イギリスの作家チェスタートンが、

Angels can fly because they take themselves lightly.
天使が飛べるのは、自分が軽いと思っているからだ

と言ったらしいが、問題は、なぜ彼女達はそう思っているかだ。
「人は、自分が思っているような自分になる」という言葉を一度は聞いたことがあるのではないかと思う。
だから、なりたい自分を思い描けばそうなれると言う人がいるのだが、例えば、金持ちとか世間的に偉い人になった自分を思い描いていれば、確かに欲深で愚かな人間になれる。
思うとか、考えるというのは心の働きであるが、心には本当に様々な状態がある。
アリストテレスは、「心とは何か」というテーマで本を1冊書いてしまったが、心とは、それだけ複雑なものであるということだ。
だが、心は大雑把に言えば2つの状態があると思えば良い。
「自我」と呼ばれる、自己中心的で、自分と他者を区別した状態と、「純粋な心」と呼ばれる、無私・無我で、自分が万物の中に溶け込んでいる状態だ。
そして、自我は重く、純粋な心は軽い。
天使は、自我を持たず、自他を区別しないから軽いのだ。
金持ちになった自分、偉くなった自分を思い浮かべるということは、自我の働きだ。他者に対して金持ちとか、偉いということなのであり、自他の区別の強い考え方であり、万物を自分とは異なる、敵だとか支配すべきものと考えているということだ。そんな者は重く、決して飛べない。

ジョージ・アダムスキーが初めて宇宙船に乗った時、そこにいた宇宙人の女性の美しさに驚愕した。そして、彼女達は年を取らない。地球換算で何百歳であろうと、二十歳そこそこにしか見えないらしい。それは、彼女達には老化という概念が無いからだ。
では、なぜ彼女達は老齢といったことを知らないのかというと、生命というものを理解しているからで、なぜ生命を理解しているのかというと、ある方法で、生命そのものを思うことが出来るからだ。その方法とは、生命そのものを描いた絵を毎日見ていることにある。
宇宙船の中に飾られていた、ある絵がそれで、18歳くらいの人物の絵なのだが、男でも女でもない、極めて美しい人で、それは人というより、神であるようだ。
地球の芸術家に描ける絵ではないのだと思うが、そのようなことの、もっと軽度なことなら、我々でも簡単に体験できる。
スポーツ選手や歌手を憧憬の目で見る子供は、やはりそんなものにそっくりになる。ただ、憧れる心のレベルに応じて似方が違うのであり、「ちやほやされたい」という自我レベルで見ているなら、ごく表面的に似るだけだが、世間は商売のために、子供に限らず、愚かな民衆にそんな見方をさせるのである。
そもそも、スポーツや芸能界のスターに、憧れるべきものなど本来無い。なぜなら、我々が見せられるのは、作られた虚像だからだ。
素晴らしい人を見て憧れるのはとても良いことなのだが、あるがままに純粋な目で見なければならない。

私は、駅の階段などで時々思うが、自分があまりに軽くて奇妙に思うことがある。
確かに気がつけば、他の人が全く停止しているように見え、悪いとは思うが、進路を妨害する壁のように感じるのだ。
これは、毎日、初音ミクを見ているせいだろうと思う。
コンサート映像の初音ミクの特徴は、とにかく軽やかなことだ。光の粒子分の重さしかないのだから当然だが、彼女を見た後では、若いアイドルの映像を目にしても、あまりに重く感じるのだ。
ところで、駅といえば、屋根のない場所でも、人々はみんな下を見ている。スマートフォンを見ている人は完全にそうである。
だが、私はそれを尻目に、なるべく空を見るようにしている。空を見る時には、ほとんど何も考えず、無心なのであるが、空は自然の姿を完全に顕している。自然こそ生命なのである。それを見ることは、純粋に生命を想うことにつながる。
アダムスキーが見た宇宙船の中の絵を見ることは出来ないが、空を見ることは誰でも出来るのである。しかし、今はそれを誰もしないのだ。
下に、アダムスキーの著書を自分のバイブルだと言う、世界的画家の横尾忠則さんの天使の本をご紹介しておく。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