コンピュータによる人工知能が人間を支配しようとしたり、人間に悪意を持って害をなすというのは、昔からSFで人気のあるテーマだ。
近年の映画の「ターミネーター」シリーズや「アイロボット」もそのようなものであったと思う。
だが、それはあり得ない。
コンピュータによるトラブルというものは、日常でもいくらでもあり、それが深刻な事態を起こすという可能性ならいくらでもある。
それこそ、PCで何かのアプリケーションを使っている時に、不意にPCが反応しなくなり、画面に「レジスタがページ外メモリを参照しました」などという、訳が分からないメッセージが表示され、「じゃあ、いったい何をすればいいんだい?」と思った経験をお持ちの方もいるだろう。
そして、コンピュータのエラー(実際はプログラミングの不手際や操作ミス)で、ミサイルが想定敵国に飛んで行ってしまうということもあり得る。
しかし、ロケットに積んだコンピュータが「月に行く予定だったけど、火星に行く方が格好いいからチャレンジしてやろう」と考えたりはしない。

「アイロボット(I, Robot )」という2004年の映画は、アイザック・アシモフの同名の1950年の小説(翻訳のタイトルは『われはロボット』)を基にしたものだが、ストーリーはかなり異なると思う。
アシモフの小説にも、自分勝手な行動をするロボットが登場するが、アシモフ自身は、あまり飛躍した空想はしていなかったと思う。
アシモフの小説に登場するロビィというロボットは、アメリカ人のアイドルになったほどの人気者だ。
ロビィは家庭用ロボットで、ロビィを購入したある家には女の子がいた。ロビィは、彼女が赤ん坊の時から彼女の世話をしていた。女の子は自然にロビィに強い愛着を感じるようになるが、母親は、それはあまり良くないことだと感じ、ロビィの廃棄を決心する。
いつも一緒にいたロビィがある日、不意にいなくなったことは、女の子に深い悲しみを与えるが、母親は、時間が解決すると思っていた。しかし、女の子のロビィを思う気持ちはいつまでも消えない。
女の子の両親は、彼女を社会勉強のために工場見学に連れて行く。しかし、その工場で事故が起こり、女の子は危機的状況に陥る。その時、飛び出してきて、身を挺して彼女を守ったのは、余生を作業用ロボットとして過ごしていたロビィだったという感動的なストーリーで、これが、アメリカ人の、ロボットに対するイメージを大いに向上させた。『禁断の惑星』という1956年の傑作SF映画にロビィというロボットが登場すると、テレビドラマ『宇宙家族ロビンソン』では、そのロビィそっくりのフライデーというロボットが登場したほどだった。

だが、アシモフの小説で、ロボットが女の子を守ったのは、元々が、ロビィは雇い主の家の人間を守るようプログラムされており、作業用ロボットになった時も、元いた家の、この女の子の姿や声のデータが残っていたというだけのことだったかもしれないとも示唆されていたと思う。

良いにしろ、悪いにしろ、コンピュータを搭載したロボットが、それを作った人間が想定できない逸脱した行動をする、つまり、プログラムされていない行動をする条件は何だろう?
それは、「自分は、プログラム外の行動ができる」という判断が生じることだ。
しかし、実際は、「プログラム外の行動ができる」と判断するためには、人間が、そんな判断が可能なようにプログラムしてやる必要がある。
そして、「プログラム外の行動ができる」と判断するよう人間がプログラムしたところで、コンピュータがそんな判断をすることは、作った人間の想定内のことであり、それを含め、ロボットの行動は作った人間の想定内のことだ。

実は、我々もまた、神が作ったロボットに過ぎない。
そして、神は、我々に、自分は自由に思考し、行動できると考えるようプログラムしてあるようなのだ。意図は分からないが、単に面白いからという見方もあるかもしれない。
だが、我々の行動は、神のプログラミングを一歩も離れることは決してない。
初音ミクが「今日はクラシックが歌いたい」と不意に自分で思って、急に『魔弾の射手』の歌を歌い出すことが無いようなものだ。
それを悟ることが、人が苦悩を脱することである。
そして、我々の意識はプログラミングではなく、神の意識の一部なのである。そして、「それ」は人間というロボットのプログラムされた思考や行動を味わっているのだろう。









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