ほんの子供の頃にテレビで見た西洋の映画の話だ。ある家に押し入った強盗が、その家の主人に、「この家に銃はあるか?」と問うと、主人は、「無い」と答えた。そして、その返答の信憑性を高めるためだろうと思うが、主人は付け加えて、「私の父が、銃は無いより有る方が危険だと言っていたからだ」と言ったのを、印象深く憶えている。
なぜ、銃が無いより有る方が危険なのか?
子供の私にとっても、それはとても興味深い問題だった。
そして、その言葉に強い関心を持ったということは、私の中には、元々、それが正しいことだという宇宙の英知とでもいうものがあるということなのだと思う。

護身のために格闘技を習ったり、護身具を持つというような話があるが、それが役に立ったという話を聞いたことはない。
むしろ、そんなことをすることで、かえって、危険な状況や、粗暴な人間を引き寄せるのではないかと思う。

子供の頃、ゲームセンターで、戦艦か何かを魚雷を発射して沈めるというゲームをやったことがあるが、似たようなゲームは今でもあるかもしれない。
いや、調べてみたら、半世紀も前から現在に至るまで、家庭用ゲームとしても存在するらしい。
しかし、考えたら、なんと恐ろしいゲームであろうか?
人間が乗っていることを想定しているものを、攻撃し、破壊して沈めて楽しむのである。冗談にもならず、まっとうな感覚があればぞっとするはずだ。
やはり古いゲームだが、現在でも人気のあるものに、「インベーダーゲーム(スペースインベーダー)」や、その発展形のテレビゲームがある。宇宙人をビーム砲で攻撃して殺し、時々現れるUFOを撃墜するというものだ。
なんと無思慮で馬鹿げたものだろう?
そういったゲームを子供の頃からやらされている者は、少なからず精神に取り返しのつかない逸脱や屈折を起こし、それは、その者の思想や行動に深刻な影響を与えているに違いない。そういった者は、大きな決意を持って、自己の精神を変革する必要があるはずだ。
だが、こう言うと、「インベーダーゲームは、相手が侵略者だし、しかも、異様な姿の怪物だ」と反論する者もいるかもしれない。
しかし、ゲームのインベーダーは、ディスプレイ画面から出てきて攻撃してきたりなどしない。問題は、それを攻撃するという意志を起こすことである。
銃を持てる国で、子供がゲーム感覚で人を撃つといったことがあるらしい。これも、無思慮なゲームやアニメや漫画の影響に違いない。

ジョージ・アダムスキーの本の中で、宇宙人がこんなことを語っている。
「戦闘を好む種族は、今は地球人くらいのものです。我々は同胞を危険な目に遭わせる訳にはいかないので、地球人の前に着陸することが出来ません」
彼らの宇宙船や、一般にUFOと呼ばれる小型飛行艇には、武器などは一切装備されていないという。
だが、それらの船には、隕石などを排除する特殊な仕組みがあり、それを使えば強力な武器になるのではとアダムスキーが指摘すると、宇宙人はそれを認めたが、こう言った。
「もし、地球人の攻撃を回避出来ない状況に陥ったとしても、我々は地球人を殺すくらいなら、自ら命を絶ちます」
他者を攻撃することなど想像も出来ない進化した彼らは、いかに我々が野蛮で好戦的であっても、我々に危害を加えることは決して出来ないのだと言うのだ。
そして、地球人に攻撃されたら、諦めて攻撃を受けて死ぬと言っているのではないのだ。
地球人に罪を犯させる訳にはいかないので、その前に自分で死ぬと言うのである。
これは、地球でも、最も進化した精神の持ち主ならば持っている信条であると思う。

しかし、今の世界には非道な人間も多く、好ましく無いながら、武力を行使せざるをえない状況もあるのではないかという考え方もあるだろう。
だが、それを否定したのがガンジーだった。
武力で対抗すれば、敵はますます勢力を増すだけで、さらにそれに対抗するという繰り返しだ。
だが、この問題については、今の人間では、個人的な考え方があまりに様々なので一応置いておく。つまり、どれも個人的で自己中心的な意見であるということだ。そんな考え方をいくら主張しても答や解決策は出ないことは確かだ。

では、最初の、「銃は無いより、有る方が危ない」に戻ろう。
銃(武器)を持っていることが、かえって危険を引き寄せるということは確かにあるに違いない。
しかし、それは肉体を損なう危険だけではない。
魂を損なう危険の方がはるかに重要なのだ。
あの映画の男の父は、そんな意味で息子に教えたに違いないと私は思うのだ。だから、息子であるその男は、父の教えを守っているのだ。
イエスも言っていた。
「身体を殺せる者を恐れるな。魂を殺せる者を恐れよ」
少し、必要悪としての武器の所有について述べるなら、有っても無くても良いのだ。
武器を持つ宿命であれば持つしかない。いかに嫌でも、そんな運命であれば、武器を持つことは避けられない。
しかし、心の中に武器を持ってはならない。つまり、攻撃を楽しむような心を起こさないよう配慮し、導かなくてはならない。
そのためにも、戦闘ゲームや、あるいは、映画などの創作作品などでも、戦いを楽しく、あるいは、扇動的に描写するようなことは避けなければならない。
だが、今の地球の状況は、その正反対のことが多いのである。
私もうっかり使うことがあるが、我々は、社会的スキルのことを「武器」と無思慮に表現することがある。しかし、それは、世界への奉仕のために修得するものであり、武器という、攻撃のためのものとは全く違うことをしっかり認識しなければならない。









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