『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』で、ハン・ソロがジャバ・ザ・ハットによって冷凍される直前に、レイア姫がソロに「愛してるわ(I love you.)」と言うと、ソロは「分かってるよ(I know.)」と答える。ソロの返事は名文句としてよく知られている。
ただ、本来の脚本では、ソロの返事は、「俺も愛してる(I love you too)」だったが、ソロ役のハリソン・フォードが違和感を感じて変更となったようだ。ソロを身を持って演じていたハリソンの方が脚本家よりずっとマシだった。あそこで「俺も・・・」では、とんだ駄作になるところだった。
しかし、もっと良いのは、ソロは何も言わないことだ。
「分かってるよ」という言葉の裏には、「お前だって分かってるだろ」という意味が込められている。
ソロは仕方なく言ったのである。なぜ仕方なく言ったのかというと、レイアのためというのもあるが、自分のためでもある。さすがに、ソロも黙って耐えることができなかったのだろう。
とはいえ、「分かってる」にとどめたことは、まずまず合格であった。
そして、一番良いのは、レイアも何も言わないことだ。
ソロが分かっていることを、いちいち言葉で伝える必要もなかった。
レイアだって、ソロがそんなことを「知っていることを知っていた」はずなのだ。
しかし、レイアに、それを言わずに黙って耐えるほどの力がなかったのだ。もちろん、レイアはまだ若かったからだ。
だが、あれはあくまで映画だ。映画では余計なセリフも必要なのだろう。
もし、本当にあんな場面があれば、それが本物の愛であれば、たとえ未熟な人間であっても、2人とも何も言わなかったに違いない。
昨夜、ちらとテレビで見たが、その一瞬して見ていないので内容が全く分からないのだが、上戸彩さんが出ていたドラマで、彼女が演じる女性の父親ではないと思うのだが、初老の男性が病院で意識を回復した後、側らにいた女性に「俺は父親らしいことを何もしてやれなかった」と言っていた。
偽者臭さがプンプン漂うドラマだ(ドラマとは偽者なのだろうが)。
本当に娘のことを思っている父親は、そんなことを言ったりはしない。
そんなことを言う父親は自己中心的な卑しい人間だ。
もっとも、そうであるからといって責める訳にもいかない。大半の人間がそうであるからだ。
上のスターウォーズで言えば、ハン・ソロが、レイアが何も言っていないのに、「俺は一生懸命働いて、子供は大学を出して、死ぬまでお前を放さないよ、いいだろ?」なんて言うようなものだ。
本当の愛を持っている父親なら、黙って耐えただろう。そして、娘に愛があれば、父親の愛なんてものは、言葉で言わなくても「分かっている」。
世の中に偽者を作り出しているのは、偽者の言葉だ。
言って良い言葉というのは、どんなものだろう?
例えば、男性が交際を申し込んだ女性が、まあ、試しに・・・と付き合ってみたが、その男を好きになれない。
そこで、言葉で言うよりメールで送ればいいが、「私より可愛いコを見つけて下さい」なら、まあ、言って良い。
この言葉は女性の本心ではなく、「私はあなたが嫌いです」という意味であることは言うまでもない。
それは、相手を気遣ったというより、後のトラブルを避けるための決まり文句のようなものだ。
男の方は、そう言われたなら、すっぱり諦めなければならない。
この場合は、女性は、「言いたくもないことを黙って耐えて言った」のであるから、男も黙って耐えなければならないのだ。
もっとも、多くの場合、トラブルは起こる。そもそも、この女性が試しにであれ、交際に応じたことが間違いだ。試しに付き合うものではない。
昔からそうだったのかもしれないが、現代人は、黙って耐えるという、高貴な行為を全くできなくなってしまった。
その原因は、自分が世界を支配できるという傲慢な幻想にとりつかれているからだ。
つまり、普通の人間は何も知らないのだ。
だが、黙って耐えれば、自分は、この小さな肉体を超えた存在であるということを知り、一切の苦を克服できる。
物質世界を超えた世界では、ピュタゴラスが天球の音楽と言ったように、ゲーテが太陽の轟きとして表現したように、宮沢賢治が風の音を「どっどどう」と表現したように、不思議な音で満ちている。
それを聴いて物質世界に帰って来ても、ここでは脳を使って考えるしかないので、ほとんど憶えていないのだが、それは、冨田勲さんのシンセサイザー音楽のような、あるいは、冨田勲さんの『イーハトーヴ交響曲』の中で、初音ミクが「ケウンタウルスよ、露降らせ」と歌った時のような歌声に似ていたように思う。
