私はかつて、DNA(デオキシリボ核酸)による遺伝子情報の解明により、生命の謎が解けたように思い込んでいたことがあったが、実際は、それにより、生命の謎はさらに深まったと言うべきだろう。
遺伝子は生命体の設計図のようなものだが、人間だって設計図くらい書く。しかし、そこに置いておいた設計図から、勝手に機械や電子回路や建築物ができたりしない。なぜ生命体が成長するかに関する全ての説は単なる空想だと思う。
成長だけではない。
生きている生命体なら形を保つが、生命が去ると、腐敗し朽ち果てる。
成長と維持には生命という不可思議なものが関わることが分かるが、物質的な思考では、生命を全く理解できない。

人間も他の生物も老化するが、人間だけは老化を支配する可能性がある。
世間は、普通の長寿については注目し、賞賛するが、世間の常識に合わない長寿・・・たとえば、全く老化しないとか、不死であるといったものを認識することはない。
だから、世間には不老不死は存在しないし、世間的な人間にとってはも、やはりそんなものは無いのだろう。
だが、明治時代の長南年恵(おさなみとしえ)のように、43歳で亡くなるまで少女のような容姿であったという人もいたらしい。彼女は、別に老化で死んだのではなく、必要だったので、あの世に行っただけだろう。
実際、知られていないだけで、不老不死といったことは、よくあるのだろうと思う。
そして、動物には、そのような極端なことは起こらない。

人間と動物の違いは何かというと、頭脳の発達ということになるが、もっと注目すべきは、頭脳を発達させたものである。
人間は3万年くらい前から急激に知能を発達させたが、脳の容量自体は20万年ほど前から変わらず、むしろ、古代の方が大きかったようだ。
動物や古代の人類と、現代の人類の最大の、もっと根本的な違いは何だろう?
道徳と言うなら、それは動物にだって明らかにあることは、『シートン動物記』の、特に狼王ロボの話を読めば分かるし、動物にもある種の道徳があることは、C.G.ユングもはっきりと認めている。
では、本当に人間固有のものは何かというと、良心なのである。
道徳は、伝統やしきたりであり、記憶から生じるものだ。
しかし、良心は、心を超えた魂から、あるいは、聖霊や神からのものだとしか言えない。
良心は、本能や道徳に逆らうことも少なくはない。
そして、良心のレベルは、本能や道徳と比較にならない。
人間は、良心を目覚めさせるほどに、生命の根源に近付き、肉体を含め、物質に対する支配力を高めるということが、古代からの賢者達の共通する直覚と言って良いと思う。
良心とは何か、どうすればそれを心の奥底から掘り起こせるのかは、世間にあるつまらないまがい物とは比較にならない価値がある。
それは、ちょっと綺麗なガラス玉を争って、ダイヤに目を向けないようなことだ。
感覚的、肉体的な快楽ばかり求めるのはやめ、本当に良いものを求めようではないか。









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