速読というものは、何十年も前から根強い人気がある。
しかし、大切なことは、速く読むことではなく、本に書かれている知識が身に付くことである。
多くの人が、速く読めば沢山覚えられると誤解しているから、速読に人気があるのである。
知識が増えるなら、速く読めるかどうかは、どうでもいいことのはずだ。
だが、実は、もっと大切なことがあるのだが、それを知る者はほとんどいない。

本から知識を得るのに、速読は必要ないし、そんな訓練をするのは時間と労力の無駄である。
政木和三さんが、次のような話を、よく本に書いておられた。
ある弁護士が、六法全書をまるごと覚えてしまった話だが、当然、弁護士なのだから、六法全書は普段からよく見ている。
だが、政木さんが発明したアルファシータ(パラメモリやバイオソニックも同じ)を付けて、パラパラと2日ほどただ見ていた。そうしたら、何条の何項に何が書かれているかまで、全部頭に入ってしまった。
また、ある大学生は、やはりアルファシータを付けて、一晩、3冊の教科書を、これもただ、パラパラ見ていたら、全部覚えてしまい、翌日の試験は満点だった。
これらは、たまたまアルファシータという装置を使ったが、別にそれは必要ない。
ポイントは、本を見る時、「ただ、パラパラと眺めていた」ということだ。決して、覚えてやろうとか、読んでやろうとすら思わないことだ。
仙道の高藤聡一郎さんが、著書の中で、「頭の中のおしゃべりをやめたら、本が高速で読めた」と書かれていたが、これも、読めたというより、覚えられたということであり、頭の中のおしゃべりをやめたとは、何も考えていなかったということだろう。
この「何も考えていなかった」ということについて少し説明しよう。
コリン・ウィルソンは『右脳の冒険』の中で、右脳を働かせるには、左脳の速度を落とすことが必要だと述べていたが、これは即ち、考えることをやめるということである。
ただ、ウィルソンは、その理由を「右脳はスピードがないので、左脳がスピードを落としてやらないとついていけないからだ」という、大馬鹿を書いていたのが残念である。
右脳の速さは左脳の100億倍をはるかに超えるが、左脳が邪魔をするので、力を発揮できないだけなのだ。
尚、右脳、左脳という言い方も、本当は正確なものではない。どこまでが右脳で、どこまでが左脳であるかは厳密に決められるものではない。しかし、概念上は便利なのでそのように言っても良いかもしれない。左脳は理屈を扱い、右脳は直感を扱うと一応言っておくなら、理屈が邪魔しなければ、素晴らしい直感が得られる。
ただし、理屈の方もある程度鍛えられていないと、次のようなことになる。
朝、目覚めた時、夢を見ていたのだが、さっぱり覚えていないということがよくあるだろう。
これと同じで、本を見て、その内容は頭の中に入っているのに、さっぱり思い出せないということになるのである。
実は、「覚えてやろう」という欲望のために頭が働いて、本の内容が覚えられないというのも、実は、頭には入っているのだが、思い出せないということなのだと思う。
覚えていても、思考と融合してしまっているものは思い出せないし、また、論理的な受け皿がなければ、やはり想起でなきない。
上の例で言えば、六法全書を2日で覚えた弁護士は、長年に渡って六法全書を勉強したり活用したのだし、教科書3冊を1日で覚えた大学生も、不勉強とはいえ、普段からそこそこは勉強していたから、そんなことが出来たのである。
ただしだ。
一番最初に、速く読むとか、知識を得る以上に大切なことがあると書いたはずである。
本当のことを言えば、勉強をする必要もないのだ。
しかし、いくら、「覚えようとしてはならない」と言っても、表面的には、「分かった。覚えようとなどしないぞ」と思っても、心の中では、「楽に満点を取って、いい思いをしてやる」と思うのを止められない場合が多いのであるから、かなり難しいことだが、一応、下に書いてみる。
それは、勉強しなくても、本当は全部分かっているということだ。
関英男博士も、それを知っていたらしく、誰よりも勉強した関博士が、「将来は、勉強はしなくてよくなるでしょう」と本に書いておられた。
こういうことだ。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻に、著者のベアード.T.スポールディングが、4歳の時、住んでいたインドの大学予備校で、習ったこともない文字を見せられ、「分からない」と言うと、教師は、「そんな考え方ではいけない。チャンと分かっているのだと思え」と言われ、それに従ったおかげで、彼は14歳で大学を卒業した。
彼は、子供だったので、素直に従うことが簡単に出来たのだろう。

私も、加速訓練として、呼吸を希薄にした状態で(即ち、理屈の脳の働きを抑えこんで)、本を、絵でも眺めるように、パラパラ見ている。
よく誤解されるが、見ている側から、頭の中にイメージや理解が溢れてくるというのではない。眠っている間に、意識の中でイメージが整理され、目が覚めている時でも、思考を停止すれば、必要な知識が、向こうからやってくるのである。
上で、六法全書を2日で暗記した弁護士や、教科書3冊を1日で暗記した大学生も、眠った間に意識の中にイメージが定着したのである。
あなたも、「覚えてやろう」とか、「いい思いをしてやろう」などと思わず、ただ本をパラパラ見れば、意識の神秘の力を思い知ることになるのである。
ところで、今、Amazonを見たら、上にご紹介した、秘法満載の書、『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻が、珍しく在庫されていた。この5巻は単独で読んでも構わないように書かれていると思う。









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