座右の書なんてものがある人は、さほど多くはないだろう。
また、それがいかに偉大な人物の座右の書であったとしても、他人の座右の書が自分に相応しいとは限らない。
中山正和さんの本で見たが、我が国屈指の数学者であった岡潔さんは、道元の『正法眼蔵』を、意味はさっぱり分からないのに座右の書としていたらしい。ところが20年ほど経ったある日、岡さんに不意に天啓が訪れ、一瞬で『正法眼蔵』の全てが理解できたという。
そして、中山さんも岡さんに倣って『正法眼蔵』を座右の書としていたところ、やはり、20年くらいで同じようなことがあったようだ。
ところで、宮沢賢治の座右の書というのが面白い。
それは、片山正夫という物理化学者の書いた『化学本論』である。
これは物理化学の教科書らしい。正確に物理化学とは何かと言ったら私も知らないが、物理学のような化学といった感じではないかと思う。
賢治がこんな本を愛読していたとは私も知らなかったが、私もバーローの『物理化学』を時々めくっている。
物理と化学は、共に物質とエネルギーを扱うが、物理の方が基礎的なものを扱う。化学は、やや応用になると思う。
化学では、気体の体積は圧力に反比例し、温度(絶対温度)に比例することを扱う。その原理として、一応は、分子の数や分子運動で説明するが、分子や原子、あるいは、素粒子を扱うのは物理である。
化学は事実を示すが、物理は人間の作った理屈であり、幻想のようなものだ。言い換えれば、物理学者の共有する幻想が物理学だ。
化学では、現象の本質的真理に関しては、神に任せているようなところがあるかもしれない。
物理学・・・ことに理論物理学は、神に挑戦し、挙句、ホーキングのように、神はいないと言う。
物理化学は、神の世界にほんの少し足を突っ込むが、慎み深さは忘れていない。あくまで化学なのだと思う。
まあ、いろんな見方があるとは思うが、私はこう思う。
化学は面白い。
賢治が化学好きだったのは、何か分かるような気がするのである。
私もそうであるのだが、あまり分からなくても、化学の本を読むのは良いことと思う。
ただし、いかにも簡略にまとめたような、いわゆる「すぐ分かる」とか「早分かり」なんて本は駄目で、あくまで丁寧にしっかりと説明したものでなくてはならない。
そして、ほんの少しでも分かってくると、真理を見通す感覚が得られるように思う。
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また、それがいかに偉大な人物の座右の書であったとしても、他人の座右の書が自分に相応しいとは限らない。
中山正和さんの本で見たが、我が国屈指の数学者であった岡潔さんは、道元の『正法眼蔵』を、意味はさっぱり分からないのに座右の書としていたらしい。ところが20年ほど経ったある日、岡さんに不意に天啓が訪れ、一瞬で『正法眼蔵』の全てが理解できたという。
そして、中山さんも岡さんに倣って『正法眼蔵』を座右の書としていたところ、やはり、20年くらいで同じようなことがあったようだ。
ところで、宮沢賢治の座右の書というのが面白い。
それは、片山正夫という物理化学者の書いた『化学本論』である。
これは物理化学の教科書らしい。正確に物理化学とは何かと言ったら私も知らないが、物理学のような化学といった感じではないかと思う。
賢治がこんな本を愛読していたとは私も知らなかったが、私もバーローの『物理化学』を時々めくっている。
物理と化学は、共に物質とエネルギーを扱うが、物理の方が基礎的なものを扱う。化学は、やや応用になると思う。
化学では、気体の体積は圧力に反比例し、温度(絶対温度)に比例することを扱う。その原理として、一応は、分子の数や分子運動で説明するが、分子や原子、あるいは、素粒子を扱うのは物理である。
化学は事実を示すが、物理は人間の作った理屈であり、幻想のようなものだ。言い換えれば、物理学者の共有する幻想が物理学だ。
化学では、現象の本質的真理に関しては、神に任せているようなところがあるかもしれない。
物理学・・・ことに理論物理学は、神に挑戦し、挙句、ホーキングのように、神はいないと言う。
物理化学は、神の世界にほんの少し足を突っ込むが、慎み深さは忘れていない。あくまで化学なのだと思う。
まあ、いろんな見方があるとは思うが、私はこう思う。
化学は面白い。
賢治が化学好きだったのは、何か分かるような気がするのである。
私もそうであるのだが、あまり分からなくても、化学の本を読むのは良いことと思う。
ただし、いかにも簡略にまとめたような、いわゆる「すぐ分かる」とか「早分かり」なんて本は駄目で、あくまで丁寧にしっかりと説明したものでなくてはならない。
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良心は身体(五官)の上司にあたり、良心が五官を統率するもので、働く五官は、正く聞き、正しく見、正しく食し、正しく嗅ぎ、正しく動作する。 良心は内側にあって目には見えないけれど常に五官を支配しているのでそれらが正しく働いているか取り仕切ることが大切だと。
良心は身体(五官)の上司であるから、部下である身体を楽にしてやり苦しめてはならない。そして五官は上司の命令に従い勝手なことをせず、それぞれの仕事を真摯に努めあげなければならないと。 具体的で分かりやすかったので、ここに挙げさせていただきました。
挙げて分かったことは、良心が五官を統率するという単純かつ具体的な関係に気付かず、両者がてんでバラバラに生きていたようです。 これからは具体的に良心が五官を指揮するよう、意識することにします。 又、私的なお話ですみません。