特技を持っている人が、その特技を得たきっかけというのは、何と言うべきか・・・他愛ないというか、奇妙というか、とにかく、あまり「まとも」じゃない。
ビル・ゲイツは、ハーバード大に入った時は数学者になろうと思っていたらしい。しかし、数学家の学生を見ると、「絶対にこんなやつに敵うはずがない」というような天才ばかりに思え、それで数学者は諦めたらしい。
それで、ゲイツは、プログラマになり、コンピュータソフトの事業家になり、現在は、慈善事業とエネルギー事業をやっている。
しかし、考えてみると、それらは全て、彼の意思というよりは、むしろ、「なりゆき」に近いように感じる。
野球の王貞治さんが野球選手になったのは、草野球で右打ちをしていたが、たまたま通りかかった野球の選手かコーチに「左で打ってみなさい」と言われたことがきっかけだったという。
彼らのような超一流に関しては、時々、彼らがその道に入ったきっかけを知ることがあるが、まあ、ほとんどが「なりゆき」だ。
そして、それは、無名の者であろうと、誰も同じなのだ。
私がコンピュータのソフト開発をやっているのも、社会人になって2年ほど営業の仕事をして、それが向いてなかったのでやめ、やや疲れてしまって、無気力に事務の仕事をしていた時、たまたま前の席にいた技術課長に、コンピュータプログラミングの勉強でもしたらどうかと言われたことがきっかけだった。
ある教育関係の大事業家は、大学生の時、ボランティアで子供達を教えていて、報酬は無かったが、子供の親からお菓子などを貰うと、それが嬉しかったのが、教育の仕事に入ったきっかけだったという。なんとも他愛ないものである。
ここで、少し見えてきたことは、いくらかでも上手くやっている人が、それを始めたきっかけは、「他愛ない」とか「なりゆき」であると共に、無欲、あるいは、それほど欲がなかったということだ。
「俺はこれで金持ちになってやるぞ」と思って始めたことで成功した者は、おそらくほとんどいないと思う。
また、切羽詰った状況で、好きでなかったがやむなく始めたとか、無理矢理やらされたという場合は、成功しても、やがて不幸になる可能性がある。それは、彼ら次第だが、かなり難しい生き方であると思うので、ここでは置いておく。
以前、テレビで、ネット株取り引きで成功し、凄い収入(月に数十億円もザラ)を得ている若者を見たが、彼も、始めたきっかけはちょっとした偶然で、大儲けした今も、全然欲がなく、楽しみは昼に500円くらいの蕎麦を食べることらしい。
彼のようになろうとしてネット株やFXを始めて良い思いをした者はあまりいないと思うし、それどころか、酷い目に遭っていることが多いのだ。直感的に言うが、それは当たり前のことと思う。
あなたも、本来は、たまたまやることになったことを、気楽に、そして、本性のままにやっていれば、大成功か小成功かは分からないが、とにかく自然にうまくいったはずなのだ。
それを、親の方針だの、世間的な評判だのといったつまらないことを考えて駄目になってしまった場合が多いに違いない。
子供が何かをやりたいと言った時、親が、「いまどきそんな仕事、ちっとも儲からないよ」とか、「偉い人になれないわよ」反対したりする。
だが、それをやっていれば、子供は幸せになれたのだ。別に、儲かったはずというのではない。だが、なんとか食べていく位はできたはずだし、ことによれば、金持ちにだってなったかもしれない。しかし、最初から金を目当てにやって何事もうまくはいかないし、うまくいったように見えても、それは、ほんの一時的なものだ。金など問題ではなく、自然ななりゆきで取り組むことになったことをやれば、傍目にはどう見えても、充実し、穏やかに生きられたのだ。
思慮分別を離れ、なりゆきに任せることを何度も教えた『荘子』を読めば、何かを感じるかもしれない。
だが、現代においては、なりゆきに任せる・・・別の言い方では、神に任せるということであるが、それは難しいものになっている。だから、幸福な人は極めて少ないのだろう。
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ビル・ゲイツは、ハーバード大に入った時は数学者になろうと思っていたらしい。しかし、数学家の学生を見ると、「絶対にこんなやつに敵うはずがない」というような天才ばかりに思え、それで数学者は諦めたらしい。
