心を鍛えるということに対し、世間では大きな誤解があるように思う。
暑さ寒さに耐えられるというのは、心の問題ではなく、身体の抵抗能力や脳幹による調整機能の問題だ。
やせ我慢をするより、普段から快適な環境にばかりいないで、多少暑かったり、寒かったりする場所にいなければならない。
むしろ、根性発揮のつもりで、やせ我慢をすると、身体を壊し、下手すると病気になる。
武道家などがよく、腕立て伏せをする際に、「駄目だと思っても、がんばってもう1回やると力が付くんだ」と言うが、そんなことを真に受けてやると、腕や肩を痛める可能性が高い。それに、そんなやり方は続かない。
15回が精一杯なら、10回を間をおいて2回やるとか、その10回を毎日やれば良い。
私は、限界が150回くらいの時、毎日100回やり、やがて、自然に200回以上やれるようになった。ただ、毎日ではなく、多くとも週4回位が良いようにも思う。毎日240回やっているうちに、肩を壊してしまったことは以前に書いた。
今は、もっと余裕のあるやり方で、良い効果を得ている。
根性を発揮するというのと、心を鍛えるというのは全く違うのだ。
さらに、他人に対し、無理に根性を発揮させようとすると、その者の心が歪んで取り返しがつかなくなるだろう。
悪口を言われて我慢するというのはどうだろう?
無論、悪口を言われてすぐに何らかの反撃をするのは馬鹿なことだが、やせ我慢もいけない。
やせ我慢を強要すれば、やはり心を歪めてしまうことになるだろう。
正しい心の処し方を教えてこそ、親であり、教師であり、先達であるが、悪口に悪口で応じる親や教師や先輩が多いのだからどうしようもない。
アイルランドの詩人W.B.イェイツが言った、非常に印象的な言葉がある。
「心を鍛えるには、孤独に耐えるしかない」
これは、正しいとも言えるし、正しくないとも言える。
孤独が、結果的に人を向上させることは確かだ。
しかし、無理に孤独に耐えるだけでは、やはり、心が悪い形で変質してしまう危険もあるのだ。
では、心を正しく鍛える方法を、喩えを使って述べよう。
アニメ作品『魔法少女リリカルなのは』で、魔導師の少女なのはが、やはり魔導師で同い年のフェイトに、逢う度に無理矢理に戦いを挑まれ、酷い目に遭わされながら、なぜかフェイトを嫌いになれなかったという理由が印象深かった。
フェイトが美しいということもあったと思うが、フェイトは自分よりずっと強く、冷酷な面もあり、実際、恐ろしかった。しかし、なのはは、フェイトが寂しい子だということに、すぐに気が付いていたのだった。
それは、なのはが、家庭の事情で、幼い頃に、ずっと1人で放置されて寂しかった経験があるからだった。
ところで、なのはは、そんなことが長かったにも関わらず、優しくて素直な少女に成長した。そして、それだけでなく、非常に強い心を持ち、魔法の強い素質を持っている。
これはアニメという架空の話ではあるが、孤独で培った心の強さが魔法の素質になるというのは、あまりにも現実的なのだ。
イェイツもまた、魔法結社の熱心な会員だった。
問題は、なのはが、孤独な時期をどう過ごしたのかだ。
それは、アニメのストーリーとは、あまり関係のないことになる(アニメでは、その部分の話はなかった)。
よって、以下は、あくまで私の論であるが、正しいことを保証する。なぜなら、普遍的なことだからだ。
なのはは、間違いなく、心を忘れてしまう方法を自分で見つけたのだ。
孤独により、辛く感じて苦しむのは、当然であるが心である。
しかし、なのはには、その苦しさを解消する、外的な方法はなかった。
ところが、やがて、こんなことに気付いたのだ。
いつも辛く悲しいと思っていたが、そうでない時間がかなりあるのだ。
それはまず、眠ってしまった時。
そして、非常に驚いたり、あるいは、恐いと思った時。例えば、ゴキブリが恐いなら、それが現れたら、悲しさなど完全に吹っ飛ぶ。
また、何かに夢中になっている時だ。
他にもあるだろう。
