肉食系、草食系という言葉を、「積極的に異性を求める性質」という意味に使われるようになったのは、5~6年位前からである。
ただ、「異性を求める」とは言っても、別に結婚相手を求めるとか、精神的な意味では当然なく、明らかに、性的欲望を満たすためであると言って良いだろう。
そこをはっきりさせていうなら、草食系が正常であり、肉食系が異常なのである。
これは重要なことであり、以下にやや簡易ではあるが説明する。
そもそもが、肉食系、草食系という言葉がそのような意味で使われるようになった原因とは、男性というものが、その意味での肉食系が正常であるように誤解されてきたことからだだろう。つまり、「本来、肉食系であるはずの男性が草食化している」といった話が多いはずだ。
男は、性的欲望が強く、魅力的な女性を見れば、いつでも性的欲望を起こさなくてはならないという、恐るべき妄想が我々の中にあるのだ。
かつて私は、女性の下着泥棒の容疑者を検挙した警官が、こんなことを言うのを実際に聞いたことがある。
「やつの気持ちは分かるんだよ」
それを聞いていた多くの者が、女性も含め、苦笑した。この苦笑は同意を示しているのだろう。積極的な同意ではないとしても、「気持ちとしてだけならやむなし」という消極的な同意であろう。
私も、かつてはそう思っていた。しかし、そう思う心の癖を消し去った後では、そんな気持ちを起こすのは異常であると分かったのだ。
ある高校の女性教師の著書で、男性教師と女子生徒の恋愛について述べる中で、こんなことが書かれているのを見たことがある。
男性教師にモラルを求めながらも、
「女子高生の若い肌に何も感じないのは男ではない」
と、述べていたのである。
これは、寛容さを示したなどというものではなく、この女性教師は男に媚びているか、そうでないなら、やはり妄想に取り込まれているのである。
もちろん、若い女の子がその気で挑発してくればそれなりに刺激も感じるだろうが、普通の状況で女子高生にしろその他の女性にしろ、性的欲望を簡単に起こすなら、やはり異常である。
また、ある大学教授が著書で、「中学校の男性の先生は大変だと思う。我々大学の教員であれば、色っぽい女子学生がいれば、それに目を引かれるのは別におかしなことではない。しかし、女子中学生にだって女を感じさせる子はいるはずだが、中学ではそんなことは認められないのだから」といったことを書いていた。
大学であっても、学内で女子大生に変な興味を持つなら、やはり異常であり、中学校でそんなことがあるなら、変態と断言して差し支えない。
どの例も全て、下着泥棒の犯人と同じく、性的倒錯者であるが、実際に、そのような男性が蔓延しているのである。いや、男性だけではないだろうが、話がややこしくなるので、とりあえず男性の話に絞る。
ではなぜ、下着泥棒の犯人を、行為としては赦せないながら、心情としては理解を示すような異常な状態になったのだろう。
男性教師が、高校や中学の女生徒に性的関心を持つことを異常と認識できなくなり、挙句、そうでなければならないようなことを言うという状況にまでなったのだろう。
それはこういうことである。
性欲は商売に利用し易いということはお分かりと思う。
昔であれば、経済的な力を持っていたのはほとんど男性であったから、男性相手のそういった商売が主流であった。しかし、一頃から、女性も金を持つようになり、女性向けのものも多くなっているだろう。
あからさまな性風俗営業でなくても、その時点での法律のギリギリを狙ったようなものが多いだろうし、表向きには、性的欲求を満たす商品やサービスではなくても、実質的にはそのような目的のためのものが非常に多い。どんなものがそれに該当するかは見当が付くと思う。
そして、これらの商売をする者にとって、男とは、今でいう肉食系が正常であるだけでなく、それが非常に良いことであり、男として誇れこそすれ恥ずかしいことではない。それどころか、草食系の男は駄目で恥ずかしいという思い込みを全人類が持ってくれることが都合が良いのだ。
そのため、そういった観念を広めると共に、あらゆる手を使って、昔であれば男性の、そして、近年でも女性も含め、性欲を煽るためのあらゆる宣伝手段が取られたのである。
