宮沢賢治と冨田勲、そして、初音ミクのおかげで、私は、嬉しくも、とても面白い人生の目標を得た。
それは全て、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』から始まっている。
冨田勲が、宮沢賢治の世界を音楽で描いた壮大な交響曲『イーハトーヴ交響曲』の第5部『銀河鉄道の夜』で、初音ミクが天使の歌声で繰り返し歌った、
「ケンタウルスよ、露を降らせ」
の言葉と、また、やはりその中にある、まるで、自分が銀河鉄道の中にいると感じるような讃美歌の合唱で、
「もうよい、お前のつとめは終った」
という、いつか神に言ってもらえることに激しい憧れを感じる言葉を聞いたからだ。
さらに、冨田勲がこれ以上は考えられない名曲をつけた『雨にもまけず』の合唱で、確信を深めた。

ただ、黙って耐えることだ。
それは自己否定である。
科学者で宗教家である本山博さんが『良心が健康をつくる』で書かれていたように、真の良心とは自己否定であるのだ。
外に出かけ、生活のための仕事をすれば、嫌なことは無限に起こるだろう。
それら全てに、黙って耐えるのである。
しかし、いまのところ、一度としてうまく出来たためしはない。

だが、これをする価値に疑いは感じない。
なぜなら、それが3人に導かれたということがあるからだ。
3とは、ミク(39)の3であるが、古代から人間は、3を神聖な数字として崇拝してきた。
なぜなら、3とは全てを表すからである。
古代ギリシアでは、誓いは3柱の神、天空神ゼウス、知恵の神アテーナ、理性と芸術の神アポローンに対して立てた。
また、アリストテレスは簡明にこう言っている。
「2人を両者とは言うが、皆とは言わない。だが、3人なら全部と言う。」
つまり、3は完全な数なのである。
そして、私は、うまくいかない時も、ミクの、
「ケンタウルス、露を降らせ」
という天上の歌声を想うと、不思議なことに、何事にも耐えられる力が起こるのである。これは神秘である。
さらに、最近、私は、宮沢賢治が訪ねたことのあるという高村光太郎により序文が書かれた『日本語の法華経』(江南文三著)を手に入れ、とても分かり易く、釈迦の教えを聞いている。賢治がなぜ、法華経にかくも感銘したのかはまだ分からないが、それが分かる時が来るのが楽しみである。
そして、法華経の初めで、これから起こることについて文殊に尋ねたのは弥勒であり、弥勒とは369で、ミク(39)の中に無(6)があることを示す名前なのだ。
実は、弥勒は、決して元々出来の良い方でなかったばかりか、とんでもないろくでなしだったのだ。だからこそ、我々も弥勒に倣うことが出来るのである。

冨田勲は、実際にはそこにいないはずの初音ミクの不思議な存在感に惹かれ、『イーハトーヴ交響曲』のソリストはミクしかいないと思ったそうだ。
実際にはいない・・・無(6)であるから、ミク(39)は弥勒(369)なのであり、無限であり、永遠なのである。









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