ベアード.T.スポールディングの『ヒマラヤ聖者の生活探求』という本の中に、アメリカの調査隊の人々が、ヒマラヤの超人的な聖者達と生活を共にするうちに、次のようなことが出来るようになったことが書かれている。
19世紀のことであるから、文字を書くには、手書きするかタイプライターを使うしかないのであるが、彼らが、古代インドの言葉を英語に翻訳するような仕事をする際、紙の上に文字が勝手に現れて、次々に仕上がっていったという。
なんとも荒唐無稽な話であるが、精神科医のミルトン・エリクソンも、講演で似たようなことを言っていたらしい。
エリクソンは、比較する者のいないほどの、あまりに偉大な精神科医だった。魔法を使って治しているのだと言われるほどだったが、そう思われるのももっともなことだった。

エリクソンの話とは、仕事をする時に、彼は自分をトランス(変性意識)状態にし、その後のことは憶えていないのだが、通常の意識が戻った時には、机の上には仕上がった仕事が置かれてあるといったものだった。
トランス状態とは、表層意識が消失した状態のことだが、宗教的、あるいは、神秘学的な法悦状態(入神状態)、すなわち、神懸り的な状態のことを指すことも多い。
催眠術でも、催眠状態のことをトランス状態と言うが、これは、通常の意識(表層意識あるいは顕在意識と言う)を微かにすることで、暗示を受け容れ易い状態になったことである。

催眠術の本を読めば、そういったトランス状態に人を導いたり、あるいは、自分をトランス状態にする方法が書かれているが、あまり上手くいった人はいないと思う。しっかりとした訓練が必要ということもあるが、資質の問題もあるのである。

それよりも、声優で歌手の水樹奈々さんが、自叙伝『深愛』に書かれていたエピソードの方が興味深い。
水樹さんは、元々演歌歌手を目指し、その訓練をしてきたこともあり、ロック調の歌がうまく歌えず、特訓をしていた時のことだ。とにかく、ひたすら歌いまくったようだ。その時、音楽と自分が一体化してしまったような不思議な感じがしたという。彼女も、これがトランス状態なのかと思ったようだ。
そう。まさにそれがトランス状態だ。
別の言い方をすると、エクスタシー(忘我)の状態である。文字通り、我(自我)を忘れてしまった、つまり、表層意識である自我が消えてしまった状態だ。
「20世紀最大の詩人」W.B.イェイツが、「芸術の目的はエクスタシー」と言ったのも頷けるのである。

酒の力でトランスに入れるだろうか?
確かに、アルコールでトランスに入れる人もいないでもない。
エドガー・アラン・ポーがそうだった。彼は、酒を飲むと、神懸り的に美しい言葉を語り始めるのだ。
画家の中にも、制作にアルコールが不可欠という者もいる。
ただ、普通の人は決してうまくいかないし、ポーらも、結局は悲惨な最期となっているのだ。
酒を飲んで、表層意識が無くなること自体は珍しくはない。しかし、脳が異常状態になっているので、深層意識と全く調和出来ず、結果、悪霊にでもとりつかれた感じになる。
いかにトランス状態と言っても、深層意識とつながるのは、あくまで脳なのだから、当たり前のことだ。
仮に、異常にアルコールに強い者でも、長期間に渡って飲み続ければ、最後には身体を壊す。ポーにしろ、若くして病死しているし、ロートレックは発狂した。
量子物理学者で神秘関係の知識や体験の豊富なフレッド・アラン・ウルフ博士は、アルコールを補助的に使うのは良いのではないかと述べている。また、コリン・ウィルソンも、音楽とウイスキーが自分を高次の意識状態に導くのに役立ったと述べていた。
しかし、それも人によるのであり、私はお薦めしない。尚、ルドルフ・シュタイナーはアルコールは一切禁止している。

