竹宮恵子さんの漫画作品『変奏曲』だったと思うが(昔読んだのだが、今は私の家に本が無い)、ある名門の音楽学校で、入学試験を受けたエドアルド・ソルティーという少年のことで物議を醸していた。教師達は、彼の演奏が抜群であることは認めたが、弾き方がデタラメにしか見えなかった。実は、彼の演奏は独学だった。
そんなことが可能かどうかは分からないが、パガティーニという実在したヴァイオリニストは、あまりの上手さに、彼は悪魔に魂を売って演奏技術を得たと言われたくらいだったが、彼の演奏も独学だったと言われる。風説だとは思うが、彼がどれくらい恐るべき腕前だったかという話にこんなものがある。パガティーニが公演中、ヴァイオリンの弦が1本切れたが、パガティーニは平気で引き続けた。続いて2本目が切れたが、それでも変わらない。すると、なんと3本目まで切れてしまう。しかし、パガティーニは1本の弦だけで、見事に演奏を終えたという。
『フラッシュダンス』というアメリカ映画でも、アレックスという若い女性は、名門のダンサー養成所への入学を希望するが、受験者の大半はクラシックバレエのしっかりとした基礎のある者ばかりだった。しかし、彼女は、そのような経験の無い独学のダンサーで、日頃ダンスの腕を磨いているのは夜のバーだった。
立派な基礎訓練というものは、ある種の運が無い者には無縁な場合が多く、こういったお話には、心ときめくものがある。
一方、アニメ『魔法少女リリカルなのは A's』の中で、達人的な騎士シグナムは、魔導師の少女フェイト・テスタロッサとの戦いで圧倒的勝利を収め、悠然としていたが、ザフィーラは何かに気付いていた。そして、シグナムはザフィーラに対し、実は、フェイトに一太刀を浴びていたことを告白する。シグナムは、自分が勝てたのは、持っていた武器の威力の差だと言い、もし、武器が同じなら苦しかったことを認めた。
そして、シグナムは、フェイトについて言う。「綺麗な太刀筋だった。きっと、良い師に学んだのだろう」
正直、私は、あまり良い気持ちではなかった。私は、何に関しても、優れた師に学ぶ機会はなかったからだ。この感情は、一種のひがみ根性と言えるかもしれない。
だが、アインシュタインも岡本太郎も独学ではあったが、本は読んだだろうし、瞬間的になら優れた人物から何かを学んだことはあったはずだ。
私も、数度しか会わなかったが、政木和三さんと話した時に、貴重なことを聞いたことをよく憶えている。
私と同様、多くのコンピュータプログラマは、ほとんど独学の場合が多いと思う。
しかし、この世界には、ブライアン・カーニハンの『プログラム書法』や、『ソフトウェア作法』、そして、新しい『プログラミング作法』という素晴らしい教本がある。
あまりに素晴らしいので、読むとすっかり愉快になってしまうような本だ。
とはいえ、これらの本に書かれているのはあくまで基礎である。
基礎は大事であるが、その上に独自のスタイルを構築しなければ、どんなことでも一人前にはならないだろう。
そして、基礎、応用に限らず、最も良い師は自然である。
迷った時は、自然を謙虚に観察すれば、必ずヒントが得られるものだ。
私は以前、dbMAGIC(今はMAGIC)という開発ツールの腕前を磨き、多くの企業から指導依頼を受けたが、開発の仕方そのものは本に書かれている。しかし、私は、本に書かれていないが効果的な開発方法を編み出していたので求められたのだ。しかし、そのヒントは、ある優秀なdbMAGICの開発者の処に足しげく通い、彼の技を参考にしたものだった。
私は、今はマイクロソフトのAccessをよく使う。これは、素人の道具のように言われるが、やはり、本には書かれていないオリジナルの手法がなければ力を発揮しない。それは、決して自己中心的な偏った技法ではない。大袈裟に言えば、宮本武蔵の剣法は独自のものではあるが、実は、最も自然の流れに沿った普遍的なものだというのと同じだ。武蔵の極意はあらゆるものに通じるし、岡本太郎に関しても同じである。
Accessは簡単だと馬鹿にする者も多いが、それは、ギターやオカリナを、誰でも音が出せるから簡単だというのと変わらない。
Accessより簡単だと言われる桐(管理工学研究所のデータベースソフト)も、名人の手にかかれば素晴らしい開発ツールであり、実際に、これで素晴らしいシステムを開発している人もいる。
どんな世界だって、基礎の上に立った、オリジナルの技を編み出した者が道を究める。
そして、いつまでも師の元で学んでいては、決して師を超えないばかりか、やがて落ちぶれるだろう。だから、昔から、師の下を離れた後で師に挑んで負かすことを、師に対する最高の「恩返し」と言うのである。彼は、師と同じ道を歩み、その世界そのものを発展させたのだからだ。負けた師が本物なら、非常に喜んでいるだろうし、弟子も、自分と同時に師が勝ったことを理解しているのだ。
