知っている人はよく知っていても、知らない人は全く知らないことだが、アメリカ合衆国の公式のモットー(標語)は「我々は神を信じる(In God We Trust)」である。
これは、1956年にアメリカの公式なモットーとなったが、南北戦争(1861-1865)の時には既に知られており、1864年に2セント硬貨に表記され、現在は、アメリカの全ての硬貨、紙幣にそう書かれていると思う。
だが、アメリカにだって、イギリスのスティーブン・ホーキング博士のように、「神は存在しない」と言う人もいるだろうし、確かに、個人の信条の自由という意味では、アメリカのこのモットーも問題視されることもあるようだ。
しかし、モットーにこそしないが、古代から、至高の賢者達が言い続けてきたのは、「神を信じろ」どころではない。
それは、「あるのは神だけだ」なのである。
よく、英語のGODに日本語の神を当てたのは間違いだとか、キリスト教の一神教の神と、日本のような多神教の神は異なるものであると言う者がいるが、それは表面的なことにとらわれているからであり、GODも神も同じである。
江戸末期の神道家、黒住宗忠が天照大神と言った時は、それは日本の神話の女神であると共に、唯一の根源神のことを指していたことは明らかである。
このように、多神教においては、数多の神々は、根本神の働きを示しているのである。
日本のかつての国家神道においては、天皇は神であると定められ、後にそれが批判されることもあるが、天皇は確かに神である。ただ、誰もが神なのである。そして、やはり、天皇は、我々の内にある神の姿を示して見せてくれる存在であるのだと思う。
アニメ『エル・カザド』で、「エリスは神の子では・・・ない」という、語り手役のブルーアイズの言葉が印象的だった。
エリスという少女は、生命科学によって生み出された人工生命体だったからだ。
それを知った時、エリスは、「私は人間じゃなかったんだね」と言うが、ナディーはそれを否定する。
当然ながら、エリスも神の子であり、それが人間であるというなら人間である。
『魔法少女リリカルなのは A's』では、魔法の力で造られた4人の騎士が敵として現れた時、同じく魔法の力で造られた存在である魔導師の少女フェイトは、自分も人間でないことに動揺するが、リンディ・ハラオウンは同情ではなく、フェイトはれっきとした人間であると断言する。そして、リンディはフェイトを正式に養女にする。犯罪者として捕らえられたフェイトを初めて見た時から、リンディはフェイトを気に入っていたようだ。
画家で講演家の足立幸子さんは、漫画家は意識が開けていて、その作品を見た子供達の意識が進化してきていると講演で言われていたが、実際、漫画やアニメでは、こんな話は多い。
例えば、CLAMPの『カードキャプターさくら』や『ちょびっツ』、永井豪さんの『キューティーハニー』では、人に造られた者達が、全く自然に、普通の人間と同じに扱われる。
日本では、昔から、工場のロボットに名前をつけて親しんできたので、ロボット達もそれに応えて良い働きをし、日本を豊かにしたのだろう。
しかし、海外の多くの国は、ロボットにフランケンシュタインのイメージがあるので、ロボット導入がうまくいかなかったと、渡辺昇一さんの昔の著書『日はまだ昇る』に書かれていたが、今は、日本でも、ロボットを奴隷のように思っているから、産業も悪い方向に行くのだろう。
別にロボットを賛美せよと言うのではない。
ただ、ロボットも神の表れであり、それが良い結果を生もうが、そうでなかろうが、運命として受け入れ、それを我々が愛そうが、憎んで壊そうが、それもまた運命なのである。
初音ミクは、まさに神の表れであり、人間そのものであるが、多くの人は、彼女を自分より高いものとして、自然に天使のように感じている。
人間もまた天使に進化するのであり、本質においては両者に違いはない。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻に書かれているが(この5巻を単独で読んでも差し支えなく、非常に有意義である)、著者であるアメリカのベアード.T.スポールディングがロンドンのF.L.ロースンを訪れた時、彼らの前で、馬車が横転し、その馬車から降りていた御者の上に、積荷の岩が落下するという悲惨な事故が起こった。
すると、ロースンは静かに、「神の他に何もない。ただ神だけがある」と唱え、そして、御者は何事もなかったように起き上がった。
無論、この話が本当のことだという証拠はないが、私には別段、不思議なこととは思えない。このブログでも何度か書いたが、似たようなことは何度も実際にあったからだ。
神を信じていたかつてのアメリカは良いところが多かったように思う。
