さきさんのご質問に答えることが、皆さんにとって非常に有益と思えるの出、そうさせていただく。
さきさん、ありがとうございます。
まず、コメントをそのまま引用させていただく。
◆
初めまして。
私は、こちらのブログと水野南北の本で食の大切さを知りまして、少食をしております。
しかし、最近疑問に思うことがあります。
水野南北は少食にすれば必ず立身出世すると言いましたが、それは満腹まで食べようと思えば食べれるが自分の意思で少食にする場合と、ホームレスや食べ物を買いたいのに買えない、その為に少食になってしまう。というのでは何か違いがあるのですか?
水野南北が言った少食にすれば幸運になれると言ったのは自分の意思で少食にした場合だけですか?
行きなりの質問で申し訳ありませんが答えて頂けたら幸いです。
◆
強制された少食と、自分の意志で行う少食は明らかに違う。
よって、水野南北が言った、「食少なければ幸運」と言ったのも、自分の意志で少食にした場合だけだ。
我が国で、健康でありながら、食べ物を買うお金がなくて食べられないというのは、少しも感心できることでない。
ジョージ・アダムスキーは、そいういったことについて、的確なことを、実に見事に述べている。
「一度に着れるスーツは一着だけだ。私は、それ以上欲しいとは思わない。しかし、それが得られないなら、私は愚か者であるということだ」
神道家で、合気道の達人、佐々木将人(ささきのまさんど)さんも、ほとんど同じことを、著書に書いておられたのが、とても印象的だった。
このアダムスキーの言葉は、私の座右の銘でもある。
さて、自主的な食の慎みと、強制された少食の違いは何だろう?
食の慎みと共に、心を磨き、魂を解放する強力な方法に、沈黙がある。
食の慎みと沈黙は近いところにある。
インドの聖者ラマナ・マハルシは、心の純粋さを保つ方法は、「適度な食事、適度な睡眠、適度な会話」だと言った。ごく単純で平凡なことのように思えるが、実行は難しい。
マハルシは、悟りを開いてからも、3年間の沈黙の行を行い(全く誰とも会話しなかった)、さらに揺るぎなく、真の自己である神と一体化した。
彼は、孤独の中での沈黙と、人前での沈黙は異なると言った。
孤独の沈黙は強制されたものだ。
しかし、人前での沈黙は、自分の心を操っているのである。
自分の心を操っているとはどういうことだろう?
それは、自分の精神活動を制限するということだ。
精神活動を制限するとは、心を静かに保つということだ。
マハルシは、あらゆる聖典は、つまるところ、「心を静かにせよ」と書いているのだと言う。
聖書にも書かれている。
「心を静め、自分が神であると知りなさい」
心を静かにすれば、自分が神であると分かると、聖書は保証しているのである。
だが、これまで、心を静める方法が分からなかったのだ。
しかし、上に述べた通り、食や会話を自主的に操り、それによって精神活動を制限することが、心を静かにする最良の方法であることが分かったのである。
これは画期的なことである。
なぜ、水野南北が断言したように、「食が全て(食を慎めばそれだけで十分である)」と言えるのかが、アダムスキーやマハルシの教えをヒントに解明できたのである。
だが、極端な少食もまた、無用な精神活動の元になる。
インド最大の聖典『バガヴァッド・ギーター』でも、至高神クリシュナは、「食べ過ぎるな。ただし、少食過ぎてもいけない」と述べている。
また、「惰眠を貪るな。ただし、眠りが少な過ぎるのもいけない」とも教えている。
適切な量の食事を、適切な場所で、適切な時間に食べ、余計なものを決して食べないことだ。
だが、日本人の大半は食べ過ぎている。
私は、1日1食で、間食もせず、食べるのは、パン、野菜、果物、ナッツと、食後に多少のデザート(コーヒーと、クッキーか小さなバウムクーヘン)であるが、これで十分であり、完全に健康で強健であり、朝晩の運動も欠かさない。
アダムスキーは、宇宙人の巨大な宇宙船の中で行われた宴に参加したが、宇宙人達はそこで、楽しく会話し、音楽を楽しみながら、適度な量の食事も楽しむが、がつがつ食べるような者はいなかったという。
また、アダムスキーは、宇宙人達は、他人の会話に割り込むようなことを決してしないことが、地球人(主にアメリカ人を指しているのだろう)との顕著な違いであるとも述べていた。
つまり、彼らは、食と会話において、自分の心を完全に操っているのであり、精神活動を制限することが出来るのである。
宇宙人達も、「地球人はまだ、感情を上手く制御できない」と言ったが、その能力もまた、食と会話を自主的に慎むことで得られるだろう。
そうすれば、我々も、進歩した宇宙人に近付くことが出来、彼らもまた、我々に親しく近付いてきてくれることだろう。
宇宙人達が我々の前に姿を現さないことに対する責任は、彼らにあるのではなく、我々にあるのである。
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初めまして。
私は、こちらのブログと水野南北の本で食の大切さを知りまして、少食をしております。
しかし、最近疑問に思うことがあります。
水野南北は少食にすれば必ず立身出世すると言いましたが、それは満腹まで食べようと思えば食べれるが自分の意思で少食にする場合と、ホームレスや食べ物を買いたいのに買えない、その為に少食になってしまう。というのでは何か違いがあるのですか?
