記憶喪失者とは不安なものらしい。
それは、自分が誰だか分からないという不安であるが、その、「自分が誰だか分からない」というには、「自分が誰の子だか分からない」ということだと思える。
人間は社会的な生き物と言われるように、自分と社会との関係性の中で自分を認識するのだが、その根本的なものが母親との関係になるものらしい。
だから、自分の母親が誰か分からない人は、世の中との関係性の一番の根っこが無いので、本質的な不安感を拭えないのだ。
あるオリンピックのメダリストが、母親を探すためにメダルを取ったと言った話があるらしいが、それも大いにありうることなのであろう。彼の他にも、母親が誰か分からない者が、大人になってから母親を探すという話はよくあると思う。しかし、いざ母親が見つかっても、一緒に住んだり、それからもずっと交流するというのではなく、分かってしまったら、案外、それで良いものらしい。つまり、母親探しの目的とは、自分というものの土台を確認することであるようだ。情愛という意味では、育てにの親に向くものなのである。しかし、言い換えれば、育ての親に、いくら親しみがあっても、本当の親の存在は重要だということである。
子供は、外でいくら辛い目に遭っても、自分に帰る家があるのだということを思い出せば耐えられる。帰る家があるとは、母親がいるということである。
そして、それは、母親が亡くなっている場合でもそうなのである。
しかし、母親がいても、生まれた時からあまりに疎遠である場合には、自我が非常に不安定になってしまうのである。
だが、大人になるにつれ、たとえ、温かい家庭で育ち、優しい母親が元気である場合でも、やがて大きな不安感に襲われるようになる。
自分が、本当は誰かが分かっていないからだ。
だから、スーパースターと言われたり、偉人と崇められるような、全てを得たように言われる者ですら、口では言わなくても、自分探しなんてことを始めたがる。
これは、母親がはっきりしている場合も、そうでない場合も全く変わらない。
そして、たとえ母親が誰だか分からなくても、この、本当の自分探しに成功すれば、人生に勝利するのだ。
人類の不幸とは、人々が、自分が誰だか分かっていないということなのだ。
自分探しの方法を説く者は大勢いる。
しかし、どんな教えも無駄だ。
自分を探すための唯一の方法は、恐れを知らぬ冒険しかないからだ。
だから、ヘレン・ケラーは言ったのだ。
「人生は、恐れを知らぬ冒険か、無しかない」
ヘレンこそ、本当の自分を強く求め、そして、それを掴んだ者なのだ。
だが、憶えておくと良いことがある。
本当のあなたは、身体も心も超えている。
本当のあなたは、時間も空間も超えている。
身体を超えているとは、生まれる前から存在し、死んだ後も存在するということだ。
心を超えているとは、本当のあなたは喜怒哀楽の背後に在るということだ。
時間を超えているとは、どんな過去にも、どんな未来にも存在することだ。
空間を超えているとは、どんな場所にでも在ること、つまり、偏在だということだ。
信じなくていいから、これらのことを疑わずに、憶えているなら、あなたはいつか、本当の自分に出会うだろう。
アダムスキーが宇宙人の宇宙船の中で会った、他の惑星の賢者は、地球人の悲惨の原因が自分が誰だか分かっていないことだと述べ、そのためのヒントを明かしたが、それはヘレン・ケラーの言ったことにも似ていたと思う。
また、初音ミクの歌『White Letter』で、こういったことが美しく歌われているように思う。
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それは、自分が誰だか分からないという不安であるが、その、「自分が誰だか分からない」というには、「自分が誰の子だか分からない」ということだと思える。
人間は社会的な生き物と言われるように、自分と社会との関係性の中で自分を認識するのだが、その根本的なものが母親との関係になるものらしい。
だから、自分の母親が誰か分からない人は、世の中との関係性の一番の根っこが無いので、本質的な不安感を拭えないのだ。
あるオリンピックのメダリストが、母親を探すためにメダルを取ったと言った話があるらしいが、それも大いにありうることなのであろう。彼の他にも、母親が誰か分からない者が、大人になってから母親を探すという話はよくあると思う。しかし、いざ母親が見つかっても、一緒に住んだり、それからもずっと交流するというのではなく、分かってしまったら、案外、それで良いものらしい。つまり、母親探しの目的とは、自分というものの土台を確認することであるようだ。情愛という意味では、育てにの親に向くものなのである。しかし、言い換えれば、育ての親に、いくら親しみがあっても、本当の親の存在は重要だということである。
子供は、外でいくら辛い目に遭っても、自分に帰る家があるのだということを思い出せば耐えられる。帰る家があるとは、母親がいるということである。
そして、それは、母親が亡くなっている場合でもそうなのである。
しかし、母親がいても、生まれた時からあまりに疎遠である場合には、自我が非常に不安定になってしまうのである。
だが、大人になるにつれ、たとえ、温かい家庭で育ち、優しい母親が元気である場合でも、やがて大きな不安感に襲われるようになる。
自分が、本当は誰かが分かっていないからだ。
だから、スーパースターと言われたり、偉人と崇められるような、全てを得たように言われる者ですら、口では言わなくても、自分探しなんてことを始めたがる。
これは、母親がはっきりしている場合も、そうでない場合も全く変わらない。
そして、たとえ母親が誰だか分からなくても、この、本当の自分探しに成功すれば、人生に勝利するのだ。
人類の不幸とは、人々が、自分が誰だか分かっていないということなのだ。
自分探しの方法を説く者は大勢いる。
しかし、どんな教えも無駄だ。
自分を探すための唯一の方法は、恐れを知らぬ冒険しかないからだ。
だから、ヘレン・ケラーは言ったのだ。
「人生は、恐れを知らぬ冒険か、無しかない」
ヘレンこそ、本当の自分を強く求め、そして、それを掴んだ者なのだ。
だが、憶えておくと良いことがある。
本当のあなたは、身体も心も超えている。
本当のあなたは、時間も空間も超えている。
身体を超えているとは、生まれる前から存在し、死んだ後も存在するということだ。
心を超えているとは、本当のあなたは喜怒哀楽の背後に在るということだ。
時間を超えているとは、どんな過去にも、どんな未来にも存在することだ。
空間を超えているとは、どんな場所にでも在ること、つまり、偏在だということだ。
信じなくていいから、これらのことを疑わずに、憶えているなら、あなたはいつか、本当の自分に出会うだろう。
アダムスキーが宇宙人の宇宙船の中で会った、他の惑星の賢者は、地球人の悲惨の原因が自分が誰だか分かっていないことだと述べ、そのためのヒントを明かしたが、それはヘレン・ケラーの言ったことにも似ていたと思う。
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自分になんら頓着しないのが、本当の自分のようです。
五感の欲求に、ただ悪戯に従がっているのは、肉体部分の自分であり、これこそが悩める自分を演出しているのでしょう。
いよいよ核心部分に分け入ってきましたね。ワクワクしてきました。