子供や若い人は、頭が柔らかくて理解力があるが、年を取ると、頭が固くなって新しいことを習得出来ないとよく言われる。
確かに、実態も、ほぼその通りと思える。
しかし、それで言うなら、今は、中学生ですら、必ずしも若いとは言えないし、大半の高校生は、もう老人並に固定観念が出来上がっているのではないかと思う。

そもそも、理解するとはどういうことだろう。
世間では、それは、理屈を組み合わせて答を導き出すことであるように言われるが、その考え方こそが、子供から理解力を奪っている。
理解するというのは、心の奥に、ぱっと閃くものがあり、それをしっかりと感じることだ。その時、「分かった」と思うのだ。
子供は、その閃きが多いので、理解力が高いのである。
つまりは、理解というのは、所詮、全て閃きであり、もっと端的に言えば直感なのだ。
しかし、高度な科学を理解するには、必要な基礎がなければならないと言われるだろう。そうなのかもしれないが、直感と共に理解しなかった基礎というのは、何の役にも立たないなかりか、そのまま高度なことをやろうとすれば、恐ろしい間違いを犯すのだ。
自然な閃きと共に構築された基礎があれば、そこから先もずっと進歩していけるのである。
しかし、今の子供は、試験の点を取るために、本当に理解もせずに、暗記や問題の解き方のテクニックを頭につめ込む勉強ばかりしているので、直感がすっかり鈍っており、大切なことが全く理解できないので、大人になっても役に立つことは何も出来ないのだ。だから、学歴は素晴らしいのに、何も出来ずにニートになってしまう者が沢山いるが、彼らは親の欲望の被害者なのかもしれない。

素晴らしい新発想の商品を開発し続ける会社の社長に、ある人が、「あなたの会社の社員の方々の学歴は素晴らしいのでしょう?」と尋ねたところ、「いえ、皆、中卒、高卒です。ちなみに私は小学校しか出ていません。エリートに発明なんか出来ません」と言われたらしい。発明が出来ないとは、直感が無いということであり、本当の理解力が無いということなのだ。
ある大教育者が言ったが、教育というのは、ある偏見から別の偏見に付け替えるだけのことなのである。それは、直感を完全に窒息させるものと言って間違いないだろう。
真に学ぶべきことは全て自然の中にある。
幼稚園を中退したアメリカのイツァク・ベントフが、天才的な医療エンジニアであったのは、自然を畏敬の念を持って熱心に観察したからであると思われる。例えば、毒蛇の牙を愛しむように観察して、素晴らしい皮下注射の方法を考案したことがあった。
自然を観察することの重要さについては、ジョージ・アダムスキーが詳細に解説し、直感的な理解力を得る方法を教えているが、その成果は、人間に超能力とでも言うしかない力をもたらす。しかし、それは単なる自然力なのである。
魔法の力を使って治しているとまで言われた天才的な精神科医であったミルトン・エリクソンは、トランス(変性意識)状態でしか不可能な恐るべき観察眼を持っていたが、それは、我々が普通に考える観察眼の延長ではなく、別次元のものであり、それが直感の力であるのだ。彼は、自分を自在にトランスに入れることで、いつでも直感の助けを得られたのである。
エリクソンの手法を多くの医学者や精神分析学者、心理学者が必死で研究するが、誰も彼のようなことは出来ない。皆、直感の力というものを理解していないからだ。
しかし、アダムスキーに素直に学べば、それが可能であるかもしれない。









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