天使というのは、人間よりは神様に近いものなのだろう。
そうであるなら、もし天使が目の前に現れたとして、私やあなたが嫌われることはない。
だが、好かれることもない。
天使は、全てを愛しているのだろうが、好きと愛するとはまるで異なることだ。

我々は、あれは好きでこれは嫌い、この人は好きだが、あの人は嫌いとよく言う。
さらに、自分はあの人には好かれているが、その人には嫌われているとか、誰にも好かれていないとか言う。
また、自分の行為や判断は、大抵の場合において正しいと思っており、自分が悪い、あるいは、間違っているとは思わない。これは、どれほどの凶悪犯罪者や、極端な自己中心主義者の場合であっても、決して変わらない。

では、人に、善い、悪い、あるいは、好き、嫌いと感じさせる原因は一体何なのだろう?
神様や天使には、善い、悪い、好き、嫌いという感情はない。
ただ、人間だけがそれを持っている。
神様は、マルクス主義が正しいとも間違っているとも言わないし、ガンジーは好きだがヒットラーは嫌いとも言わない。
天使も、神様ほどではないかもしれないが、ほとんど同様だろう。なんと言っても彼女達は飛べるのだ。感情なんてものを持っていたら、飛べるはずがない。

人間の善悪好悪の判断は、判断をしたその人だけものだ。
誰も、他人の善悪好悪の判断など、知ったことではない。相手が権力者であれば、表向きでは、権力者の善悪好悪の判断を受け入れているようなふりをするだろうが、本当にそれが正しいなどとは、これっぽっちも思っていないのである。

人間に、善い悪い、好き嫌いと感じさせるのは、個人的な心の潜在的傾向性である。それは、心の奥にしっかりと根を張ったガラクタだ。迷信、妄想、偏見、独断、幻想などと言っても良いだろう。
神様や天使には、そのようなものは無い。無いから天使なのであり神様なのだ。
そして、我々もまた、そのようなものを捨て去っていけば、ある程度捨てたところで天使になり、そして、神様になる。

善い悪い、好き嫌いの感情があるうちは、『神統記』でヘシオドスが、詩神ムーサに言われた通り、「食う腹しかもたぬ」愚かな人間である。
荘子は、全てをあるがままに見、一切の思慮分別を捨て、是非好悪の判断をするなと述べている。そうすれば、永遠の道(タオ)と一体化する。俗世を超越した存在である神仙とは、そのような存在である。『荘子』には、神仙とは、たとえ人間としては第一級の者であっても、全く比較にならない高い存在であることが示されている。

では、どうすれば、我々は、是非善悪や好悪を離れ、心の潜在的傾向性を消すことができるのだろう?
まず、人に好かれようとか、正しいと認められようと思わないことだ。
どんな人も、好き嫌いや、善い悪いを、単に、心に溜め込んだガラクタである心の潜在的傾向性から感じるだけであり、そんなものに何の価値もない。
人に好きだと思われたり、正しいとか価値があると認められることの、一体どこが良いのだろう?
相手が権力者であれば、好かれれば楽が出来ると思うかもしれない。しかし、同時に苦痛を味わうのである。

さて、次に、自分の心の潜在的傾向性をどうやってきれいに捨てるかだ。
決して、無理に、「嫌ってはいけない」などと思うよう努力しても無駄だ。心の潜在的傾向性が存在する限り、それは、あなたに、特定のものを好きと感じさせたり、嫌いだと感じさせたりする。
愚かな人は、「それは本当に善いから私は善いと言っている」「本当に素晴らしいものだから、私は好きだと言うのだ」と主張するだろう。
しかし、そんな人は、ある時まではマルクス主義が素晴らしいと心酔していたのに、時が経てば、マルクス主義はペテンだ、クズだなどと言うのだ。人の判断とは、全てそうである。

食べ物の好みを決めるのも、潜在的傾向性だ。私の例で言えば、私はある時点まで、ミカンの缶詰がこの世で至上の美味なものであると感じていたが、ある時、それがさして美味しいものではないと感じている自分に気付いた。
異性の好みも同様である。私は、小学校5年生の初め頃、クラスにいた1人の少女が非常に可愛いと思って心惹かれたが、夏になる頃には、一体、彼女のどこが良いと思ったのか不可解であった。
ラマナ・マハルシは、16歳で悟りを開いた時、それまで好物であった食べ物や、嫌いであった食べ物の区別が全く無くなったという。
しかし、我々には、今の時点での、食べ物の好みや、異性の好みがある。