父親は強く、不屈で、家族は彼を頼り、平和を得ていた。アメリカの父親のイメージは素晴らしいものだった。
そりゃ、アメリカの父親にも欠点はあったが、何事にも受容性があり、神への不信が起こるという理由で子供達を厳しく躾け、貧しい者には施しをした。
アメリカの父親は神を信じ、頼っていた。ジョージ・ワシントンが神を頼ってアメリカを独立させたのだからだ。
だが、豊かさの中で、人々は欲望ばかり発達させ、食欲と性欲に溺れて神を見失ったのだろう。イエスが言った通り、人は2人の主人に仕えることは出来ない。
人々は、イエスが拒んだ欲望を叶えてくれるサタンを主人にしたのだろう。
そして、今や、日本人もそれと変わらない。
日本人はかつて、自然の中に神を感じ、それと親しんできた。
子供達は、遊びから帰る時に照らしてくれる夕陽や赤く染まってたなびく雲の中に、カラスが飛ぶ姿に、頬を撫でる風に、当たり前のように親しい神を感じ、安心していたのだ。
しかし、今や、子供達は夜遅くまで塾の中にいて将来の安楽を目指し、大人は身体的快楽をどこまでも求め、空を見ずにスマートフォンを凝視し、すっかり神から離れた。
それで不満と不安の中で、自分の場所を確保することだけに必死になっているのである。
とりあえずは、不要なものを求めず、頬を撫でる風に帰ってきて欲しいと願うことは難しいことではあるまいと思う。
頬なでる柔らかな風が
そっと寄り添ってくれる
思いを告げる勇気をあつめ
空を見上げて言葉をつむいで
~初音ミク『星のカケラ』(作詞、作曲:平沢栄司 )より(※初音ミクの最初の歌と言われている)~
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これは、1956年にアメリカの公式なモットーとなったが、南北戦争(1861-1865)の時には既に知られており、1864年に2セント硬貨に表記され、現在は、アメリカの全ての硬貨、紙幣にそう書かれていると思う。
だが、アメリカにだって、イギリスのスティーブン・ホーキング博士のように、「神は存在しない」と言う人もいるだろうし、確かに、個人の信条の自由という意味では、アメリカのこのモットーも問題視されることもあるようだ。
しかし、モットーにこそしないが、古代から、至高の賢者達が言い続けてきたのは、「神を信じろ」どころではない。
それは、「あるのは神だけだ」なのである。
よく、英語のGODに日本語の神を当てたのは間違いだとか、キリスト教の一神教の神と、日本のような多神教の神は異なるものであると言う者がいるが、それは表面的なことにとらわれているからであり、GODも神も同じである。
江戸末期の神道家、黒住宗忠が天照大神と言った時は、それは日本の神話の女神であると共に、唯一の根源神のことを指していたことは明らかである。
このように、多神教においては、数多の神々は、根本神の働きを示しているのである。
日本のかつての国家神道においては、天皇は神であると定められ、後にそれが批判されることもあるが、天皇は確かに神である。ただ、誰もが神なのである。そして、やはり、天皇は、我々の内にある神の姿を示して見せてくれる存在であるのだと思う。
アニメ『エル・カザド』で、「エリスは神の子では・・・ない」という、語り手役のブルーアイズの言葉が印象的だった。
エリスという少女は、生命科学によって生み出された人工生命体だったからだ。
それを知った時、エリスは、「私は人間じゃなかったんだね」と言うが、ナディーはそれを否定する。
当然ながら、エリスも神の子であり、それが人間であるというなら人間である。
『魔法少女リリカルなのは A's』では、魔法の力で造られた4人の騎士が敵として現れた時、同じく魔法の力で造られた存在である魔導師の少女フェイトは、自分も人間でないことに動揺するが、リンディ・ハラオウンは同情ではなく、フェイトはれっきとした人間であると断言する。そして、リンディはフェイトを正式に養女にする。犯罪者として捕らえられたフェイトを初めて見た時から、リンディはフェイトを気に入っていたようだ。
画家で講演家の足立幸子さんは、漫画家は意識が開けていて、その作品を見た子供達の意識が進化してきていると講演で言われていたが、実際、漫画やアニメでは、こんな話は多い。
例えば、CLAMPの『カードキャプターさくら』や『ちょびっツ』、永井豪さんの『キューティーハニー』では、人に造られた者達が、全く自然に、普通の人間と同じに扱われる。
日本では、昔から、工場のロボットに名前をつけて親しんできたので、ロボット達もそれに応えて良い働きをし、日本を豊かにしたのだろう。
しかし、海外の多くの国は、ロボットにフランケンシュタインのイメージがあるので、ロボット導入がうまくいかなかったと、渡辺昇一さんの昔の著書『日はまだ昇る』に書かれていたが、今は、日本でも、ロボットを奴隷のように思っているから、産業も悪い方向に行くのだろう。