トランス状態になるコツは、いかにして、考えない状態になるかだ。
表層意識あるいは自我とは、考えることがその本質だ。
言ってみれば、努力なしに、何も考えない状態がトランス状態である。
宗教やヨーガ、あるいは、修験道の修行では、呪文を唱えることで入神する、つまり、トランスに入るという方法がよく行われると思う。
般若心経というお経は、まさに、観音様が、呪文を唱えているうちにトランス状態になり、この世の真理を悟ったと書かれているのである。
しかし、呪文でトランスになるには、何時間唱え続けなければならないだろう?
般若心経には、観音様が何回「ギャテイ、ギャテイ・・・」と唱えたかとは書かれていないのである。
「もう嫌!」という気分になっても、後ろから、「やめたら刺すぞ」とナイフを突きつけられているような状態でなければ、とても無理だ。

まあ、一瞬でトランス状態になりたければ、ロシアン・ルーレットという方法もある。弾丸を1~2発込めたリボルバー型(回転弾倉型)拳銃の弾倉をデタラメに回転させた後で、銃口を自分のコメカミに突きつけて引き金を引くのだ。
うまくいけば、すぐにトランスに入れる。引き金を引く時には、思考なんて吹っ飛んでしまうからだ。だが、同時に死んでしまう可能性がある。
それ以前に、拳銃の入手が難しいし、入手すべきでないだろう。

そこで、エリクソンのことを述べよう。
彼は、それが運命だったのだろうが、彼にすれば、偶然にトランスに入る訓練をしてしまっていたのだ。
彼の子供の頃の愛読書は、なんと、辞書だった。
彼の家には、本は、聖書と辞書しかなかったのだが、彼はなぜか辞書を選んだのだ。
他に読むものもないので、Aから始めて最後まで読むということを、何年間も繰り返した。
おかしなことに、エリクソンは、学校に入って辞書を使うようになっても、索引を使うということを思いつかず、いつも先頭ページから順に見ていって調べたらしい。
気の遠くなるような話だが、これが素晴らしい訓練だったのだ。
単調なことを延々と、ただ、目的の単語があるかどうかだけを意識しながら行う。
考える意識である表層意識は消え去り、観照状態になっているのだ。
そして、エリクソンは17歳の時、ポリオに感染し、目玉以外を全く動かせなくなった。
そのような状態では、考えるだけ無駄であるので、何も考えずに、ただ見えるものを、あるがままに見るという観照状態になるのだ。
私は、これらのことが、エリクソンに、いつでもトランス状態になれるコツを身に付けさせたのだと確信している。結果、彼は超人になったのだ。

トランス状態に入るには、自我が屈服し、消えてしまうようなことをすれば良いのだ。
水樹さんが、延々とロックを歌ったように、エリクソンが辞書を淡々と読んだように。
超人的な合氣道家の藤平光一さんの本を読んでも、やはり彼は、一時期、同じ動作を1日中繰り返すような修行をかなりの期間やっている。
「プロレスの神様」カール・ゴッチが、毎日スクワット1万回をしたというのは、スポーツ医学的に見れば誤ったトレーニングと思うが、そんなことはものの数ではないのである。
関英男博士が腕振り運動を1日2千回やったのも、腕振り運動の効果と共に、やはり、その間にトランス状態になっていたのだと思う。だから胃癌も消えたのだろう。
法然上人が念仏を1日6万回唱えたというのは、自分だけでなく、誰もが法悦に至れる方法だったからだろう。
ラマナ・マハルシの弟子プンジャジも、至高神クリシュナの名を1日4万回唱えた頃があった。
日本の舞踊や武術には、必ずそんな修行がある。
しかし、今の学校やお稽古事では、西洋式の、「面白くなくちゃ勉強じゃない」「楽しくなくちゃ練習じゃない」の一般受けするポリシーに染まってしまい、結局、せいぜいが試験で点を取ったり、審査員という狭い範囲の人達に評価されるポイントだけを狙う賎しいことしか出来なくなってしまい、何の応用も効かないのである。

単調なことを、気が遠くなるような時間やることだ。
絶望的に感じるほど良いのだ。それを敢えてやることだ。
砂場の砂の数を数えるほどの覚悟をすることだ。
そうしたら、自我は屈服し、退くだろう。
それが恒常的にまでなれば、我々は運命に打ち勝ち、平安に至ることだろう。

















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