どんなに辛い人生だったとしても、死ぬ寸前にでも「救われた」と思えば、何も思い残すことはなく、幸せに死ねるのではないかと思う。
だが、今、救われる生き方があるかもしれない。

救われるために必要なことは、受容性だけだ。
受容性という翼があれば、重力の鎖を断ち切って高く飛べる。
地上の喧騒や苦しみを空回りさせておき、重力の外へ飛んでいけるだろう。
受容性を得るには、寛容でなくてはならない。
それには、一切を批判せず、どんなことにも決して文句を言わないことだ。

寛容であるためには、忍耐がなければならない。
忍耐は、心を鍛えることでしか身に付かない。
そして、アイルランドの詩聖W.B.イェイツが言ったように、心は、孤独の中でしか決して鍛えられないのだ。
味方の一人もなく、全ての人に蔑み疎まれる中で、ただ耐えることで心は強く強くなる。そうしてこそ、忍耐が身に付くのである。
忍耐が身に付けば、限りなく広い、寛容な心が得られる。
寛容になれば、ついに、受容性という翼が育ち始める。

そうなるまで、人々から蔑み疎まれるだけでなく、自分を軽蔑することだ。
そうしたからとて、何も良いことはない。
その中で、一切の言い訳をせず、文句を言わない。つまり、沈黙するのだ。
沈黙は不断の会話であり、最大の雄弁だ。
それが、本当に語れるようになることなのだ。
沈黙の会話を修得すれば、他の惑星の人達と意志を通じ合わせ、この星と彼らの星のために力を合わせることが出来るに違いない。
彼らは、きっと、この星の受容性のある人を探しているのである。
それは、月のしじま(沈黙)を友とする、高貴な意識の持ち主なのだ。
多少美しい心の持ち主が、世間でうまくやっていくことが難しいことは認める。
しかし、受容性がなければ、そんな人が他の星に行っても、やはりうまくやっていけないのだ。
来月、この地球に意識の大変革が起こったところで、受容性のない人は、やはり、地の底に沈むグループになるだろう。
イエスは、ののしられ、いわれのない悪口を言われる者は幸いだと言った。
岡本太郎だって、「嫌われていい。いや、嫌われないといけない」「誤解されたっていい。いや、誤解されないといけない」と言ったではないか。
そして、受容性の翼が育ちさえすれば、全て抜け落ち、重力の鎖を解き放って高く飛ぶだろう。









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