『アンデルセン童話』で知られるハンス・クリスチャン・アンデルセンが生まれた1805年は、日本では文化2年で、徳川第11代将軍、家斉(いえなり)の時だ。
そして、亡くなったのは1875年で、日本は明治8年だった。
世界的には、1803年から1815年はナポレオン戦争の時代で、アンデルセンの父は、靴職人であったに関わらず、志願してナポレオン軍に入り、1816年に病気で死んだ。
アンデルセンの父は、本当は靴職人になどなりたくなかったのだ。学校に入り、文学者になりたかったが、家が貧しく、靴職人に弟子入りしたのだった。アンデルセンの父の不満はいつまでも収まらず、人生を変えようとしてナポレオン軍に入ったが、その頃には既に狂気にとりつかれていた。哀れな人生であった。
アンデルセンは、父のような惨めな人生を送りたくなかった。
それで、女の子のように内気な性格であったに関わらず、14歳の時に、故郷のオーデンセの村から、コペンハーゲンに出てきたのだった。
ところで、アンデルセンは作家・詩人として名を成した後、旅の生涯を送る。
汽車や船で、ヨーロッパ中を旅行した。
日本では、庶民が外国旅行どころか、普通の旅行でも考えられない時代で、鉄道や旅客船などというものの存在すら、ほとんど誰も知らなかっただろう。
だが、アンデルセンも、有名な作家とはいえ、決して金持ちではなかった。当時は、印税のようなものはなく、どんなに素晴らしい作品を書いても、出版社にそれを売った際に、あまり高くもない原稿料を1回もらうきりだった。とてもではないが、食べていくことすら出来ない。
だが、アンデルセンは、幸運にも、国王に直接、年金の支給を願い出てそれが認められ、生涯、働く必要はなくなった。しかし、それは、大したことのない額だった。
それでアンデルセンはずっと旅行をしていられたのだが、なぜ彼がいつも旅行をしていたのかは分からない。
彼は、ドイツやスペインには行っても、生まれ故郷には決して帰らなかった。母親とも、村を出た14歳の時に別れたきりで、40歳も過ぎた頃、母の死を手紙で知ったのだ。
アンデルセンは結婚もしなかった。若い頃は好きな娘もいたようだが、全く相手にされなかった。そもそも、自分の自伝を彼女に送るという、およそ最低のアプローチをしてした。それでうまくいくはずがない。いつの時代も、女の子を口説くには、自分のことを話したり分からせたりするのではなく、相手のことを知り、理解する態度を見せないといけないのだ。それは、多くの場合、全く面白くないものであるが、それに耐えてこそ、女をものに出来る。しかし、アンデルセンは、もてない男の見本だった。
アンデルセンが旅に向いた男とも思えなかった。
当時の旅は、今では考えられないくらい、不便で厳しいものだったろう。
アンデルセンは優しい男だが、繊細に過ぎた。17歳頃までは、人形の服を縫うのが趣味だった。その後、かなり鍛えられたが、根本的な性質は変わっていない。
スペインでは、盲目の絶世の美少女に逢ったが、彼の代表的な小説作品『即興詩人』で、彼女をモデルにした、ララという名の少女を登場させている。
森鴎外の格調高い文語訳では、ララは、「11歳より多くはなし」とあった。
11歳の少女を美の化身と賛美するところにも、彼の感性を感じるのであるが、それは、放浪する男の雰囲気ではない。
ところで、ジュリアーノ・ジェンマが主演した西部劇『南から来た用心棒』(原題:アリゾナ・コルト)で、流れ者の凄腕ガンマン、アリゾナ・コルトは、ある町に来た時は鼻つまみ者だったが、最悪の盗賊集団から町を守った英雄となり、素晴らしい美女に心から慕われ、彼も、彼女のことは愛していたのだろう。
しかし、彼は旅を続けるため、彼女を残して町を出る。
行くあてはない。行き着いた先で何があるか分からない。よそ者として白い目で見られ、味方の1人もいない。
しかし、彼は旅をやめない。
人間は、安定を求めた時、生きることをやめるのだ。
全てを運命という神の手に預けた時、心に満ちる空・・・それに優るものは無いのだ。