そして、やがて、なのはは、それらに共通する精神状態を、自分で作れるようになったのである。
それは、「心が無くなっている」状態だった。
なのはは、心の苦しさから逃れるため、また、心が消えた時に感じる、清々しい不思議な感覚に惹かれ、それを求めるようになったのだろう。
それは、現実にも、よくあることである。
本当に強い心を持った者というのは、心を希薄にする方法を見つけた人なのだ。
ここで言う心は、自我と同じと思ってもらってよい。
自我が強い者は、すぐに腹を立てたり、泣いたり、あるいは、切れたりする。
自我が強いというのは、心が弱いという意味になるが、それは、心を希薄にする能力が無いことなのだ。心を希薄にするとは、一般的には、心を静めるという。
我が国の、優れた技芸・・・武道、茶道、華道、書道、弓道などは、本来は、心を静かにし、無に近付くことで、人間に隠された真の力を知ることを目指したものだ。
しかし、現在は、これらの技芸が、勝敗や優劣というものに囚われるようになってしまい、本来の価値を無くしてしまったのである。
なのはのように、寂しくて辛い状態に置かれることが、心を消す極意に導くことがある。
しかし、寂しさでなくても、心が辛く感じることであれば、何でも有効だ。
例えば、空腹な時に、美味しいものが食べられない。
美しい少女がいるのに得られない。
友達が欲しいのに、1人も出来ない。
・・・などである。
ただ、注意すべきことがある。それを以下に述べる。
インドの聖者ラマナ・マハルシが特に取り組んだのは、沈黙・・・喋らないことだった。これも実に有効である。
彼は、3年もの間、沈黙の行を続け、偉大な聖者になったのだ。
勿論、我々が、マハルシのように3年もの間、沈黙を守ることは出来ない。
しかし、マハルシのアドバイスは役に立つ。
ある、投獄された政治的活動家が、政府によって沈黙を強制された。この活動家が、解放された時、「私は沈黙の行を達成した」と宣言した。
これに対し、マハルシは、「強制された沈黙は、行にはならない」と言った。
私は、強制された沈黙でも、それに耐えるために心を消すことに成功したなら行であると思う。だが、多くの場合、強制された苦痛は、恨みや恐怖のために、かえって心を活発化させることが多いのである。
だが、自主的なものであれば、心の静止につながる可能性が高いのだ。
なのはの孤独は、強制された孤独であったが、彼女の場合、それまでに、両親や兄、姉によって、良い傾向性が与えられていた幸運があったのである。また、幼いながら、なのはにも家庭の事情(父親が大怪我で入院した)が理解できていたのである。
我々も、自主的に食を慎むことや、自主的に禁欲するなどで、心を希薄にする術を得ることが出来る。この2つを慎むことが、人間には特に辛いからである。
また、学校や職場が特に辛い状況であるなら、是非、利用していただければと思う。
言い換えるなら、辛いと思ったら、それを感じている心を消せば良い。
そして、心が消えれば、神に近付くのであるから、あなたに敵はいない。
もっとも、心が消えれば、争うこともないのである。
しかし、極端な少食も、悪い結果になる。反動で過食になったり、あるいは、食は確かに少なく、場合によっては不食(食べずに生きられること)になっても、極めて偏狭な精神性の持ち主になったり、馬鹿げたプライドを持ったりで、明らかに変な人になることが多いのだ。
無理をせず、まずは、間食をやめること。そして、満腹するまで食べないことだ。
それもどうしても出来ないなら、別の手段に換えるしかない。
独身であれば、性欲の慎みに関しては、極端で良い。上杉謙信やマハトマ・ガンジーのように、完全に禁欲すべきだ。アイドルのグラビア写真1枚見てはならない(最近のアイドルのグラビアはあまりに卑猥だ)。私に出来るのだから、あなたにも出来るだろう。
それも無理なら・・・いや、全く心配ない。方法はいくらでもあるのだから。
