「カツアゲ」とはおかしな言葉だと思う。なぜ、「カツサゲ」でないのだろう?
脅している相手を上げてどうするのだ?
『涼宮ハルヒの憂鬱』で、ハルヒ(高1女子)は、キョン(高1男子)に言うことを聞かせるため、自分よりずっと背が高いキョンのネクタイを掴んで上に引っ張り上げ、
「協力しなさい!」
と命じる。
キョンは、「カツアゲされている気分だぜ」と思う。
カツアゲの時は、普通、襟首を掴んで上に引っ張り上げる。
なぜこんなことをするのか、考えたことがあるだろうか?
こうされると、やはり不安な気分になるのだ。つまり、上に引っ張られているのだから、「落ち着かない」のだ。なかなか論理的ではないか?
だが、おかしなことに、よく見たら、襟首を掴んでいる方も、まるで、見えない手に襟首を引っ張り上げられているかのごとく、アゴが上がっているのである。
なんとも間抜けな姿である。私は思わず笑ってしまう。
私が高校生の時、学校に非常に腹の据わった男子生徒がいた。彼は、大勢の不良にカツアゲされた時、襟首は掴まれているのだが、アゴを引き、胸を落としていた。
やがて、カツアゲしている方が動揺してきた。そして、不良共は、根を上げてしまい、捨てセリフを残して消えた。
その腹の据わった男子の家はお寺で、彼も修行をしていた。
本当の修行をしている者は、胸を出さない。肩をいからせ、胸とアゴを上げている不良が敵わないのは当たり前なのである。
ところが、日本の教育では、「胸を張り、腹を引け」である。これは脅しに弱い、落ち着かない人間を作る目的の教育である。
学校には決して従ってはならない。
日航社長や日銀副総裁だった柳田誠二郎氏が、心を病んでいた学生時代、岡田虎二郎の静坐の道場に行き、虎二郎の前に座った。
すると、虎二郎は、誠二郎の襟首を掴んだのだが、なんと、引っ張り下げた。カツアゲの反対である。
30分後、目を開けると、誠二郎の前には別世界があった。天国のような世界である。
カツアゲにも、一定の論理があることが分かる。では、その反対をやれば良いのだ。
アニメなどで、可愛い女の子が、自分より大きな男性(お兄さんのような人)に頭を撫でられて喜ぶ場面がよくある。
実際、そうしてもらうと落ち着くのだが、それは、好きな人に触れられる喜びと共に、頭を押さえることで、上がり過ぎた胸を下げるからなのだ。
誰だったか忘れたが、ある少女のアイドルが、寝る時は横向きになって、両手を股の間に挟んで寝ると言っていたのを覚えている。そうすると落ち着くからなのだが、これも、その姿勢をとれば、胸が腹に引き寄せられるからだ。
心というものは胸にあるように思える。
ラマナ・マハルシすら、ハート(この場合は、魂の座という意味)は胸にあり、そこから心が発生すると言った。
一方、魂は腹にある。
胸を張って胸を上に引っ張り上げると、心が魂から離れて、不安定になり、不安になるのだ。
反対に、胸と腹が近付くと、心が魂(神の分魂)に近付くのであり、神と一体化する。そうすれば、心が落ち着いて当たり前なのである。
心は神の中に溶け、そうなれば、何も恐れる必要はない。
合気道の達人、植芝盛平は、それが完全に出来ていたのだろう。
彼は神であり、宇宙であった。そして、全ては宇宙の中、神の中である。
だから、敵が植芝と争おうとした時、自分がその一部であるものと争うのであるから、最初から負けているのである。
だから、植芝は無敵である。猛獣すら、彼に挑むことは決してなかった。
ラマナ・マハルシも、虎が歩き回っている中で平然と瞑想し、どんな猛獣も彼を傷付けることはなかったという。
肩の力を抜き、背筋を伸ばし、自然に胸が腹に近付くような姿勢で立ち、座れば、自然に心が落ち着き、無限の力も出る。何もかもうまくいく。
ふんぞり返って座れば、腹と胸は完全に分断され、魂を見失ってしまう。電車の中では、そんな人だらけであることが分かる。
普段から、腹を意識することだ。
胸でハアハアとせわしく息をすれば、落ち着きをなくし、エネルギーを失う。
腹でゆったり呼吸すれば神とつながる。眠っている赤ん坊は腹で呼吸している。だから無敵である。
史上最強のプロレスラー、ルー・テーズが、彼の必殺技バックドロップを、「ヘソで投げる」と言っていたのが印象深い。
もちろん、物理的にヘソで投げるわけではないが、ヘソを中心に動くことが極意なのだろう。
ヘソは無敵であると言った偉大な霊覚者がいた。万能のヘソが開けば、何をやってもうまくいくし、事故に遭わず、病気にもならない。剥げ頭に毛も生えてくるという。
ヘソか丹田か、太陽神経叢(胃の裏側)か仙骨か尾骶骨かと人によって色々に言うが、いずれにしろ、胸の中の心を腹にある魂に近付けることである。
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脅している相手を上げてどうするのだ?