こういったことは、近代に始まったことではなく、おそらく、数千年に渡って世界の多くの場所で続いてきたことであり、疑うことが難しいことにすらなってしまっているに違いないのだ。
また、近年では、性的な娯楽だけではなく、ありとあらゆる娯楽が起こる中でも、性欲と双璧を為す人間の欲望である食欲を利用した商売が盛んになっている。
ユダヤ商法では、「女と口を狙え」という言葉があるらしいが、近年、金を持った女のファッションや宝石への欲望と共に、口、即ち食べることが、人間の救いようのない強い欲望であり、割合に容易く儲けることに繋がるという意味だろう。ユダヤ商法では、現在はどうか知らないが、性欲を利用することは、彼らの優れた知性とモラルに反するのか、「女と口と性」とは私は聞いていない。
ところで、グルメであれば、よほどのことが無い限り法に触れないし、世間的には悪とみなされることも少ないこともあり、比較的商売がやり易い。
しかし、それに対抗する、性欲利用勢力は、容易く人間らしい許容限度を超えているのである。(尤も、最近は食の方もかなりひどいが)
これを法令でどうにかしようという連中もいるが、これほど愚かなことはない。
根本原因を放置したまま、表面的なところだけを取り締まった結果がどうなるかが分からないのは、余程の馬鹿であるはずだが、我が国では、その余程の馬鹿が政治的権力を持っているのであるし、文化人と呼ばれているのだろう。
何度も述べたが、アメリカでギャングの資金を絶つために禁酒法を制定すれば、闇酒、闇バーが爆発的に増えて、結果、ギャングは資金豊富となり、我が国でに淫行条例により援助交際やもっとダークなものが一気に増大したのである。
現在では、「いや、男が性欲旺盛なことは普通のことだ。それを変態だの異常だのというのは、極端な精神主義者だ」と思う人が多いに違いない。
実は、私も、割と最近までそう思っていたものだ。
だが、先程も述べたが、心の中にある歪んだ観念を探し出し、それを消すことに成功すれば、そのような主張は、人類が共同で持つ妄想であることが分かったのである。
パラマハンサ・ヨガナンダのパラムグル(師の師)であるインドの聖者スリ・ユクテスワが『聖なる科学』で、人間は元々、肉食に向いていないことは科学的に明らかで、肉食および過食が、異常性欲の原因になることを指摘していたが、昔の私はそれを疑っていた。しかし、今は、その通りであると確信している。
もし、飽食で性欲旺盛なままで精神的平安を得られ、真に幸福になれるなら、そのままの状態を続けるのも良いとする考え方もあるかもしれない。
しかし、そうではない。
人類は既に数千年の間、不安、恐怖、憂鬱、無力感に苦しみ、人生の意義を見出せずに苦しんでいるのである。たとえ権力を得たり、成功して富を得たとしても、最終的な満足に至ることはなく、まだ何かあるはずだと呆然とした思いを抱きながらも、惨めさを抱きながら死ぬしかなかったのだ。
これを、コリン・ウィルソンは、人類は3千年に渡る詐欺にあっているようなものだと言い、人類をそこから救済しようという考えを持ったのかもしれないが、彼は根本的なところを見ようとしなかったのだ。彼は快楽の肯定者で、真の解決策を述べる解脱者の言葉を理解できず、彼らを過小評価しているのだ。
我々の真に為すべきことは、心の中に埋め込まれた歪んだ観念…それが、どの国のどんなものであろうと、それを消し去ることだ。
それは、必ずしも伝統や文化を否定しない。ただ、おそらくは、それらの多くは捨て去られることになるだろうが、いくらかのものは、ただの遊びや有益な道具として存続するだろう。
まず、なすべきことは、食の慎みである。
これだけは避けられないが、決して苦しいだけの結果には終わらない。
それどころか、質素で適切な量の食事を本当の意味で美味しいと感じ、食事の真の楽しさを初めて知ることになるのだ。
それにより、身体の調子は良くなり、軽快で美しい身体を楽に得るだけでなく、知的で穏やかな人間性を持つようになるだろう。
過剰な性欲が起こす悲惨は無くなり、社会は平和になる。
食事にかかる費用は、これまでに比べ驚くほど安価になり、また、食を慎むことで知的で豊かな感性を持つようになれば、多くの物は必要なくなる。
