『タイガーマスク』や『巨人の星』の原作者である梶原一騎さんは、とても複雑な人間だったと思う。
彼の作品は、現在、日本人の40代以上の多くの男性の精神的支柱となり、我が国に確実に大きな影響を与えているだろう。
彼は1987年に50歳の若さで亡くなっているが、その作品は、いまだ新しい。
『あしたのジョー』は2千万部が出版され、昨年は実写映画も制作された。
また、今も続く、伊達直人(だてなおと)の名で、主に児童施設に寄付が届く「伊達直人現象」のことはご存知と思うが、伊達直人は『タイガーマスク』のヒーローであるプロレスラー、タイガーマスクの正体で、子供時代を孤児院(現在は、児童養護施設という)で過ごした青年の名である。

正直、梶原一騎という男は、人間としては最低の部分が多かったと言っても、梶原一騎さん本人も、多分、怒るまい。
だが、彼が天才であったことは疑いないし、また、彼の中の高貴なものが作品に表れていたことも間違いないと感じる。
梶原一騎が善人か悪人かと言うと、おそらく悪人であったのだろうが、悪人が案外、悟りを開くことがある。
五井昌久さんという有名な宗教家が著書に「小善人が一番悪い。小善人になるくらいなら、大悪人になれ」と書かれていたのを思い出す。
『歎異抄』の有名な言葉、「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや(善人でさえ往生できるのだから、悪人が往生するのは当然なのだ)」を思い出す人も多いと思う。

また、梶原一騎さんは、非常に人生経験が豊富だった。
彼の作品には、度々、少年院の中の様子が描かれ、主人公の少年達がリンチに遭う場面が非常に生々しいが、それも当然で、彼自身の体験なのである。
大人になってからも、危ないこと(多くは悪いことだろうが)は一通りやったような貫禄があった。
だが、梶原さんが闘病後、すっかりやせ細り、以前のやくざのボス的な雰囲気の影もなくなった時に、インタビューを受けていた時は、まさに悟りを開いたような穏やかさだったという。

ところで、『あしたのジョー』の中で、私は、長い間、納得できなかったことがあった。
『あしたのジョー』のはじめの方の話は、簡単に言うと、こんな感じだ。
流れ者の不良少年、矢吹丈は、遂には少年院に入れられる悪事を行うが、元三流プロボクサーの丹下段平(たんげだんぺい)にその素質を見込まれ、段平は丈をボクサーにしようとする。
最初は、ボクサーになる気などさらさらなかった丈だが、同じ少年院に入れられていた、駆け出しプロボクサーの力石徹と出逢い、丈は力石を叩きのめしたいと思ったことをきっかけに、ボクシングに打ち込むようになる。2人は、会えばいつも険悪な雰囲気となり、決してまともに接することは無かった。だが、先に有望な若手プロボクサーになっていた力石は、その必然性は何もないにも関わらず、本来ならライト級の体格でありながら、バンタム級の丈と対戦するために過酷な減量をする。
遂に2人はプロのリング上で対戦し、死闘の末、力石がKO勝ちを収めるが、試合直後、力石は無理な減量がたたったこともあり死亡する。
丈は、自分が魂が抜けたような状態となったことを不思議に感じたが、やがて、世間的で言うものとは全く違うが、力石との間に友情があったことに気付く。
この唯一の友、力石を失った精神的な傷により、復帰は無理だと思われた丈だが、やがてリングに戻ってくる。
しかし、まだ若く、身長が伸び、体格が向上した丈もまた、バンタム級には向かない身体になっていた。しかし、丈は、「親友」力石と戦ったバンタム級にこだわり、かつての力石のような減量地獄を味わう。
そして、丈は、過酷な減量の後、東洋チャンピオン金竜飛(キム・リュウヒ)と対戦することになる。
丈は、両親の顔を知らず、孤児院で育った自分が不遇であったと思っていたが、金は、全く比較にならない惨めで苦しい子供時代を持っていた。
金は子供の時、戦争中で、食べるものがなく、常に空腹に苦しんでいた。その時、川の近くで、誰のものか分からないが食べ物が入ったザック(リュックサック)を見つけ、それを取ろうとするが、持ち主の兵隊の男に捕まり、恐怖のあまり、岩で男を叩き殺してしまう。そして、狂ったようにその食べ物を飲み込んだ。
やがて、殺された兵隊のニュースが村をにぎわすが、金は知らぬ顔を決め込む。
兵隊は脱走兵で、やがて、彼の上司の隊長がやって来た。
隊長は言う。
「この男は、飢えているであろう家族のために、軍で支給される食料にほとんど手を付けずに保管し、それを持って脱走して、家族のいる故郷のこの村に来たのだ」
死んだ兵隊の名を聞いた途端、金は食べたものを吐き、殺人がばれ、袋叩きに遭う。だが、虫の息の金は言う。「彼は僕の父さんだ」と。あまりにやせ衰えた父が分からなかったのだ。
金を哀れに思った隊長は、ボクシングの心得があった。そして、金を引き取り、ボクシングを教える。
金は、あの時以来、食欲というものを感じなくなり、減量に苦しむことは全くなかった。
このような過去を丈に明かした後、金は、丈に言う。「満腹ボクサー君」と。つまり、お前は不幸ぶってはいるが、幸福に育った甘ったれに過ぎない。俺に比べれば。

試合は、無理な減量で体力を失っていた丈は圧倒的不利で、金の攻勢のまま進む。
それ以前に、丈は心で負けていた。本物の悲劇を知っている金には勝てるはずがないと思い込んでいたのだ。
しかし、なぜか、こいつにだけは負けてはならないという不思議な想いがあるのを感じていた。丈にも、その感覚が何なのか分からないが、死んでも負ける訳にはいかないという奇妙だが圧倒的な想いが、どれほどの攻撃を受けても消えずにある。
丈のその想いが、いつか金にも伝わり、金は恐怖を感じる。
そして、丈にはその想いの訳が解けた。
「金は食えなかっただろうが、力石は自分の意思で食わなかった」

私には、だから力石が金より上だという、丈の理屈が分からなかったのだ。
しかし、ここに偉大な真理があるのを、ごく最近分かった。
もし、金が何も語らず黙していたら、金は力石に劣らない。
丈が何も知らずに金と戦っていたら、実力で優る金が勝利したことだろう。
しかし、金は語った。

やはり、このようなことが書ける梶原一騎さんは大変な人だと思う。
そういえば、文豪を含む大芸術家には、人間的には最悪な者がかなりいるらしい。
逆に、歴史的な極悪人には、その者を知る人には、親切で素晴らしい人物だと評価されていることもよくある。アドルフ・ヒトラーなどもそうであったようだ。

今朝も書いた、ラマナ・マハルシが語ったことで、私には謎が解けたのだ。
ある男が、12年間、沈黙を強制された。彼は、それで完全なマウナ(沈黙の行)を達成したと語った。しかし、マハルシは、強制された沈黙はマウナではないと言う。
マウナは、人前で語りたい時に、あえて自分の意思で沈黙を守ることなのである。
マハルシは言う。
「マウナとは不断の会話である。無為とは不断の活動である」









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