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そして、亡くなったのは1875年で、日本は明治8年だった。
世界的には、1803年から1815年はナポレオン戦争の時代で、アンデルセンの父は、靴職人であったに関わらず、志願してナポレオン軍に入り、1816年に病気で死んだ。
アンデルセンの父は、本当は靴職人になどなりたくなかったのだ。学校に入り、文学者になりたかったが、家が貧しく、靴職人に弟子入りしたのだった。アンデルセンの父の不満はいつまでも収まらず、人生を変えようとしてナポレオン軍に入ったが、その頃には既に狂気にとりつかれていた。哀れな人生であった。
アンデルセンは、父のような惨めな人生を送りたくなかった。
それで、女の子のように内気な性格であったに関わらず、14歳の時に、故郷のオーデンセの村から、コペンハーゲンに出てきたのだった。
ところで、アンデルセンは作家・詩人として名を成した後、旅の生涯を送る。
汽車や船で、ヨーロッパ中を旅行した。
日本では、庶民が外国旅行どころか、普通の旅行でも考えられない時代で、鉄道や旅客船などというものの存在すら、ほとんど誰も知らなかっただろう。
だが、アンデルセンも、有名な作家とはいえ、決して金持ちではなかった。当時は、印税のようなものはなく、どんなに素晴らしい作品を書いても、出版社にそれを売った際に、あまり高くもない原稿料を1回もらうきりだった。とてもではないが、食べていくことすら出来ない。
だが、アンデルセンは、幸運にも、国王に直接、年金の支給を願い出てそれが認められ、生涯、働く必要はなくなった。しかし、それは、大したことのない額だった。
それでアンデルセンはずっと旅行をしていられたのだが、なぜ彼がいつも旅行をしていたのかは分からない。
彼は、ドイツやスペインには行っても、生まれ故郷には決して帰らなかった。母親とも、村を出た14歳の時に別れたきりで、40歳も過ぎた頃、母の死を手紙で知ったのだ。
アンデルセンは結婚もしなかった。若い頃は好きな娘もいたようだが、全く相手にされなかった。そもそも、自分の自伝を彼女に送るという、およそ最低のアプローチをしてした。それでうまくいくはずがない。いつの時代も、女の子を口説くには、自分のことを話したり分からせたりするのではなく、相手のことを知り、理解する態度を見せないといけないのだ。それは、多くの場合、全く面白くないものであるが、それに耐えてこそ、女をものに出来る。しかし、アンデルセンは、もてない男の見本だった。
アンデルセンが旅に向いた男とも思えなかった。
当時の旅は、今では考えられないくらい、不便で厳しいものだったろう。
アンデルセンは優しい男だが、繊細に過ぎた。17歳頃までは、人形の服を縫うのが趣味だった。その後、かなり鍛えられたが、根本的な性質は変わっていない。
スペインでは、盲目の絶世の美少女に逢ったが、彼の代表的な小説作品『即興詩人』で、彼女をモデルにした、ララという名の少女を登場させている。
森鴎外の格調高い文語訳では、ララは、「11歳より多くはなし」とあった。
11歳の少女を美の化身と賛美するところにも、彼の感性を感じるのであるが、それは、放浪する男の雰囲気ではない。
ところで、ジュリアーノ・ジェンマが主演した西部劇『南から来た用心棒』(原題:アリゾナ・コルト)で、流れ者の凄腕ガンマン、アリゾナ・コルトは、ある町に来た時は鼻つまみ者だったが、最悪の盗賊集団から町を守った英雄となり、素晴らしい美女に心から慕われ、彼も、彼女のことは愛していたのだろう。
しかし、彼は旅を続けるため、彼女を残して町を出る。
行くあてはない。行き着いた先で何があるか分からない。よそ者として白い目で見られ、味方の1人もいない。
しかし、彼は旅をやめない。
人間は、安定を求めた時、生きることをやめるのだ。
全てを運命という神の手に預けた時、心に満ちる空・・・それに優るものは無いのだ。
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