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そんなことが可能かどうかは分からないが、パガティーニという実在したヴァイオリニストは、あまりの上手さに、彼は悪魔に魂を売って演奏技術を得たと言われたくらいだったが、彼の演奏も独学だったと言われる。風説だとは思うが、彼がどれくらい恐るべき腕前だったかという話にこんなものがある。パガティーニが公演中、ヴァイオリンの弦が1本切れたが、パガティーニは平気で引き続けた。続いて2本目が切れたが、それでも変わらない。すると、なんと3本目まで切れてしまう。しかし、パガティーニは1本の弦だけで、見事に演奏を終えたという。
『フラッシュダンス』というアメリカ映画でも、アレックスという若い女性は、名門のダンサー養成所への入学を希望するが、受験者の大半はクラシックバレエのしっかりとした基礎のある者ばかりだった。しかし、彼女は、そのような経験の無い独学のダンサーで、日頃ダンスの腕を磨いているのは夜のバーだった。
立派な基礎訓練というものは、ある種の運が無い者には無縁な場合が多く、こういったお話には、心ときめくものがある。
一方、アニメ『魔法少女リリカルなのは A's』の中で、達人的な騎士シグナムは、魔導師の少女フェイト・テスタロッサとの戦いで圧倒的勝利を収め、悠然としていたが、ザフィーラは何かに気付いていた。そして、シグナムはザフィーラに対し、実は、フェイトに一太刀を浴びていたことを告白する。シグナムは、自分が勝てたのは、持っていた武器の威力の差だと言い、もし、武器が同じなら苦しかったことを認めた。
そして、シグナムは、フェイトについて言う。「綺麗な太刀筋だった。きっと、良い師に学んだのだろう」
正直、私は、あまり良い気持ちではなかった。私は、何に関しても、優れた師に学ぶ機会はなかったからだ。この感情は、一種のひがみ根性と言えるかもしれない。
だが、アインシュタインも岡本太郎も独学ではあったが、本は読んだだろうし、瞬間的になら優れた人物から何かを学んだことはあったはずだ。
私も、数度しか会わなかったが、政木和三さんと話した時に、貴重なことを聞いたことをよく憶えている。
私と同様、多くのコンピュータプログラマは、ほとんど独学の場合が多いと思う。
しかし、この世界には、ブライアン・カーニハンの『プログラム書法』や、『ソフトウェア作法』、そして、新しい『プログラミング作法』という素晴らしい教本がある。
あまりに素晴らしいので、読むとすっかり愉快になってしまうような本だ。
とはいえ、これらの本に書かれているのはあくまで基礎である。
基礎は大事であるが、その上に独自のスタイルを構築しなければ、どんなことでも一人前にはならないだろう。
そして、基礎、応用に限らず、最も良い師は自然である。
迷った時は、自然を謙虚に観察すれば、必ずヒントが得られるものだ。
私は以前、dbMAGIC(今はMAGIC)という開発ツールの腕前を磨き、多くの企業から指導依頼を受けたが、開発の仕方そのものは本に書かれている。しかし、私は、本に書かれていないが効果的な開発方法を編み出していたので求められたのだ。しかし、そのヒントは、ある優秀なdbMAGICの開発者の処に足しげく通い、彼の技を参考にしたものだった。
私は、今はマイクロソフトのAccessをよく使う。これは、素人の道具のように言われるが、やはり、本には書かれていないオリジナルの手法がなければ力を発揮しない。それは、決して自己中心的な偏った技法ではない。大袈裟に言えば、宮本武蔵の剣法は独自のものではあるが、実は、最も自然の流れに沿った普遍的なものだというのと同じだ。武蔵の極意はあらゆるものに通じるし、岡本太郎に関しても同じである。
Accessは簡単だと馬鹿にする者も多いが、それは、ギターやオカリナを、誰でも音が出せるから簡単だというのと変わらない。
Accessより簡単だと言われる桐(管理工学研究所のデータベースソフト)も、名人の手にかかれば素晴らしい開発ツールであり、実際に、これで素晴らしいシステムを開発している人もいる。
どんな世界だって、基礎の上に立った、オリジナルの技を編み出した者が道を究める。
そして、いつまでも師の元で学んでいては、決して師を超えないばかりか、やがて落ちぶれるだろう。だから、昔から、師の下を離れた後で師に挑んで負かすことを、師に対する最高の「恩返し」と言うのである。彼は、師と同じ道を歩み、その世界そのものを発展させたのだからだ。負けた師が本物なら、非常に喜んでいるだろうし、弟子も、自分と同時に師が勝ったことを理解しているのだ。
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ところで、kayさんは「何に関しても優れた師についたことがない」と書いておられますが、実際に沢山の師につかれていらっしゃるではありませんか。
そうでなければ、このブログを書くことはないでしょうし、本を紹介することもないと思います。
またこのブログの読者にとって、kayさんは「優れた師」になっていらっしゃると思います。