人間の・・・ではなく、私のと言うしかないかもしれないが、人生の目標は「黙って耐える」ことである。
しかし、これは忍耐とは異なる。
適当な言葉が無いので、言葉のリズムとか色合いという意味で比較的しっくりくる「黙って耐える」という言い方をしている。
忍耐とは、「忍んで耐える」、つまり、我慢して耐えるという意味である。
我慢とは、「他人と比較して、自分は素晴らしいと慢心する」こと、つまり、自己満足であり、仏教でも単なる煩悩とされている。
しかし、「黙って耐える」とは、一言で言えば、むしろ、「沈黙」である。「しじま」であるのだ。
「忍耐」は自己を肯定することであり、「黙って耐える」とは自己否定である。

もっと簡単に言いたい。
「忍耐」の場合、忍耐する立派な自分がいる。
しかし、「黙って耐える」自分は、ちっとも立派じゃない。
「忍耐」では、「遊びたいのを我慢して勉強し、○○大学に合格するぞ」「辛いトレーニングに耐え、金メダルを取るぞ」という目的がある。
しかし、「黙って耐える」ことには、何の目的もない。
だから、別に世間的に有意なことのために耐えるのではない。

タツノコプロのキャシャーンといえば、1973年のアニメ『新造人間キャシャーン』のヒーローで、その後、4話の短編アニメが1993年に制作され、宇多田ヒカルさんの当時の夫が監督し、宇多田さんが主題歌を作った映画『CASSHERN』が2004年に公開され、2008年には『キャシャーン Sins』が放送された。
最も古いアニメ『新造人間キャシャーン』では、キャシャーンは、人類征服を目論むアンンドロ軍団と戦う、人類のヒーローだったが、ある時、キャシャーンもロボットであることが明かされ、人々は一転、キャシャーンを蔑み嫌悪するようになる。
そして、ある街がアンドロ軍団に滅ぼされる寸前で万策尽きた時、人々はキャシャーンに、「お前の真意を証明しろ。本当に俺達の味方だと言うなら、爆弾を身体に付けて敵の中に飛び込め」と言う。
だが、キャシャーンにだって、それをやったからといって、人々がキャシャーンを見直すことも、信用することも、好きになることもないことは分かっていただろう。しかし、一時的とはいえ、状況を打開するには、この手しかないと思ったキャシャーンは、同意し、高性能爆弾を全身に装着し、敵の中に突進する。
黙って耐えることの良い見本であると思う。

昨夜もだが、私が病気になったり怪我をしたと書くと、親切な人が、「早く治ればいいですね」とコメントしてくれることがある。
また、「こうすれば治りますよ」とか、あるいは、「君はこんなだから治らないのだ」と述べる人もいる。
しかし、私は、治す気はさらさらないし、治れば良いとも思っていない。
ただ、黙って耐えるのである。
学校や職場がどれほど辛くても、改善しようなどと思わず黙って耐えるという道もある。

黙って耐えるとは、良心に従うことである。
場合によっては、「なぜそれが良心なのか」分からない、つまり、理屈に合わないこともあるし、それは多いが、やはり、黙って耐えることが良心である。

『銀河鉄道の夜』で、カムパネルラが、川に落ちたザネリを追って川に飛び込んだのは、人々に誉められるためでも、級友を見捨てた臆病者とそしられることを恐れたからでもない。しかも、ザネリは親友のジョバンニを、いつも辛く悲しい目に遭わせるやつだった。
カムパネルラは、ただ良心に従うことができたのだ。
冨田勲さんの『イーハトーヴ交響曲』の第5幕『銀河鉄道の夜』で、初音ミクが「ケンタウルスよ、露降らせ」と繰り返し歌うのを聞くと、星の良心、宇宙の良心、神の良心を感じるのである。そして、それは、誰もが心の奥深くに同じものを持っていることが分かるのである。
我々の内には星があり、宇宙があり、神があるのだろう。
『銀河鉄道の夜』と『イーハトーヴ交響曲』は、小説と音楽という違いはあっても、良心で創られた我が国の二つの最高の作品であると思う。









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