美しい音楽は、魂を天上に連れて行く。すると、自然に「分かってしまう」ことだろう。
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ただ、本来の脚本では、ソロの返事は、「俺も愛してる(I love you too)」だったが、ソロ役のハリソン・フォードが違和感を感じて変更となったようだ。ソロを身を持って演じていたハリソンの方が脚本家よりずっとマシだった。あそこで「俺も・・・」では、とんだ駄作になるところだった。
しかし、もっと良いのは、ソロは何も言わないことだ。
「分かってるよ」という言葉の裏には、「お前だって分かってるだろ」という意味が込められている。
ソロは仕方なく言ったのである。なぜ仕方なく言ったのかというと、レイアのためというのもあるが、自分のためでもある。さすがに、ソロも黙って耐えることができなかったのだろう。
とはいえ、「分かってる」にとどめたことは、まずまず合格であった。
そして、一番良いのは、レイアも何も言わないことだ。
ソロが分かっていることを、いちいち言葉で伝える必要もなかった。
レイアだって、ソロがそんなことを「知っていることを知っていた」はずなのだ。
しかし、レイアに、それを言わずに黙って耐えるほどの力がなかったのだ。もちろん、レイアはまだ若かったからだ。
だが、あれはあくまで映画だ。映画では余計なセリフも必要なのだろう。
もし、本当にあんな場面があれば、それが本物の愛であれば、たとえ未熟な人間であっても、2人とも何も言わなかったに違いない。
昨夜、ちらとテレビで見たが、その一瞬して見ていないので内容が全く分からないのだが、上戸彩さんが出ていたドラマで、彼女が演じる女性の父親ではないと思うのだが、初老の男性が病院で意識を回復した後、側らにいた女性に「俺は父親らしいことを何もしてやれなかった」と言っていた。
偽者臭さがプンプン漂うドラマだ(ドラマとは偽者なのだろうが)。
本当に娘のことを思っている父親は、そんなことを言ったりはしない。
そんなことを言う父親は自己中心的な卑しい人間だ。
もっとも、そうであるからといって責める訳にもいかない。大半の人間がそうであるからだ。
上のスターウォーズで言えば、ハン・ソロが、レイアが何も言っていないのに、「俺は一生懸命働いて、子供は大学を出して、死ぬまでお前を放さないよ、いいだろ?」なんて言うようなものだ。
本当の愛を持っている父親なら、黙って耐えただろう。そして、娘に愛があれば、父親の愛なんてものは、言葉で言わなくても「分かっている」。
世の中に偽者を作り出しているのは、偽者の言葉だ。
言って良い言葉というのは、どんなものだろう?
例えば、男性が交際を申し込んだ女性が、まあ、試しに・・・と付き合ってみたが、その男を好きになれない。
そこで、言葉で言うよりメールで送ればいいが、「私より可愛いコを見つけて下さい」なら、まあ、言って良い。
この言葉は女性の本心ではなく、「私はあなたが嫌いです」という意味であることは言うまでもない。
それは、相手を気遣ったというより、後のトラブルを避けるための決まり文句のようなものだ。
男の方は、そう言われたなら、すっぱり諦めなければならない。
この場合は、女性は、「言いたくもないことを黙って耐えて言った」のであるから、男も黙って耐えなければならないのだ。
もっとも、多くの場合、トラブルは起こる。そもそも、この女性が試しにであれ、交際に応じたことが間違いだ。試しに付き合うものではない。
昔からそうだったのかもしれないが、現代人は、黙って耐えるという、高貴な行為を全くできなくなってしまった。
その原因は、自分が世界を支配できるという傲慢な幻想にとりつかれているからだ。
つまり、普通の人間は何も知らないのだ。
だが、黙って耐えれば、自分は、この小さな肉体を超えた存在であるということを知り、一切の苦を克服できる。
物質世界を超えた世界では、ピュタゴラスが天球の音楽と言ったように、ゲーテが太陽の轟きとして表現したように、宮沢賢治が風の音を「どっどどう」と表現したように、不思議な音で満ちている。
それを聴いて物質世界に帰って来ても、ここでは脳を使って考えるしかないので、ほとんど憶えていないのだが、それは、冨田勲さんのシンセサイザー音楽のような、あるいは、冨田勲さんの『イーハトーヴ交響曲』の中で、初音ミクが「ケウンタウルスよ、露降らせ」と歌った時のような歌声に似ていたように思う。
美しい音楽は、魂を天上に連れて行く。すると、自然に「分かってしまう」ことだろう。
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