『涼宮ハルヒの憂鬱』で、ハルヒ(高1女子)は、キョン(高1男子)に言うことを聞かせるため、自分よりずっと背が高いキョンのネクタイを掴んで上に引っ張り上げ、
「協力しなさい!」
と命じる。
キョンは、「カツアゲされている気分だぜ」と思う。
カツアゲの時は、普通、襟首を掴んで上に引っ張り上げる。
なぜこんなことをするのか、考えたことがあるだろうか?
こうされると、やはり不安な気分になるのだ。つまり、上に引っ張られているのだから、「落ち着かない」のだ。なかなか論理的ではないか?
だが、おかしなことに、よく見たら、襟首を掴んでいる方も、まるで、見えない手に襟首を引っ張り上げられているかのごとく、アゴが上がっているのである。
なんとも間抜けな姿である。私は思わず笑ってしまう。
私が高校生の時、学校に非常に腹の据わった男子生徒がいた。彼は、大勢の不良にカツアゲされた時、襟首は掴まれているのだが、アゴを引き、胸を落としていた。
やがて、カツアゲしている方が動揺してきた。そして、不良共は、根を上げてしまい、捨てセリフを残して消えた。
その腹の据わった男子の家はお寺で、彼も修行をしていた。
本当の修行をしている者は、胸を出さない。肩をいからせ、胸とアゴを上げている不良が敵わないのは当たり前なのである。
ところが、日本の教育では、「胸を張り、腹を引け」である。これは脅しに弱い、落ち着かない人間を作る目的の教育である。
学校には決して従ってはならない。
日航社長や日銀副総裁だった柳田誠二郎氏が、心を病んでいた学生時代、岡田虎二郎の静坐の道場に行き、虎二郎の前に座った。
すると、虎二郎は、誠二郎の襟首を掴んだのだが、なんと、引っ張り下げた。カツアゲの反対である。
30分後、目を開けると、誠二郎の前には別世界があった。天国のような世界である。
カツアゲにも、一定の論理があることが分かる。では、その反対をやれば良いのだ。
アニメなどで、可愛い女の子が、自分より大きな男性(お兄さんのような人)に頭を撫でられて喜ぶ場面がよくある。
実際、そうしてもらうと落ち着くのだが、それは、好きな人に触れられる喜びと共に、頭を押さえることで、上がり過ぎた胸を下げるからなのだ。
誰だったか忘れたが、ある少女のアイドルが、寝る時は横向きになって、両手を股の間に挟んで寝ると言っていたのを覚えている。そうすると落ち着くからなのだが、これも、その姿勢をとれば、胸が腹に引き寄せられるからだ。
心というものは胸にあるように思える。
ラマナ・マハルシすら、ハート(この場合は、魂の座という意味)は胸にあり、そこから心が発生すると言った。
一方、魂は腹にある。
胸を張って胸を上に引っ張り上げると、心が魂から離れて、不安定になり、不安になるのだ。
反対に、胸と腹が近付くと、心が魂(神の分魂)に近付くのであり、神と一体化する。そうすれば、心が落ち着いて当たり前なのである。
心は神の中に溶け、そうなれば、何も恐れる必要はない。
合気道の達人、植芝盛平は、それが完全に出来ていたのだろう。
彼は神であり、宇宙であった。そして、全ては宇宙の中、神の中である。
だから、敵が植芝と争おうとした時、自分がその一部であるものと争うのであるから、最初から負けているのである。
だから、植芝は無敵である。猛獣すら、彼に挑むことは決してなかった。
ラマナ・マハルシも、虎が歩き回っている中で平然と瞑想し、どんな猛獣も彼を傷付けることはなかったという。
肩の力を抜き、背筋を伸ばし、自然に胸が腹に近付くような姿勢で立ち、座れば、自然に心が落ち着き、無限の力も出る。何もかもうまくいく。
ふんぞり返って座れば、腹と胸は完全に分断され、魂を見失ってしまう。電車の中では、そんな人だらけであることが分かる。
普段から、腹を意識することだ。
胸でハアハアとせわしく息をすれば、落ち着きをなくし、エネルギーを失う。
腹でゆったり呼吸すれば神とつながる。眠っている赤ん坊は腹で呼吸している。だから無敵である。
史上最強のプロレスラー、ルー・テーズが、彼の必殺技バックドロップを、「ヘソで投げる」と言っていたのが印象深い。
もちろん、物理的にヘソで投げるわけではないが、ヘソを中心に動くことが極意なのだろう。
ヘソは無敵であると言った偉大な霊覚者がいた。万能のヘソが開けば、何をやってもうまくいくし、事故に遭わず、病気にもならない。剥げ頭に毛も生えてくるという。
ヘソか丹田か、太陽神経叢(胃の裏側)か仙骨か尾骶骨かと人によって色々に言うが、いずれにしろ、胸の中の心を腹にある魂に近付けることである。
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心は胸。
ハートも胸近く。
魂は腹。
魂とハートの違いはいつも気になりますが、
そんな概念より腹に意識を込めることが大事ですね。
マハラジに「体験してみなさい」と言われますね。
「アイ・アム・ザット 私は在る」をようやく読み終えましたが、
素晴らしい本でした。ご紹介ありがとうございます。
僕にとっては、「あるがままに」「誰がかまうもんか」よりいいものでした。人によるんでしょうね。
どれも大変貴重な本で、それを読めただけでこの生に感謝できるほどです。
kayさんには大変感謝しております<m(__)m>