プロ野球やプロサッカーには、熱狂的なファンがいることはご存知と思うが、それらのスポーツに全く関心を持たない者はもっと多い。
私の知り合いの男性が、好きな女性を野球の観戦に誘ったことがあった。彼は、熱狂的な阪神ファンだったが、その女性はプロ野球に全く興味がなかった。この男性のアプローチが最悪だということはお分かりだろう?この男性は、その女性の趣味を聞いて、それに合わせるべきだったが、仮にそうしたとしても、今度は男性の方が退屈だったろう。
ある年配の男性は、孫娘に好かれようとして、孫娘が好きなアニメのプリキュアを好きなフリをしようとしたが、興味が無いのでさっぱり憶えられない。そして、そのわざとらしいプリキュアファン振りは、孫娘に嫌われてしまう。
一方、別の年配の男性は、孫娘に、自分の趣味を押し付けようとしたが、彼としては善意だった。しかし、孫娘はそれに全く関心が無かったので、おじいさんから距離を置くようになった。
ある父親は、子供達になぜ嫌われているのか全く理解できなかった。欲しいものは買ってあげているし、個性も尊重してあげているつもりだ。自分はさっぱり好きではないが、娘がビジュアル系ロックバンドの熱狂的ファンであることも容認している。
しかし、その父親は、自分の趣味のことを、子供達に延々と熱く語って聞かせる癖があった。父親としては、それは好感を持たれると思っているのだが、それが嫌われるほぼ唯一の理由だった。
小学校などでも、子供達は、同じ趣味を持った者同士がグループになる。
しかし、自分と同じ趣味を持った子供がいなければ、その子は、どこかのグループの子達が持っている趣味に合わせて仲間に入れてもらうしかないが、嫌々やっている雰囲気はグループの子達に伝わるので、いずれ仲間外れにされるだろう。
あるいは、その子が、他の子達の趣味に合わせるのがどうしても嫌なら、最初から友達は出来ない。
アンデルセンは、子供の頃から、神話と人形遊びが趣味だったが、そんな趣味を持った男の子は1人もおらず、当然のことながら友達はいなかった。アンデルセンの家には、1冊だけだったが、文学の本があったが、他の子達の家には物語の本なんて1冊もなかったのだ。
ルイス・キャロルという数学者は、友達といえば13歳以下の少女ばかりで、度々、彼女達を招いてお茶会を開き、面白いお話をしたり、一緒に遊んだ。そして、キャロルが少女達に出した手紙は10万通とも言われる。しかし、見つかった限りでは、男の子に宛てた手紙は1通だけで、しかも、その内容は「私から手紙をもらえなくてもがっかりしてはいけない」といった、実は男の子に手紙を出したくない言い訳だった。
ただ、キャロルは別にロリコンではなく、少女達と仲良くなるためにおかしなお話を作ったのではない。もしそうなら、あれほど多くの少女達の友達は出来なかった。
私もある時期、どういうわけか、毎日、家に小学生の女の子達が遊びに来ることがあったが、その時、キャロルって、すごい忍耐があったのではないかと思ったものだ。正直、遊び相手になるのは大変だった。
人間というのは、プログラミングされたロボットに過ぎないが、プログラミングは生まれる前に組み込まれ、生まれてからは環境によって条件付けられる。趣味というのも、生まれつきのプログラミングと、生きている中での条件付けにより、決まったり、変わったりする。
一生、あまり変わらない者もいれば、頻繁に変わる者もいる。
私は、ひどく頻繁に変わる方だ。昨日までは熱中していたことも、今日にはすっかり醒めているということもよくあった。
そんなプログラミングなのだろう。
宮本武蔵という人は、一生、剣術を趣味とするようプログラミングされていたようだ。剣術が趣味だと言ったら悪いかもしれないが、それも趣味であることには違いない。
ところで、中島敦の『名人伝』や、それとほぼ同じお話が『列子』の中にあるが、その中に、長い修行の末、弓の天下一の名人になった男が登場する。
その男が、家の中にある、あるものを見て思う。
「これはなんだろう?どこかで見たことがあるような気がするが・・・思い出せない」
それは弓だった。
彼は、悟りを開いていた。善と悪の区別なく、我と彼の区別は、既に消失していた。
忘れてしまう程度のものであるからには、弓だって、武蔵の剣術同様、趣味に過ぎない。
趣味があるうちは、悟りからは遠く、この世界でもがき苦しむしかないのである。
武蔵は、剣、あるいは、木刀を見て、「これはいったい何だろう?」と思うようになっていれば、自慢話ばかりして嫌われるじいさんにならなかったかもしれない。
ただ、武蔵は、そんな自分の愚かさを自覚してもいた。養子に迎えた息子には、剣術は一切教えず学問をさせ、息子は安楽に生きることができたのだ。
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私の知り合いの男性が、好きな女性を野球の観戦に誘ったことがあった。彼は、熱狂的な阪神ファンだったが、その女性はプロ野球に全く興味がなかった。この男性のアプローチが最悪だということはお分かりだろう?この男性は、その女性の趣味を聞いて、それに合わせるべきだったが、仮にそうしたとしても、今度は男性の方が退屈だったろう。
