イギリスの物理学者スティーブン・ホーキングは、神は存在しないと言ったらしい。
ただ、言葉で言ったことというものは、どんな状況で、どんな意味で述べたのかに配慮しないと、発言した本人の意図とずれていたり、正反対に理解しかねない。
まして、日本のマスコミのように、発言の一部を切り出して、発言者の意図が全く分からないようにすれば、聞く者は、曲解や誤解をするのは当たり前である。
ただ、今回は、マスコミによる大衆思想の操作がテーマではない。
よって、ホーキングが、神はいないと述べた意図を知った上でなければ、それについて検討、考察、批判は出来ないのだが、私はホーキングではないので、それは不可能だ。
あえて一言述べると、ホーキングは余計なことを言うべきでなかった。彼には何らかの意図や信念はあったのだろうが、それは誤解を生むだけで何の役にも立たないのだ。
そのような訳で、ホーキング個人については考えず、一般論として述べよう。
優れた科学者や技術者、あるいは、芸術家やビジネスマンであっても、自分の仕事が大きく発展する時には、素晴らしいアイディアがあることが分かるはずだ。
それがたとえ、他人のアイディアであっても、それを聞いた時に、あなたは、はっとしたとか、ゾクっとしたとか、「それだ!」と言って手を叩いたりしたのだ。
そして、こんなことを言うかもしれない。
「こんな素晴らしいアイディアを思いつくなんて、俺は何て頭が良いんだ」
しかし、もしそれが本当に良いアイディアであれば、それは考えた末に論理的に出てきたものではなく、不意に浮かんだ直感であることが分かるはずだ。
その直感を、神から来たものであると思うか、いや、あくまで、自分の頭の中で起こった個人的なものであると考えるかによって、神を信じるかどうかは決まるのだろう。
ただ、その時は素晴らしいアイディアだと思っても、後で、それが下らない思いつきであったことが分かることもある。
だが、本当の直感は、それを得た時に、思考が根こそぎ奪われ、心は深い静寂と敬虔さに満たされるものだ。そして、失望させられることは決してない。
偉大な科学者や哲学者や芸術家は、人類にとっても重要な仕事をした際、必ずそんな本物の直感を感じていたはずであり、それは、しばしば、啓示とか天啓と言われる。
しかし、彼らほどの人間でも、その、霊感に満たされた至福の時のことを忘れてしまうのだ。
そして言うのだ。「神はいない」と。
大きな悩み事があったり、人生の道に迷った時、大きな自然に触れたくなるものだろう。
山に登ったり、大きな滝を見ていると、迷いが消え、道が見えて来る。
その時に得る答は常に正しく、後で後悔することはない。
それが果たして、自分の頭の中の計算であったりするのだろうか?
「その通りだ。雄大な自然に接して、頭がすっきりし、本来の計算能力を取り戻したから、良い答が出たのだ」
と言う人もいるだろう。
だが、そんな人は、やがて大きく行き詰るのだ。
それを何度も繰り返し、幾たびも繰り返し頭を打つ経験をするうちに、ようやく、自然を支配するある力に対して謙虚になる。
しかし、その時はもはや、不幸のどん底であるかもしれない。
たとえそうであっても、最後に神に出逢えれば幸福であろう。
けれども、そんなに苦労をしなくても、最初から身の程をわきまえていれば良かったのではないか?