それで、ゲイツは、プログラマになり、コンピュータソフトの事業家になり、現在は、慈善事業とエネルギー事業をやっている。
しかし、考えてみると、それらは全て、彼の意思というよりは、むしろ、「なりゆき」に近いように感じる。
野球の王貞治さんが野球選手になったのは、草野球で右打ちをしていたが、たまたま通りかかった野球の選手かコーチに「左で打ってみなさい」と言われたことがきっかけだったという。
彼らのような超一流に関しては、時々、彼らがその道に入ったきっかけを知ることがあるが、まあ、ほとんどが「なりゆき」だ。
そして、それは、無名の者であろうと、誰も同じなのだ。
私がコンピュータのソフト開発をやっているのも、社会人になって2年ほど営業の仕事をして、それが向いてなかったのでやめ、やや疲れてしまって、無気力に事務の仕事をしていた時、たまたま前の席にいた技術課長に、コンピュータプログラミングの勉強でもしたらどうかと言われたことがきっかけだった。
ある教育関係の大事業家は、大学生の時、ボランティアで子供達を教えていて、報酬は無かったが、子供の親からお菓子などを貰うと、それが嬉しかったのが、教育の仕事に入ったきっかけだったという。なんとも他愛ないものである。
ここで、少し見えてきたことは、いくらかでも上手くやっている人が、それを始めたきっかけは、「他愛ない」とか「なりゆき」であると共に、無欲、あるいは、それほど欲がなかったということだ。
「俺はこれで金持ちになってやるぞ」と思って始めたことで成功した者は、おそらくほとんどいないと思う。
また、切羽詰った状況で、好きでなかったがやむなく始めたとか、無理矢理やらされたという場合は、成功しても、やがて不幸になる可能性がある。それは、彼ら次第だが、かなり難しい生き方であると思うので、ここでは置いておく。
以前、テレビで、ネット株取り引きで成功し、凄い収入(月に数十億円もザラ)を得ている若者を見たが、彼も、始めたきっかけはちょっとした偶然で、大儲けした今も、全然欲がなく、楽しみは昼に500円くらいの蕎麦を食べることらしい。
彼のようになろうとしてネット株やFXを始めて良い思いをした者はあまりいないと思うし、それどころか、酷い目に遭っていることが多いのだ。直感的に言うが、それは当たり前のことと思う。
あなたも、本来は、たまたまやることになったことを、気楽に、そして、本性のままにやっていれば、大成功か小成功かは分からないが、とにかく自然にうまくいったはずなのだ。
それを、親の方針だの、世間的な評判だのといったつまらないことを考えて駄目になってしまった場合が多いに違いない。
子供が何かをやりたいと言った時、親が、「いまどきそんな仕事、ちっとも儲からないよ」とか、「偉い人になれないわよ」反対したりする。
だが、それをやっていれば、子供は幸せになれたのだ。別に、儲かったはずというのではない。だが、なんとか食べていく位はできたはずだし、ことによれば、金持ちにだってなったかもしれない。しかし、最初から金を目当てにやって何事もうまくはいかないし、うまくいったように見えても、それは、ほんの一時的なものだ。金など問題ではなく、自然ななりゆきで取り組むことになったことをやれば、傍目にはどう見えても、充実し、穏やかに生きられたのだ。
思慮分別を離れ、なりゆきに任せることを何度も教えた『荘子』を読めば、何かを感じるかもしれない。
だが、現代においては、なりゆきに任せる・・・別の言い方では、神に任せるということであるが、それは難しいものになっている。だから、幸福な人は極めて少ないのだろう。
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金や地位、名誉などは持って死ねるものではないでしょうし、現実にそれらを得た人たちが各々の晩年を安らかに幸せ感をもって過ごしたであろうか?そうは思えません。 喰えればいいのだ!と開き直り、良心と慰め合いながら、素直な流れに生き切れば、十分に納得出来る人生になります。 何の変哲もない処に存在する幸せがそっと教えてくれるようです。