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暑さ寒さに耐えられるというのは、心の問題ではなく、身体の抵抗能力や脳幹による調整機能の問題だ。
やせ我慢をするより、普段から快適な環境にばかりいないで、多少暑かったり、寒かったりする場所にいなければならない。
むしろ、根性発揮のつもりで、やせ我慢をすると、身体を壊し、下手すると病気になる。
武道家などがよく、腕立て伏せをする際に、「駄目だと思っても、がんばってもう1回やると力が付くんだ」と言うが、そんなことを真に受けてやると、腕や肩を痛める可能性が高い。それに、そんなやり方は続かない。
15回が精一杯なら、10回を間をおいて2回やるとか、その10回を毎日やれば良い。
私は、限界が150回くらいの時、毎日100回やり、やがて、自然に200回以上やれるようになった。ただ、毎日ではなく、多くとも週4回位が良いようにも思う。毎日240回やっているうちに、肩を壊してしまったことは以前に書いた。
今は、もっと余裕のあるやり方で、良い効果を得ている。
根性を発揮するというのと、心を鍛えるというのは全く違うのだ。
さらに、他人に対し、無理に根性を発揮させようとすると、その者の心が歪んで取り返しがつかなくなるだろう。
悪口を言われて我慢するというのはどうだろう?
無論、悪口を言われてすぐに何らかの反撃をするのは馬鹿なことだが、やせ我慢もいけない。
やせ我慢を強要すれば、やはり心を歪めてしまうことになるだろう。
正しい心の処し方を教えてこそ、親であり、教師であり、先達であるが、悪口に悪口で応じる親や教師や先輩が多いのだからどうしようもない。
アイルランドの詩人W.B.イェイツが言った、非常に印象的な言葉がある。
「心を鍛えるには、孤独に耐えるしかない」
これは、正しいとも言えるし、正しくないとも言える。
孤独が、結果的に人を向上させることは確かだ。
しかし、無理に孤独に耐えるだけでは、やはり、心が悪い形で変質してしまう危険もあるのだ。
では、心を正しく鍛える方法を、喩えを使って述べよう。
アニメ作品『魔法少女リリカルなのは』で、魔導師の少女なのはが、やはり魔導師で同い年のフェイトに、逢う度に無理矢理に戦いを挑まれ、酷い目に遭わされながら、なぜかフェイトを嫌いになれなかったという理由が印象深かった。
フェイトが美しいということもあったと思うが、フェイトは自分よりずっと強く、冷酷な面もあり、実際、恐ろしかった。しかし、なのはは、フェイトが寂しい子だということに、すぐに気が付いていたのだった。
それは、なのはが、家庭の事情で、幼い頃に、ずっと1人で放置されて寂しかった経験があるからだった。
ところで、なのはは、そんなことが長かったにも関わらず、優しくて素直な少女に成長した。そして、それだけでなく、非常に強い心を持ち、魔法の強い素質を持っている。
これはアニメという架空の話ではあるが、孤独で培った心の強さが魔法の素質になるというのは、あまりにも現実的なのだ。
イェイツもまた、魔法結社の熱心な会員だった。
問題は、なのはが、孤独な時期をどう過ごしたのかだ。
それは、アニメのストーリーとは、あまり関係のないことになる(アニメでは、その部分の話はなかった)。
よって、以下は、あくまで私の論であるが、正しいことを保証する。なぜなら、普遍的なことだからだ。
なのはは、間違いなく、心を忘れてしまう方法を自分で見つけたのだ。
孤独により、辛く感じて苦しむのは、当然であるが心である。
しかし、なのはには、その苦しさを解消する、外的な方法はなかった。
ところが、やがて、こんなことに気付いたのだ。
いつも辛く悲しいと思っていたが、そうでない時間がかなりあるのだ。
それはまず、眠ってしまった時。
そして、非常に驚いたり、あるいは、恐いと思った時。例えば、ゴキブリが恐いなら、それが現れたら、悲しさなど完全に吹っ飛ぶ。
また、何かに夢中になっている時だ。
他にもあるだろう。
そして、やがて、なのはは、それらに共通する精神状態を、自分で作れるようになったのである。
