本日は、身体の運動についてお話しようと思う。
身体と心は全く同じものだ。少なくとも、極めて密接に関係したものであることは分かる。
もし、心を完全に正すことができるなら、あらゆる肉体の病気も治せるだろう。
逆に、身体を適切に調整したり、鍛えたりすれば、心が整い、好ましい心の性質を育てることができる。
これらは、相互に行うのが良いのだろう。心か身体の一方だけに偏った生活をしていると、両方に悪い影響が出てくる。
面白いことに、身体をあまりに使わないと、それを補うかのように、心の活動性が高まるが、そのようなことは、心にとっても良いものではない。心に落ち着きがなくなり、それを放置すれば、その無秩序な活動は激しく、荒れ狂うまでになってくる。
心と身体が同じものだということが分かれば、身体の適切な運動方法も分かってくる。
身体を鍛える時、同時に心も鍛えているのである。
私は、朝晩欠かさず運動をするが、以前は、筋肉トレーニングは夜だけだった。しかし、いつしか、少しだけだが、朝も腹筋運動や腕立て伏せをやるようになった。
腕振り運動は毎日やっている。
腕振り運動は、自然に立って、両腕を同時に前後に振るだけの簡単な運動だが、正しくやれば、身体全体が調整される。つまり、心も調整され、相互作用により、あらゆる病気が治り、世界は心が創り出すものであるのだから、自分の世界の在り様にまで影響を与える。
これも含め、私がやる運動は、畳1枚の広さがあれば出来るものだ。そして、一切の道具を使わない。
運動は、毎日必ずやってこそ意味がある。運動する度にどこかに出かけたり、また、週に何度かまとめてやっても、心身に良い効果はない。
私は、夜は、腕振り運動、軽い体操、腕立て伏せ、スクワット、腰の軽い運動、腹筋運動、そして、再度、腕立て伏せをする。
腕振り運動は、スワイソウという中国語名で知られる通り、中国から来たもので、気功や仙道の中にあるが、元々はインドのもので、ヨーガの一種と言って良いと思う。
スクワットも、私がやる体重だけを利用するものをヒンズー・スクワットというが、その名の通りインドのものである。
インドは元々、非常に精神的な国で、運動も、心身両面に配慮したものが生まれたのだと思う。
私は、以前は腕立て伏せは、毎日200回以上、それも、ボクサーがやるように高速でやり、確かに、腕力増強は著しかったが、昨年7月、右肩を痛めてしまった。それで、回数を減らし、ゆっくりやるようになったら、身体と共に、心にも良いことが分かった。腕立て伏せも、心でやるようになれば、身体が軽くなり、心が静まってくる。
腕立て伏せを、筋肉運動だからと、必死でやるのではなく、無理のない回数で、ゆっくり美しくやれば良いと思う。
私は、腕立て伏せは、夜は、25回を2回、朝は、25回を1回やっている。かなりゆっくりやるので、それなりにエネルギー消費も高い。時には、リズミカルに60回やったり、気紛れに100回以上素早くやることもあるが、無念無想で10~20回程度やれば、心身に良いと思う。
私は、腕立て伏せとスクワットは、神が人間に教えた神秘的な運動であると思う。これらを、肉体だけでなく、心を正すつもりでやれば、より素晴らしい効果があると確信する。
スクワットは、自然に立った状態から、太腿が床と平行になる位まで曲げ、伸ばすが、ゆっくり自然に、無理なくやれば良いだろう。顔をしかめて必死にやるようではいけない。やっているうちに、無念無想になり、回数だけはちゃんと数えているという状態が良い。私は200回やるが、心の状態が良い時は、知らずに終わってしまう。
スクワットを毎日やっていると、驚くほど身体が軽くなる。これは、腕振り運動の影響もあるのだろう。体内で、気が活性化されるのか、関英男博士が言う通りGTP(重力子が組み合わさった特殊な粒子)が生成されるのかは分からないが、神秘的なエネルギーを持つことの影響が大きいと思う。冗談ではなく、身体が宙に浮くような感じであるが、子供時代、スキップをしていた時のような感覚が蘇ったようである。それと共に、精神も子供に戻るようである。個人的には、初音ミクと一緒に踊っているような、楽しい感覚である。
食物が身体を養うように、身体とほぼ等しいものである心も養う。
だから、身体に良い、清らかなものを適度な量で食べることは、心にも大きな影響を与えることが分かる。
そして、食べる時の精神状態や態度が、身体や心に与える影響について、我々は無頓着過ぎる。
駅や電車の中で、平気でものを食べている人をよく見るようになったが、そのような者は、一目で逸脱した人間だと分かるのである。
決まった時間に、礼儀正しく食べるから人間なのである。
そして、粗食、少食を心がければ、質素なもので十分に美味しく、多過ぎる栄養が身体も心も破壊するという害を免れることが出来るのである。
そして、毎日、適度に運動をすれば、より早く悟りに至ることができると思う。
尚、人類至高の聖典、『エメラルド・タブレット』や『バガヴァッド・ギーター』にも、当然にして食に対する教えがあり、エマニュエル・スウェーデンボルグすら、高次の霊に、食の慎みを持つよう警告を受けたことが明かされている。
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身体と心は全く同じものだ。少なくとも、極めて密接に関係したものであることは分かる。
もし、心を完全に正すことができるなら、あらゆる肉体の病気も治せるだろう。