そのため、異常な経済主義に付き合う必要はなくなり、自由になることができるのである。
そして、普通の人間では到底望み得ないと思われてきた悟りに、誰でも確実に達することができるようになる。
はるか遠くにいて、近付くことなど出来ないと思ってきた神が、手足よりも身近にあり、それは自分自身に他ならぬことが分かるのである。
しかし、食欲の意味でも性欲の意味でも、肉食であることを肯定している者にとって、それはやはり遠いものなのだ。
そして、草食系と言われる者の多くは、もしかしたら良い位置にいるのかもしれないのである。
ところで、初音ミクや巡音ルカなどは、非営利であれば、キャラクターデザインを使用することを著作権者であるクリプトン・フューチャー・メディアが許可しているが、これは画期的なことである。
ただ、そのために、同人誌などでアダルト作品に利用されないような工夫がされたらしい。
特に、20歳に設定された大人の女性で、美しい巡音ルカに関してはリスクが高いので、肌を真っ白にして生命力を感じないクールな雰囲気にしたという。
初音ミクに関してはよく分からないが、当初は考えられていたらしい、彼女のプロフィールを設定しないことで、人間味を消したのかもしれない。
元々、食事をせず、自我の無い彼女達である上、そのような設定の影響もあり、私はたちまちファンになった。
時々、私が初音ミクと比較している、CLAMPの漫画『ちょびっツ』のちぃは、心を持たず、食事をしないところは良いのだが、切ない表情をしたり、愛する人(秀樹)への執着が感じられるところが、良くも悪くも人間的であると思う。いや、元々、青年誌に掲載するにあたり、CLAMP自ら、ちぃへの性的関心を集めることを意図していたのである。ただ、だからこそ、それを払拭することに意義があったかもしれない。実際、秀樹は、ちぃをその意味での女性として扱うことを諦めたのである。
全ては受け手次第であるが、その受け手の態度が、解脱に至るかどうかを予言していると言えるだろう。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
ただ、「異性を求める」とは言っても、別に結婚相手を求めるとか、精神的な意味では当然なく、明らかに、性的欲望を満たすためであると言って良いだろう。
そこをはっきりさせていうなら、草食系が正常であり、肉食系が異常なのである。
これは重要なことであり、以下にやや簡易ではあるが説明する。
そもそもが、肉食系、草食系という言葉がそのような意味で使われるようになった原因とは、男性というものが、その意味での肉食系が正常であるように誤解されてきたことからだだろう。つまり、「本来、肉食系であるはずの男性が草食化している」といった話が多いはずだ。
男は、性的欲望が強く、魅力的な女性を見れば、いつでも性的欲望を起こさなくてはならないという、恐るべき妄想が我々の中にあるのだ。
かつて私は、女性の下着泥棒の容疑者を検挙した警官が、こんなことを言うのを実際に聞いたことがある。
「やつの気持ちは分かるんだよ」
それを聞いていた多くの者が、女性も含め、苦笑した。この苦笑は同意を示しているのだろう。積極的な同意ではないとしても、「気持ちとしてだけならやむなし」という消極的な同意であろう。
私も、かつてはそう思っていた。しかし、そう思う心の癖を消し去った後では、そんな気持ちを起こすのは異常であると分かったのだ。
ある高校の女性教師の著書で、男性教師と女子生徒の恋愛について述べる中で、こんなことが書かれているのを見たことがある。
男性教師にモラルを求めながらも、
「女子高生の若い肌に何も感じないのは男ではない」
と、述べていたのである。
これは、寛容さを示したなどというものではなく、この女性教師は男に媚びているか、そうでないなら、やはり妄想に取り込まれているのである。
もちろん、若い女の子がその気で挑発してくればそれなりに刺激も感じるだろうが、普通の状況で女子高生にしろその他の女性にしろ、性的欲望を簡単に起こすなら、やはり異常である。