ある年配の男性は、孫娘に好かれようとして、孫娘が好きなアニメのプリキュアを好きなフリをしようとしたが、興味が無いのでさっぱり憶えられない。そして、そのわざとらしいプリキュアファン振りは、孫娘に嫌われてしまう。
一方、別の年配の男性は、孫娘に、自分の趣味を押し付けようとしたが、彼としては善意だった。しかし、孫娘はそれに全く関心が無かったので、おじいさんから距離を置くようになった。
ある父親は、子供達になぜ嫌われているのか全く理解できなかった。欲しいものは買ってあげているし、個性も尊重してあげているつもりだ。自分はさっぱり好きではないが、娘がビジュアル系ロックバンドの熱狂的ファンであることも容認している。
しかし、その父親は、自分の趣味のことを、子供達に延々と熱く語って聞かせる癖があった。父親としては、それは好感を持たれると思っているのだが、それが嫌われるほぼ唯一の理由だった。
小学校などでも、子供達は、同じ趣味を持った者同士がグループになる。
しかし、自分と同じ趣味を持った子供がいなければ、その子は、どこかのグループの子達が持っている趣味に合わせて仲間に入れてもらうしかないが、嫌々やっている雰囲気はグループの子達に伝わるので、いずれ仲間外れにされるだろう。
あるいは、その子が、他の子達の趣味に合わせるのがどうしても嫌なら、最初から友達は出来ない。
アンデルセンは、子供の頃から、神話と人形遊びが趣味だったが、そんな趣味を持った男の子は1人もおらず、当然のことながら友達はいなかった。アンデルセンの家には、1冊だけだったが、文学の本があったが、他の子達の家には物語の本なんて1冊もなかったのだ。
ルイス・キャロルという数学者は、友達といえば13歳以下の少女ばかりで、度々、彼女達を招いてお茶会を開き、面白いお話をしたり、一緒に遊んだ。そして、キャロルが少女達に出した手紙は10万通とも言われる。しかし、見つかった限りでは、男の子に宛てた手紙は1通だけで、しかも、その内容は「私から手紙をもらえなくてもがっかりしてはいけない」といった、実は男の子に手紙を出したくない言い訳だった。
ただ、キャロルは別にロリコンではなく、少女達と仲良くなるためにおかしなお話を作ったのではない。もしそうなら、あれほど多くの少女達の友達は出来なかった。
私もある時期、どういうわけか、毎日、家に小学生の女の子達が遊びに来ることがあったが、その時、キャロルって、すごい忍耐があったのではないかと思ったものだ。正直、遊び相手になるのは大変だった。
人間というのは、プログラミングされたロボットに過ぎないが、プログラミングは生まれる前に組み込まれ、生まれてからは環境によって条件付けられる。趣味というのも、生まれつきのプログラミングと、生きている中での条件付けにより、決まったり、変わったりする。
一生、あまり変わらない者もいれば、頻繁に変わる者もいる。
私は、ひどく頻繁に変わる方だ。昨日までは熱中していたことも、今日にはすっかり醒めているということもよくあった。
そんなプログラミングなのだろう。
宮本武蔵という人は、一生、剣術を趣味とするようプログラミングされていたようだ。剣術が趣味だと言ったら悪いかもしれないが、それも趣味であることには違いない。
ところで、中島敦の『名人伝』や、それとほぼ同じお話が『列子』の中にあるが、その中に、長い修行の末、弓の天下一の名人になった男が登場する。
その男が、家の中にある、あるものを見て思う。
「これはなんだろう?どこかで見たことがあるような気がするが・・・思い出せない」
それは弓だった。
彼は、悟りを開いていた。善と悪の区別なく、我と彼の区別は、既に消失していた。
忘れてしまう程度のものであるからには、弓だって、武蔵の剣術同様、趣味に過ぎない。
趣味があるうちは、悟りからは遠く、この世界でもがき苦しむしかないのである。
武蔵は、剣、あるいは、木刀を見て、「これはいったい何だろう?」と思うようになっていれば、自慢話ばかりして嫌われるじいさんにならなかったかもしれない。
ただ、武蔵は、そんな自分の愚かさを自覚してもいた。養子に迎えた息子には、剣術は一切教えず学問をさせ、息子は安楽に生きることができたのだ。
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そんなプログラミングなのだろう。
僕も小さいころにロールプレイングゲームをやっているときに、
「なんで俺はこんなことに頑張っているのか?」と思うことが
何度かあり、面倒になってからやることがなくなりました。
また昨日熱中していたことが今日にはなくなることが多々あります。アウトサイダーとして生きるしかないというのを自覚しつつありましたが、昨日記事で確信しました。
アウトサイダー性はバレると面倒なので、あまり話さないのがベストだと思っています。
というかしゃべるのが億劫になってきています。