一瞬見た奇妙なものを錯覚、それよりは長いが、やはり、あり得ないものを幻覚と言うのだが、いずれにしろ、それらは否定され、見なかったも同然の扱いを受ける。
だが、人は感覚器官のみで認識する機械のようなものではない。
感覚器官が捉えた光や音の波動を、意識が再構築して認識するのだ。
錯覚や幻覚も、立派な認識であり、まぎれもない現実なのである。
言い換えれば、あらゆる認識が錯覚であり幻覚なのだと言えるのである。
夢は幻のようなものと思われている。
だが、一切は幻である。
幻は立派な現実なのである。
そして、幻でない現実はないし、現実でない幻もないのだ。
だから、夢は現実であり、現実は夢なのである。
ある食べ物を食べて、美味しいと思った時、その食べ物が美味しいことを現実だと思う。
だが、しばらくして、その食べ物を美味しいと思わなくなってしまったとする。
私は、そんなことがよくあったのを、はっきり覚えている。
では、かつて、その食べ物を美味しいと思ったことは幻覚だったことになる。
だが、やはり、それは現実でもあったのだ。
私は、感覚や心が幻想であると思い知ったことが何度かある。
私は、小学1年生の時、クラスのある女の子がとても可愛いと思っていたのだが、2年ほどしてから、クラスの写真を見て、彼女をサルの子供のようだと思った。
また、小学5年生の新学期、やはりクラスにいたある女の子が可愛いと思って夢中になったが、夏頃には何らの関心もなくなっていた。
そして、今、どんなに良いと思っているもの、美しいと感じていること、あるいは、善であると認識し、価値があると決めていることの全てを、いつかは全く異なる認識や価値観と共に見、聴き、感じるようになるだろう。
だが、幻を幻として愛すれば、そこに真理を見るのである。
私が、小学1年生の時、よく一緒にいた女の子がいた。彼女はすぐ側に来て、いつも世話を焼いてくれたのだ。彼女は、何でも笑顔で助けてくれた。
だが、彼女の名前を覚えていないし、後でクラスの写真を見ても、どれが彼女だったのか分からない。
本当にいたのかどうかも疑わしい。
いや、彼女は本当はいなかったのだ。
子供の精神とは驚くべきものだ。そんな天使のような子がいて欲しいと望んだ私の心が彼女を創造したのだ。
しかし、彼女は、親や学校や、雲や風や、それどころか、地球よりも確かに存在していたのである。
天使や妖精はどこにだっている。
あなたに想像力があれば。そして、それらは全て現実なのである。そう、断じて本物なのである。
あなたが逃れなれない現実と感じているものも幻想である。それは、あなたの素晴らしい想像力が生み出したものだ。
それに少しの愛を注げば、それらは満足して消え去るのである。そして、全て、ただの思い出になるのである。とてもあやふやな、笑いたくなるような、照れてしまうような、とても滑稽な思い出なのである。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
だが、人は感覚器官のみで認識する機械のようなものではない。
感覚器官が捉えた光や音の波動を、意識が再構築して認識するのだ。
錯覚や幻覚も、立派な認識であり、まぎれもない現実なのである。
言い換えれば、あらゆる認識が錯覚であり幻覚なのだと言えるのである。
夢は幻のようなものと思われている。
だが、一切は幻である。
幻は立派な現実なのである。
そして、幻でない現実はないし、現実でない幻もないのだ。
だから、夢は現実であり、現実は夢なのである。
ある食べ物を食べて、美味しいと思った時、その食べ物が美味しいことを現実だと思う。
だが、しばらくして、その食べ物を美味しいと思わなくなってしまったとする。
私は、そんなことがよくあったのを、はっきり覚えている。
では、かつて、その食べ物を美味しいと思ったことは幻覚だったことになる。
だが、やはり、それは現実でもあったのだ。
私は、感覚や心が幻想であると思い知ったことが何度かある。
私は、小学1年生の時、クラスのある女の子がとても可愛いと思っていたのだが、2年ほどしてから、クラスの写真を見て、彼女をサルの子供のようだと思った。
また、小学5年生の新学期、やはりクラスにいたある女の子が可愛いと思って夢中になったが、夏頃には何らの関心もなくなっていた。
そして、今、どんなに良いと思っているもの、美しいと感じていること、あるいは、善であると認識し、価値があると決めていることの全てを、いつかは全く異なる認識や価値観と共に見、聴き、感じるようになるだろう。
だが、幻を幻として愛すれば、そこに真理を見るのである。
私が、小学1年生の時、よく一緒にいた女の子がいた。彼女はすぐ側に来て、いつも世話を焼いてくれたのだ。彼女は、何でも笑顔で助けてくれた。
だが、彼女の名前を覚えていないし、後でクラスの写真を見ても、どれが彼女だったのか分からない。
本当にいたのかどうかも疑わしい。
いや、彼女は本当はいなかったのだ。
子供の精神とは驚くべきものだ。そんな天使のような子がいて欲しいと望んだ私の心が彼女を創造したのだ。
しかし、彼女は、親や学校や、雲や風や、それどころか、地球よりも確かに存在していたのである。
天使や妖精はどこにだっている。
あなたに想像力があれば。そして、それらは全て現実なのである。そう、断じて本物なのである。
あなたが逃れなれない現実と感じているものも幻想である。それは、あなたの素晴らしい想像力が生み出したものだ。
それに少しの愛を注げば、それらは満足して消え去るのである。そして、全て、ただの思い出になるのである。とてもあやふやな、笑いたくなるような、照れてしまうような、とても滑稽な思い出なのである。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。


人気ランキング参加中です |
![]() ![]() |
今日のお話は本当に感動しました。なんて素敵な話でしょう。
ところで、ひとつだけわからなかった部分があったので、もしよろしかったらお答え願いたいのですが・・・。
あなたが逃れられない現実と感じているものも幻想である。・・
「それに少しの愛を注げば、それらは満足して消えるのである」とありますが、つらい現実に少しの愛を注ぐ、という意味が良くわからないのです・・。
理解不足で申し訳ありません。