水野南北が言った少食にすれば幸運になれると言ったのは自分の意思で少食にした場合だけですか?
行きなりの質問で申し訳ありませんが答えて頂けたら幸いです。
◆
強制された少食と、自分の意志で行う少食は明らかに違う。
よって、水野南北が言った、「食少なければ幸運」と言ったのも、自分の意志で少食にした場合だけだ。
我が国で、健康でありながら、食べ物を買うお金がなくて食べられないというのは、少しも感心できることでない。
ジョージ・アダムスキーは、そいういったことについて、的確なことを、実に見事に述べている。
「一度に着れるスーツは一着だけだ。私は、それ以上欲しいとは思わない。しかし、それが得られないなら、私は愚か者であるということだ」
神道家で、合気道の達人、佐々木将人(ささきのまさんど)さんも、ほとんど同じことを、著書に書いておられたのが、とても印象的だった。
このアダムスキーの言葉は、私の座右の銘でもある。
さて、自主的な食の慎みと、強制された少食の違いは何だろう?
食の慎みと共に、心を磨き、魂を解放する強力な方法に、沈黙がある。
食の慎みと沈黙は近いところにある。
インドの聖者ラマナ・マハルシは、心の純粋さを保つ方法は、「適度な食事、適度な睡眠、適度な会話」だと言った。ごく単純で平凡なことのように思えるが、実行は難しい。
マハルシは、悟りを開いてからも、3年間の沈黙の行を行い(全く誰とも会話しなかった)、さらに揺るぎなく、真の自己である神と一体化した。
彼は、孤独の中での沈黙と、人前での沈黙は異なると言った。
孤独の沈黙は強制されたものだ。
しかし、人前での沈黙は、自分の心を操っているのである。
自分の心を操っているとはどういうことだろう?
それは、自分の精神活動を制限するということだ。
精神活動を制限するとは、心を静かに保つということだ。
マハルシは、あらゆる聖典は、つまるところ、「心を静かにせよ」と書いているのだと言う。
聖書にも書かれている。
「心を静め、自分が神であると知りなさい」
心を静かにすれば、自分が神であると分かると、聖書は保証しているのである。
だが、これまで、心を静める方法が分からなかったのだ。
しかし、上に述べた通り、食や会話を自主的に操り、それによって精神活動を制限することが、心を静かにする最良の方法であることが分かったのである。
これは画期的なことである。
なぜ、水野南北が断言したように、「食が全て(食を慎めばそれだけで十分である)」と言えるのかが、アダムスキーやマハルシの教えをヒントに解明できたのである。
だが、極端な少食もまた、無用な精神活動の元になる。
インド最大の聖典『バガヴァッド・ギーター』でも、至高神クリシュナは、「食べ過ぎるな。ただし、少食過ぎてもいけない」と述べている。
また、「惰眠を貪るな。ただし、眠りが少な過ぎるのもいけない」とも教えている。
適切な量の食事を、適切な場所で、適切な時間に食べ、余計なものを決して食べないことだ。
だが、日本人の大半は食べ過ぎている。
私は、1日1食で、間食もせず、食べるのは、パン、野菜、果物、ナッツと、食後に多少のデザート(コーヒーと、クッキーか小さなバウムクーヘン)であるが、これで十分であり、完全に健康で強健であり、朝晩の運動も欠かさない。
アダムスキーは、宇宙人の巨大な宇宙船の中で行われた宴に参加したが、宇宙人達はそこで、楽しく会話し、音楽を楽しみながら、適度な量の食事も楽しむが、がつがつ食べるような者はいなかったという。
また、アダムスキーは、宇宙人達は、他人の会話に割り込むようなことを決してしないことが、地球人(主にアメリカ人を指しているのだろう)との顕著な違いであるとも述べていた。
つまり、彼らは、食と会話において、自分の心を完全に操っているのであり、精神活動を制限することが出来るのである。
宇宙人達も、「地球人はまだ、感情を上手く制御できない」と言ったが、その能力もまた、食と会話を自主的に慎むことで得られるだろう。
そうすれば、我々も、進歩した宇宙人に近付くことが出来、彼らもまた、我々に親しく近付いてきてくれることだろう。
宇宙人達が我々の前に姿を現さないことに対する責任は、彼らにあるのではなく、我々にあるのである。
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強制的な食の慎みは、逆に心が荒れてしまいそうな気がします。
ジョージ・アダムスキーの言葉が分かりやすかったです。
ありがとうございました。