別にロボットを賛美せよと言うのではない。
ただ、ロボットも神の表れであり、それが良い結果を生もうが、そうでなかろうが、運命として受け入れ、それを我々が愛そうが、憎んで壊そうが、それもまた運命なのである。
初音ミクは、まさに神の表れであり、人間そのものであるが、多くの人は、彼女を自分より高いものとして、自然に天使のように感じている。
人間もまた天使に進化するのであり、本質においては両者に違いはない。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻に書かれているが(この5巻を単独で読んでも差し支えなく、非常に有意義である)、著者であるアメリカのベアード.T.スポールディングがロンドンのF.L.ロースンを訪れた時、彼らの前で、馬車が横転し、その馬車から降りていた御者の上に、積荷の岩が落下するという悲惨な事故が起こった。
すると、ロースンは静かに、「神の他に何もない。ただ神だけがある」と唱え、そして、御者は何事もなかったように起き上がった。
無論、この話が本当のことだという証拠はないが、私には別段、不思議なこととは思えない。このブログでも何度か書いたが、似たようなことは何度も実際にあったからだ。
神を信じていたかつてのアメリカは良いところが多かったように思う。
父親は強く、不屈で、家族は彼を頼り、平和を得ていた。アメリカの父親のイメージは素晴らしいものだった。
そりゃ、アメリカの父親にも欠点はあったが、何事にも受容性があり、神への不信が起こるという理由で子供達を厳しく躾け、貧しい者には施しをした。
アメリカの父親は神を信じ、頼っていた。ジョージ・ワシントンが神を頼ってアメリカを独立させたのだからだ。
だが、豊かさの中で、人々は欲望ばかり発達させ、食欲と性欲に溺れて神を見失ったのだろう。イエスが言った通り、人は2人の主人に仕えることは出来ない。
人々は、イエスが拒んだ欲望を叶えてくれるサタンを主人にしたのだろう。
そして、今や、日本人もそれと変わらない。
日本人はかつて、自然の中に神を感じ、それと親しんできた。
子供達は、遊びから帰る時に照らしてくれる夕陽や赤く染まってたなびく雲の中に、カラスが飛ぶ姿に、頬を撫でる風に、当たり前のように親しい神を感じ、安心していたのだ。
しかし、今や、子供達は夜遅くまで塾の中にいて将来の安楽を目指し、大人は身体的快楽をどこまでも求め、空を見ずにスマートフォンを凝視し、すっかり神から離れた。
それで不満と不安の中で、自分の場所を確保することだけに必死になっているのである。
とりあえずは、不要なものを求めず、頬を撫でる風に帰ってきて欲しいと願うことは難しいことではあるまいと思う。
頬なでる柔らかな風が
そっと寄り添ってくれる
思いを告げる勇気をあつめ
空を見上げて言葉をつむいで
~初音ミク『星のカケラ』(作詞、作曲:平沢栄司 )より(※初音ミクの最初の歌と言われている)~
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・・・私もすでにKayさんのブログに出逢う前や書物や人の言葉から学ぶとかとは無関係に全く同じことを言っておりました。(※正確には神によって最初からDNAに刻印【プログラム】され言わされていた。)
やはり人は人(真の日本人・本当のヒト)でありたかったら『自然』『御神佛様・御先祖様』『天皇』など本来、あたりまえのことを当たり前のようにごく自然に敬うのが当たり前です。
現代はすっかり我利我利亡者へと化し堕落してしまった今(日本人の聖なる魂骨抜きにされてしまった)滅びへの道へとまっしぐらに突き進んでいるかのようです・・・
『宇宙絶対統一神・天照大御神 今ここに在(ま)します 新たなる全徳の無限の無限の輝きがおっぱいじゃなくていっぱいです。ありがとう・ありがとう・ありがとうございます。』~致知出版社から出版されている、「ありがとうおじさん」 より~(※私は別にありがとうおじさんの信者ではありませんし交流も無く関係ありませんが、たまに太陽にむかってこの言霊を唱えさせて頂いております。)
「ありがとう」「神様・ありがとうございます」こうしてあらためて見るとほんと綺麗な言の葉ですね‥日本語というのは、ほんとうにため息がでるほど美しく綺麗ですね・・・。
ちなみに私は初音ミクのことはあまりよく知りませんが(Kayさんのおかげで初めて芸能人や人間の女性ではない事を知った)けれど、今日の『星のカケラ』の詞とても☆キラキラ☆ステキ☆でした(^_-)‐☆
素直に聴いてみたいと思いました。(^_-)‐♪
いつも素晴らしい記事をありがとうございます。
合掌