また、ある大学教授が著書で、「中学校の男性の先生は大変だと思う。我々大学の教員であれば、色っぽい女子学生がいれば、それに目を引かれるのは別におかしなことではない。しかし、女子中学生にだって女を感じさせる子はいるはずだが、中学ではそんなことは認められないのだから」といったことを書いていた。
大学であっても、学内で女子大生に変な興味を持つなら、やはり異常であり、中学校でそんなことがあるなら、変態と断言して差し支えない。
どの例も全て、下着泥棒の犯人と同じく、性的倒錯者であるが、実際に、そのような男性が蔓延しているのである。いや、男性だけではないだろうが、話がややこしくなるので、とりあえず男性の話に絞る。
ではなぜ、下着泥棒の犯人を、行為としては赦せないながら、心情としては理解を示すような異常な状態になったのだろう。
男性教師が、高校や中学の女生徒に性的関心を持つことを異常と認識できなくなり、挙句、そうでなければならないようなことを言うという状況にまでなったのだろう。
それはこういうことである。
性欲は商売に利用し易いということはお分かりと思う。
昔であれば、経済的な力を持っていたのはほとんど男性であったから、男性相手のそういった商売が主流であった。しかし、一頃から、女性も金を持つようになり、女性向けのものも多くなっているだろう。
あからさまな性風俗営業でなくても、その時点での法律のギリギリを狙ったようなものが多いだろうし、表向きには、性的欲求を満たす商品やサービスではなくても、実質的にはそのような目的のためのものが非常に多い。どんなものがそれに該当するかは見当が付くと思う。
そして、これらの商売をする者にとって、男とは、今でいう肉食系が正常であるだけでなく、それが非常に良いことであり、男として誇れこそすれ恥ずかしいことではない。それどころか、草食系の男は駄目で恥ずかしいという思い込みを全人類が持ってくれることが都合が良いのだ。
そのため、そういった観念を広めると共に、あらゆる手を使って、昔であれば男性の、そして、近年でも女性も含め、性欲を煽るためのあらゆる宣伝手段が取られたのである。
こういったことは、近代に始まったことではなく、おそらく、数千年に渡って世界の多くの場所で続いてきたことであり、疑うことが難しいことにすらなってしまっているに違いないのだ。
また、近年では、性的な娯楽だけではなく、ありとあらゆる娯楽が起こる中でも、性欲と双璧を為す人間の欲望である食欲を利用した商売が盛んになっている。
ユダヤ商法では、「女と口を狙え」という言葉があるらしいが、近年、金を持った女のファッションや宝石への欲望と共に、口、即ち食べることが、人間の救いようのない強い欲望であり、割合に容易く儲けることに繋がるという意味だろう。ユダヤ商法では、現在はどうか知らないが、性欲を利用することは、彼らの優れた知性とモラルに反するのか、「女と口と性」とは私は聞いていない。
ところで、グルメであれば、よほどのことが無い限り法に触れないし、世間的には悪とみなされることも少ないこともあり、比較的商売がやり易い。
しかし、それに対抗する、性欲利用勢力は、容易く人間らしい許容限度を超えているのである。(尤も、最近は食の方もかなりひどいが)
これを法令でどうにかしようという連中もいるが、これほど愚かなことはない。
根本原因を放置したまま、表面的なところだけを取り締まった結果がどうなるかが分からないのは、余程の馬鹿であるはずだが、我が国では、その余程の馬鹿が政治的権力を持っているのであるし、文化人と呼ばれているのだろう。
何度も述べたが、アメリカでギャングの資金を絶つために禁酒法を制定すれば、闇酒、闇バーが爆発的に増えて、結果、ギャングは資金豊富となり、我が国でに淫行条例により援助交際やもっとダークなものが一気に増大したのである。
現在では、「いや、男が性欲旺盛なことは普通のことだ。それを変態だの異常だのというのは、極端な精神主義者だ」と思う人が多いに違いない。
実は、私も、割と最近までそう思っていたものだ。
だが、先程も述べたが、心の中にある歪んだ観念を探し出し、それを消すことに成功すれば、そのような主張は、人類が共同で持つ妄想であることが分かったのである。