逆に、身体を適切に調整したり、鍛えたりすれば、心が整い、好ましい心の性質を育てることができる。
これらは、相互に行うのが良いのだろう。心か身体の一方だけに偏った生活をしていると、両方に悪い影響が出てくる。
面白いことに、身体をあまりに使わないと、それを補うかのように、心の活動性が高まるが、そのようなことは、心にとっても良いものではない。心に落ち着きがなくなり、それを放置すれば、その無秩序な活動は激しく、荒れ狂うまでになってくる。
心と身体が同じものだということが分かれば、身体の適切な運動方法も分かってくる。
身体を鍛える時、同時に心も鍛えているのである。
私は、朝晩欠かさず運動をするが、以前は、筋肉トレーニングは夜だけだった。しかし、いつしか、少しだけだが、朝も腹筋運動や腕立て伏せをやるようになった。
腕振り運動は毎日やっている。
腕振り運動は、自然に立って、両腕を同時に前後に振るだけの簡単な運動だが、正しくやれば、身体全体が調整される。つまり、心も調整され、相互作用により、あらゆる病気が治り、世界は心が創り出すものであるのだから、自分の世界の在り様にまで影響を与える。
これも含め、私がやる運動は、畳1枚の広さがあれば出来るものだ。そして、一切の道具を使わない。
運動は、毎日必ずやってこそ意味がある。運動する度にどこかに出かけたり、また、週に何度かまとめてやっても、心身に良い効果はない。
私は、夜は、腕振り運動、軽い体操、腕立て伏せ、スクワット、腰の軽い運動、腹筋運動、そして、再度、腕立て伏せをする。
腕振り運動は、スワイソウという中国語名で知られる通り、中国から来たもので、気功や仙道の中にあるが、元々はインドのもので、ヨーガの一種と言って良いと思う。
スクワットも、私がやる体重だけを利用するものをヒンズー・スクワットというが、その名の通りインドのものである。
インドは元々、非常に精神的な国で、運動も、心身両面に配慮したものが生まれたのだと思う。
私は、以前は腕立て伏せは、毎日200回以上、それも、ボクサーがやるように高速でやり、確かに、腕力増強は著しかったが、昨年7月、右肩を痛めてしまった。それで、回数を減らし、ゆっくりやるようになったら、身体と共に、心にも良いことが分かった。腕立て伏せも、心でやるようになれば、身体が軽くなり、心が静まってくる。
腕立て伏せを、筋肉運動だからと、必死でやるのではなく、無理のない回数で、ゆっくり美しくやれば良いと思う。
私は、腕立て伏せは、夜は、25回を2回、朝は、25回を1回やっている。かなりゆっくりやるので、それなりにエネルギー消費も高い。時には、リズミカルに60回やったり、気紛れに100回以上素早くやることもあるが、無念無想で10~20回程度やれば、心身に良いと思う。
私は、腕立て伏せとスクワットは、神が人間に教えた神秘的な運動であると思う。これらを、肉体だけでなく、心を正すつもりでやれば、より素晴らしい効果があると確信する。
スクワットは、自然に立った状態から、太腿が床と平行になる位まで曲げ、伸ばすが、ゆっくり自然に、無理なくやれば良いだろう。顔をしかめて必死にやるようではいけない。やっているうちに、無念無想になり、回数だけはちゃんと数えているという状態が良い。私は200回やるが、心の状態が良い時は、知らずに終わってしまう。
スクワットを毎日やっていると、驚くほど身体が軽くなる。これは、腕振り運動の影響もあるのだろう。体内で、気が活性化されるのか、関英男博士が言う通りGTP(重力子が組み合わさった特殊な粒子)が生成されるのかは分からないが、神秘的なエネルギーを持つことの影響が大きいと思う。冗談ではなく、身体が宙に浮くような感じであるが、子供時代、スキップをしていた時のような感覚が蘇ったようである。それと共に、精神も子供に戻るようである。個人的には、初音ミクと一緒に踊っているような、楽しい感覚である。
食物が身体を養うように、身体とほぼ等しいものである心も養う。
だから、身体に良い、清らかなものを適度な量で食べることは、心にも大きな影響を与えることが分かる。
そして、食べる時の精神状態や態度が、身体や心に与える影響について、我々は無頓着過ぎる。
駅や電車の中で、平気でものを食べている人をよく見るようになったが、そのような者は、一目で逸脱した人間だと分かるのである。
決まった時間に、礼儀正しく食べるから人間なのである。
そして、粗食、少食を心がければ、質素なもので十分に美味しく、多過ぎる栄養が身体も心も破壊するという害を免れることが出来るのである。
そして、毎日、適度に運動をすれば、より早く悟りに至ることができると思う。
尚、人類至高の聖典、『エメラルド・タブレット』や『バガヴァッド・ギーター』にも、当然にして食に対する教えがあり、エマニュエル・スウェーデンボルグすら、高次の霊に、食の慎みを持つよう警告を受けたことが明かされている。
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(意識と身体の感覚が消えそうになり、立っていたのですが、気絶しそうになりました)
私は今でも少食はしていきたいと思っています。
お釈迦さまも、少食を勧められていますし、悟りには必要要件のように思います。
ただ、適宜な量は人それぞれなのだと思いますし、自分の体調をみながら調整していくのが良いかと思います。