だから慈悲深き神は、デルポイの巫女に直感という形で神託を与え、それを神殿の入り口に刻ませて誰でも見れるようにし、人々に無用な苦悩を与えまいとしたのだ。
その第一が、「身の程を知れ」である。
デルポイを知るはずもない徳川家康も、天下を取る秘訣は、「身の程を知る」ことであると言ったのだ。
ただ、天下を取るとは、大統領や総理大臣になったり、国家間、あるいは企業間の戦争に勝利することではない。
ただ、魂が解放されることである。
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ただ、言葉で言ったことというものは、どんな状況で、どんな意味で述べたのかに配慮しないと、発言した本人の意図とずれていたり、正反対に理解しかねない。
まして、日本のマスコミのように、発言の一部を切り出して、発言者の意図が全く分からないようにすれば、聞く者は、曲解や誤解をするのは当たり前である。
ただ、今回は、マスコミによる大衆思想の操作がテーマではない。
よって、ホーキングが、神はいないと述べた意図を知った上でなければ、それについて検討、考察、批判は出来ないのだが、私はホーキングではないので、それは不可能だ。
あえて一言述べると、ホーキングは余計なことを言うべきでなかった。彼には何らかの意図や信念はあったのだろうが、それは誤解を生むだけで何の役にも立たないのだ。
そのような訳で、ホーキング個人については考えず、一般論として述べよう。
優れた科学者や技術者、あるいは、芸術家やビジネスマンであっても、自分の仕事が大きく発展する時には、素晴らしいアイディアがあることが分かるはずだ。
それがたとえ、他人のアイディアであっても、それを聞いた時に、あなたは、はっとしたとか、ゾクっとしたとか、「それだ!」と言って手を叩いたりしたのだ。
そして、こんなことを言うかもしれない。
「こんな素晴らしいアイディアを思いつくなんて、俺は何て頭が良いんだ」
しかし、もしそれが本当に良いアイディアであれば、それは考えた末に論理的に出てきたものではなく、不意に浮かんだ直感であることが分かるはずだ。
その直感を、神から来たものであると思うか、いや、あくまで、自分の頭の中で起こった個人的なものであると考えるかによって、神を信じるかどうかは決まるのだろう。
ただ、その時は素晴らしいアイディアだと思っても、後で、それが下らない思いつきであったことが分かることもある。
だが、本当の直感は、それを得た時に、思考が根こそぎ奪われ、心は深い静寂と敬虔さに満たされるものだ。そして、失望させられることは決してない。
偉大な科学者や哲学者や芸術家は、人類にとっても重要な仕事をした際、必ずそんな本物の直感を感じていたはずであり、それは、しばしば、啓示とか天啓と言われる。
しかし、彼らほどの人間でも、その、霊感に満たされた至福の時のことを忘れてしまうのだ。
そして言うのだ。「神はいない」と。
大きな悩み事があったり、人生の道に迷った時、大きな自然に触れたくなるものだろう。
山に登ったり、大きな滝を見ていると、迷いが消え、道が見えて来る。
その時に得る答は常に正しく、後で後悔することはない。
それが果たして、自分の頭の中の計算であったりするのだろうか?
「その通りだ。雄大な自然に接して、頭がすっきりし、本来の計算能力を取り戻したから、良い答が出たのだ」
と言う人もいるだろう。
だが、そんな人は、やがて大きく行き詰るのだ。
それを何度も繰り返し、幾たびも繰り返し頭を打つ経験をするうちに、ようやく、自然を支配するある力に対して謙虚になる。
しかし、その時はもはや、不幸のどん底であるかもしれない。
たとえそうであっても、最後に神に出逢えれば幸福であろう。
けれども、そんなに苦労をしなくても、最初から身の程をわきまえていれば良かったのではないか?
だから慈悲深き神は、デルポイの巫女に直感という形で神託を与え、それを神殿の入り口に刻ませて誰でも見れるようにし、人々に無用な苦悩を与えまいとしたのだ。
その第一が、「身の程を知れ」である。
デルポイを知るはずもない徳川家康も、天下を取る秘訣は、「身の程を知る」ことであると言ったのだ。
ただ、天下を取るとは、大統領や総理大臣になったり、国家間、あるいは企業間の戦争に勝利することではない。
ただ、魂が解放されることである。
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ホーキング博士の中で認識していた「神」は存在しなかった、のではないでしょうか・・。
「神」とは?その誤解がネックとなるのでしょう・・。
「神」と言った瞬間、「神」は消えてしまいます。
なぜなら、未知のものを既知のもので示そうと、無理が生じるから・・。
そして物理学者としての立場。既存宗教への警鐘。
そんな感じだと・・・。
しかし、ホーキング氏がどう発言しようと、何も変わることはありません・・。