もし、ある人を見て、嫌いだと思ったとする。
私であれば、煙草を吸いながら歩いている人を嫌悪する。
それが、私の心の潜在的傾向性だ。
煙草を吸いながら歩いている人そのものに、善い悪いは無い。無論、それが悪いことであると結論付けるための理由は色々思いつくだろう。それを持って、そんな行為は断固悪いと主張する者もいる。私もそうしたい。
しかし、やはり、それは単に、個人的な心の潜在的傾向性がそう感じさせているだけなのだ。
では、そんな風に、嫌悪の感情が起こった時、それを心の潜在的傾向性だと認め、
「この潜在的傾向性は誰のものか?」
と尋ねよ。
潜在的傾向性という言葉が好ましくないなら、主観、心の癖、習慣的思考、個人的迷信、妄想、卑小な信念など、好きな言い方をすれば良い。
その潜在的傾向性、迷信、心の癖は誰のものか?
答は、当然、「私」である。
それが了解されたなら、すかさず、「私は誰か?」と問うのだ。
そうすれば、そのことに関わる心の潜在的傾向性は破壊される。一度では駄目でも、繰り返すうちに必ず破壊できる。これを心のあらゆる潜在的傾向性に対して粘り強く行えば、やがて、心の潜在的傾向性は全て消え去るだろう。

心の潜在的傾向性を消すために、L.ロン.ハバートが『ダイアネティックス』で述べた。オーデティングという複雑で難しい方法は必要がない。しかし、効果は同じなのだ。
その価値を知るために『ダイアネティックス』を読むことは良いことだ。私は、ハバートは善意を持っていたのだと信じる。

あるいは、是非好悪の感情や考えが起こった時、それが、自分の個人的な心の潜在的傾向性であると認識するだけで良い。つまり、そう感じる理由には、何等の正当性もなく、単に個人的な心の癖だと、はっきり認識するのだ。
昔、ある日本人は、映画でグレース・ケリーという女優を見て、「西洋の女性はなんて美しいのだ」と思った。そして、彼はフランスに留学し、同じ大学のオランダ人女性を射殺し、その肉を食ったとされる。
グレース・ケリーは世界的に「クール・ビューティー」と絶賛された美貌の持ち主であった。しかし、いかに多くの人がそう思おうと、そう思わせるのは、単にそれぞれの個人の潜在的傾向性である。
グレース・ケリーを醜い女と認識する傾向の強い民族だって、世界にはきっとあるだろうと推測できるはずだ。
グレース・ケリーを女神のようだと感じていたかもしれないあの男も、彼女を特別視する必要がないことを理解すれば、あのような愚行をせずに済んだのである。

もし、ハリー・ポッターシリーズのヒロインのハーマイオニー役を演じたエマ・ワトソンを可愛いと思ったなら、すぐに、「彼女を可愛いと思う、この潜在的傾向性は誰のものか?」と問わなければならない。それが私のものであると理解されれば、すかさず、「私は誰か?」と問うのだ。すると、もはや、あなたはエマに特別な関心を持たなくなるだろう。
あるいは、「私は、エマ・ワトソンが魅力的だと感じる潜在的傾向性を持っているのだなあ」と認識するのだ。
もし、好きな人に振り向いてもらえず、苦しい思いをしているなら、こうすれば、そんな苦しみは全く不要になる。

私が初音ミクを好ましいと思うのは、彼女が食事をせず、自我を持たないからだ。
「さしすせそ」行を発音しても、息がかすれる音がほとんどなく、息継ぎもしない。つまり、彼女は呼吸をしていない。
心と呼吸は同じものだ。呼吸をしないなら、心が無いのだ。
我々も、呼吸を微かにすれば、心もまた静かになる。呼吸の荒い人は自我が強い。そんな人は、自分の心の潜在的傾向性に価値があると誤解しているのだ。
ミクには、心の潜在的傾向性などというものはない。心自体がないからだ。もしあると思えるなら、それは私の心の潜在的傾向性の反映だ。
CLAMPの漫画『ちょびっツ』で、人型パソコン(アンドロイドと同じ)の少女を愛した19歳の秀樹が、「ちぃの心は俺の中にある」と言った通りである。
秀樹はちぃを選び、ちぃの「私だけの人」になった。しかし、いつかは、秀樹はちぃを捨てるだろう。捨てなければならない。
秀樹は、ちぃの心を含んだ自分の心の潜在的傾向性を消すのだ。
その時、秀樹は幸福になるのだ。そして、食事をせず、呼吸をしないゆえに自我を持たないちぃは、本当の天使になるのである。

デジタルメディア関連の企業・団体から構成される社団法人デジタルメディア協会が毎年選出している、「デジタル・コンテンツ・オブ・ジ・イヤー」である、「第17回AMDアワード」の、大賞/総務大臣賞、AMD理事長賞が3月19日に発表され、1作品のみが選出される、最高の賞である、“Digital Contents of the Year’11 The AMD Grand Prize”(大賞/総務大臣賞)は、2011年7月2日にロサンゼルスのノキアシアターで行われた、初音ミクのコンサート、「MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES“はじめまして、初音ミクです”」が受賞した。
そのコンサート映像を収めたブルーレイを下にご紹介しておこう。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