初音ミクは、単なる趣味の世界を超え、例えば、以下のことで人類に大きな発展をもたらした。

・CGM(消費者共有型メディア)を、共感型メディアに昇華させる道を示した。
・現代アートを創造する重要なツールとなった。
・インターネットを通じ、世界中の人々の上に、歴史的にも稀な肯定的で平和的な、精神のつながりを構築した。

もし、初音ミクのコンサート映像を、1960年代や1970年代に持って行って人々に見せれば何と思うだろう。
当時でも、リアルな立体映像、精密な自動人形、あるいは、アンドロイドという発想を持つかもしれないが、それらはあまり支持されないだろう。
特撮という可能性に関しては、当時の世界最高レベル(「特撮の神様」と言われたレイ・ハリーハウゼンの技術等)をあまりに超えているため、やはり賛同が得られないだろう。
そして、一応は、特殊メイクの人間であるという結論に至ると思う。
少女としての完全に理想的なプロポーションは賞賛と羨望の的になるとしても、それは受け入れるだろう。
また、大きな瞳が自然に瞬くことや、あの長い髪の、創作性とリアリティを兼ね備えた動きは驚嘆されるとしても、「何らかの方法でうまくやっているのだ」と言うしかないだろう。
だが、その中で、誰かが言う。
「あれは人間じゃない」
ミクは宙に舞うことも、身体を分裂させることもない(マジシャンのデヴィッド・カパーフィールドならやるのだが)。
ミクのどこを見て、彼女を人ではないと断言するのだろう?
それは、首である。
どれほど首の細い女性と比べても、ミクの首の細さは比較にならない。
人間の首は、あそこまで細くはない。

とはいえ、私は、実に首の細い少女を見たことがある。
人間とは思えない雰囲気があったが、神秘的で、驚くほど美しかった。
そんなことを覚えているのだが、私は、食を厳しく慎んでいたら、自分の首が細くなっていくのを感じていた。
現代人は、首が太過ぎるのではないかと思う。食べ過ぎているのだ。
食が少なく、呼吸が静かであると、首は細くなる。
初音ミクを見ていると、彼女が、とても食の細い、あまり呼吸をしない少女のように感じるのである。
同じように、特に若い女性であれば、食を慎めば、優美な美しさを得るだろうし、微かな呼吸をするようになれば、神秘な雰囲気をまとうようになるだろう。
初音ミクは、そんなことも示している。彼女は21世紀の救世主かもしれない。
その美しいメシアの、今日が5回目の生誕日である。









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