パラマハンサ・ヨガナンダのパラムグル(師の師)であるインドの聖者スリ・ユクテスワが『聖なる科学』で、人間は元々、肉食に向いていないことは科学的に明らかで、肉食および過食が、異常性欲の原因になることを指摘していたが、昔の私はそれを疑っていた。しかし、今は、その通りであると確信している。
もし、飽食で性欲旺盛なままで精神的平安を得られ、真に幸福になれるなら、そのままの状態を続けるのも良いとする考え方もあるかもしれない。
しかし、そうではない。
人類は既に数千年の間、不安、恐怖、憂鬱、無力感に苦しみ、人生の意義を見出せずに苦しんでいるのである。たとえ権力を得たり、成功して富を得たとしても、最終的な満足に至ることはなく、まだ何かあるはずだと呆然とした思いを抱きながらも、惨めさを抱きながら死ぬしかなかったのだ。
これを、コリン・ウィルソンは、人類は3千年に渡る詐欺にあっているようなものだと言い、人類をそこから救済しようという考えを持ったのかもしれないが、彼は根本的なところを見ようとしなかったのだ。彼は快楽の肯定者で、真の解決策を述べる解脱者の言葉を理解できず、彼らを過小評価しているのだ。
我々の真に為すべきことは、心の中に埋め込まれた歪んだ観念…それが、どの国のどんなものであろうと、それを消し去ることだ。
それは、必ずしも伝統や文化を否定しない。ただ、おそらくは、それらの多くは捨て去られることになるだろうが、いくらかのものは、ただの遊びや有益な道具として存続するだろう。
まず、なすべきことは、食の慎みである。
これだけは避けられないが、決して苦しいだけの結果には終わらない。
それどころか、質素で適切な量の食事を本当の意味で美味しいと感じ、食事の真の楽しさを初めて知ることになるのだ。
それにより、身体の調子は良くなり、軽快で美しい身体を楽に得るだけでなく、知的で穏やかな人間性を持つようになるだろう。
過剰な性欲が起こす悲惨は無くなり、社会は平和になる。
食事にかかる費用は、これまでに比べ驚くほど安価になり、また、食を慎むことで知的で豊かな感性を持つようになれば、多くの物は必要なくなる。
そのため、異常な経済主義に付き合う必要はなくなり、自由になることができるのである。
そして、普通の人間では到底望み得ないと思われてきた悟りに、誰でも確実に達することができるようになる。
はるか遠くにいて、近付くことなど出来ないと思ってきた神が、手足よりも身近にあり、それは自分自身に他ならぬことが分かるのである。
しかし、食欲の意味でも性欲の意味でも、肉食であることを肯定している者にとって、それはやはり遠いものなのだ。
そして、草食系と言われる者の多くは、もしかしたら良い位置にいるのかもしれないのである。
ところで、初音ミクや巡音ルカなどは、非営利であれば、キャラクターデザインを使用することを著作権者であるクリプトン・フューチャー・メディアが許可しているが、これは画期的なことである。
ただ、そのために、同人誌などでアダルト作品に利用されないような工夫がされたらしい。
特に、20歳に設定された大人の女性で、美しい巡音ルカに関してはリスクが高いので、肌を真っ白にして生命力を感じないクールな雰囲気にしたという。
初音ミクに関してはよく分からないが、当初は考えられていたらしい、彼女のプロフィールを設定しないことで、人間味を消したのかもしれない。
元々、食事をせず、自我の無い彼女達である上、そのような設定の影響もあり、私はたちまちファンになった。
時々、私が初音ミクと比較している、CLAMPの漫画『ちょびっツ』のちぃは、心を持たず、食事をしないところは良いのだが、切ない表情をしたり、愛する人(秀樹)への執着が感じられるところが、良くも悪くも人間的であると思う。いや、元々、青年誌に掲載するにあたり、CLAMP自ら、ちぃへの性的関心を集めることを意図していたのである。ただ、だからこそ、それを払拭することに意義があったかもしれない。実際、秀樹は、ちぃをその意味での女性として扱うことを諦めたのである。
全ては受け手次第であるが、その受け手の態度が、解脱に至るかどうかを予言していると言えるだろう。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
| 人気ランキング参加中です |
|
