956年創刊のイギリスの科学雑誌ニュー・サイエンティスト誌では、「史上偉大な20人の科学者」として、20世紀の科学者としては、アインシュタインとこのポーリングを挙げているらしい(Wikipediaより)。
ポーリングは分子生物学の父とも言われる化学者である。
ポーリングは2度ノーベル賞を受賞している。化学賞と平和賞である。単独で2度の受賞は彼しかいないようだ。
今でも、「風邪をひいたらビタミンCが効く」とよく言うが、そんな主張をし、ビタミンCの多量の摂取を薦めたのはポーリングが初めかもしれない。確かに医療分野にも多大に貢献し、自ら自分を結晶学者、分子生物学者、医療研究者と言っていたポーリングだが、はたして彼のビタミン理論が正しいのかどうか分からない。ただ、今でも、彼のビタミンの本や、ビタミン商品があるほどである。
ポーリングが高校卒業資格を得たのは60歳を過ぎ、2つのノーベル賞を受賞した後だった。ただ、大学は卒業し(2校)、博士号(2つ)も取得していた。高校を卒業できなかったのは、出席日数が足りなかったからだが、それは、彼の家が貧しく、母親を養うためにも長時間働く必要があったからのようだ。
このあたりは、私は『銀河鉄道の夜』で、病気の母親を抱え、小学生でありながら学校以外の時間を労働に追われていたジョバンニを思い出し感慨深い。
アメリカは年齢に関係なく大学入学資格が得られるが、もしポーリングが日本人だったら小さな工場の技術屋みたいなものになり、科学の世界とは縁がなかったかもしれない。まあ、そういう人は沢山いるだろうが。
ルドルフ・シュタイナーは大学入学資格が無かった(商業学校の卒業生だったからだ)ので、専門学校に入ったがそこも中退した。だが、博士論文により、哲学博士の学位を取得した。学位そのものに価値はなかっただろうが、社会的には大いに役に立ったはずだ。
日本もだが、学業なんてのは、生まれた家柄で決まる部分が大きいかもしれない。学校は子供のためというより、教師の雇用のために存在するように思えるほどだし、それ以上に、教育以外の意図があり過ぎるのだろうと思う。
時折、博士の学位を名乗る有名人の学位には、正規のものではなく、金で買ったのだという話を聞くことがあるが、正規の学位を持っていても何も出来ない者がいて、逆に、仮に買った学位かもしれないが、それを持っている者が人類に貢献する働きをしたなら、どっちが偉いのだろう?
さっきも言ったが、学位そのものに価値があったりはしない。しかし、良い目的のためのやむを得ない手段であるなら買えば良いくらいに思う。そもそも、正規の博士号を取るのも、馬鹿げた部分もかなりあるのではないだろうか?
ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんは、「ドクター(博士)」と呼びかけられた時、「僕はドクターじゃありません」と訂正した話があるが、実際、彼はノーベル賞受賞者では異例の博士号を持たない研究者だ。また、大学や高校も出ていないが、名前だけの博士よりずっと立派な研究開発を行った人は大勢いるはずである。
まあ、社会を批判しても仕方がないが、志あれば、社会的権威や制約などに負けず、立派な研究や仕事をしていただきたいと思うし、私もそうあろうと思うのである。
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有名大学をでたからといって、その人の価値が決まる訳ではない。
その人の価値は、家柄や学歴で判断してはならないと思います。
私は、品があって、ユーモアセンスのある頭のいい人が好きです。
勿論、言うまでもなく、『頭のいい』は学校の成績とは関係ないです。