それは、「心が無くなっている」状態だった。
なのはは、心の苦しさから逃れるため、また、心が消えた時に感じる、清々しい不思議な感覚に惹かれ、それを求めるようになったのだろう。
それは、現実にも、よくあることである。
本当に強い心を持った者というのは、心を希薄にする方法を見つけた人なのだ。
ここで言う心は、自我と同じと思ってもらってよい。
自我が強い者は、すぐに腹を立てたり、泣いたり、あるいは、切れたりする。
自我が強いというのは、心が弱いという意味になるが、それは、心を希薄にする能力が無いことなのだ。心を希薄にするとは、一般的には、心を静めるという。
我が国の、優れた技芸・・・武道、茶道、華道、書道、弓道などは、本来は、心を静かにし、無に近付くことで、人間に隠された真の力を知ることを目指したものだ。
しかし、現在は、これらの技芸が、勝敗や優劣というものに囚われるようになってしまい、本来の価値を無くしてしまったのである。
なのはのように、寂しくて辛い状態に置かれることが、心を消す極意に導くことがある。
しかし、寂しさでなくても、心が辛く感じることであれば、何でも有効だ。
例えば、空腹な時に、美味しいものが食べられない。
美しい少女がいるのに得られない。
友達が欲しいのに、1人も出来ない。
・・・などである。
ただ、注意すべきことがある。それを以下に述べる。
インドの聖者ラマナ・マハルシが特に取り組んだのは、沈黙・・・喋らないことだった。これも実に有効である。
彼は、3年もの間、沈黙の行を続け、偉大な聖者になったのだ。
勿論、我々が、マハルシのように3年もの間、沈黙を守ることは出来ない。
しかし、マハルシのアドバイスは役に立つ。
ある、投獄された政治的活動家が、政府によって沈黙を強制された。この活動家が、解放された時、「私は沈黙の行を達成した」と宣言した。
これに対し、マハルシは、「強制された沈黙は、行にはならない」と言った。
私は、強制された沈黙でも、それに耐えるために心を消すことに成功したなら行であると思う。だが、多くの場合、強制された苦痛は、恨みや恐怖のために、かえって心を活発化させることが多いのである。
だが、自主的なものであれば、心の静止につながる可能性が高いのだ。
なのはの孤独は、強制された孤独であったが、彼女の場合、それまでに、両親や兄、姉によって、良い傾向性が与えられていた幸運があったのである。また、幼いながら、なのはにも家庭の事情(父親が大怪我で入院した)が理解できていたのである。
我々も、自主的に食を慎むことや、自主的に禁欲するなどで、心を希薄にする術を得ることが出来る。この2つを慎むことが、人間には特に辛いからである。
また、学校や職場が特に辛い状況であるなら、是非、利用していただければと思う。
言い換えるなら、辛いと思ったら、それを感じている心を消せば良い。
そして、心が消えれば、神に近付くのであるから、あなたに敵はいない。
もっとも、心が消えれば、争うこともないのである。
しかし、極端な少食も、悪い結果になる。反動で過食になったり、あるいは、食は確かに少なく、場合によっては不食(食べずに生きられること)になっても、極めて偏狭な精神性の持ち主になったり、馬鹿げたプライドを持ったりで、明らかに変な人になることが多いのだ。
無理をせず、まずは、間食をやめること。そして、満腹するまで食べないことだ。
それもどうしても出来ないなら、別の手段に換えるしかない。
独身であれば、性欲の慎みに関しては、極端で良い。上杉謙信やマハトマ・ガンジーのように、完全に禁欲すべきだ。アイドルのグラビア写真1枚見てはならない(最近のアイドルのグラビアはあまりに卑猥だ)。私に出来るのだから、あなたにも出来るだろう。
それも無理なら・・・いや、全く心配ない。方法はいくらでもあるのだから。
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