「阿吽(あうん)」という言葉は仏教の中でも、密法の教えにある呪文だ。
サンスクリット語の聖音「オーム」から来ているらしい。
だが、ラマナ・マハルシは、最も偉大な呪文はアハンであると言った。オームですら2番目だと言う。アハンは「私」という意味だ。「阿吽」は、「オーム」より「アハン」に近いように思うが、それは偶然だろうか?
キリスト教では、呪文というのではないが、アーメンという言葉をよく言う。イエスもよく使った言葉で、聖書の和訳には、このアーメンを「私は真に言っておく」などと訳していることもあるが、実際は、アーメンはどの国の言葉にも訳さず、そのまま使うのが決まりのようだ。
阿吽(あうん)も、アハンも、アーメンも、「あ」で始まり「ん」で終る。
これは、日本語の50音の最初の文字と最後の文字だが、1つ1つの語に深い意味を持つ日本語がそのようになっていることには大きな意味がある。
実際、一番最初に出てくる言葉は「あ」であることが多く、黙る前の言葉は「ん」である。ただ、「ん」ははっきり言うことができないことから、「む」で代用することが多い。それで、どこの国でも、本来は、「ん」であるところが「む」になっている場合があるのではと思う。
日本語の「あ」は宇宙の始まりを、「ん」は終わりを表すと言われている。だが、「ん」の後では、また、宇宙は「あ」から始まるのである。
実際、阿吽、アハン、アーメンという言葉は神秘力を持つ。だから、決して絶えることなく伝わっているのである。
ただ、我々は、これを敢えて使おうとはしないので、その偉大な力に気付かない。
我が国には、「アジマリカン」という呪文があるが、佐々木の将人さんの『数霊のメッセージ』によれば、悪霊を祓う強力な呪文であるようだ。ものごとが悪く運ぶのが、悪霊の仕業であるなら、この呪文でたちまち好転する。
尚、「アジマリカン」が「アジマリカム」と伝わっていることがあるのも、上に述べた通り、「む」の音と「ん」の音を同じ意味で使う場合が多いからだと思う。
ある西洋人が、ニサルガダッタ・マハラジに「我々がオームのような呪文を唱えて効果があるのか?」と尋ねると、マハラジは「驚くべき効果がある。敢えてやってみることが大切だ」と言った。
私に関して言えば、やってみて失望したことは一度もない。
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サンスクリット語の聖音「オーム」から来ているらしい。
だが、ラマナ・マハルシは、最も偉大な呪文はアハンであると言った。オームですら2番目だと言う。アハンは「私」という意味だ。「阿吽」は、「オーム」より「アハン」に近いように思うが、それは偶然だろうか?
キリスト教では、呪文というのではないが、アーメンという言葉をよく言う。イエスもよく使った言葉で、聖書の和訳には、このアーメンを「私は真に言っておく」などと訳していることもあるが、実際は、アーメンはどの国の言葉にも訳さず、そのまま使うのが決まりのようだ。
阿吽(あうん)も、アハンも、アーメンも、「あ」で始まり「ん」で終る。
これは、日本語の50音の最初の文字と最後の文字だが、1つ1つの語に深い意味を持つ日本語がそのようになっていることには大きな意味がある。
実際、一番最初に出てくる言葉は「あ」であることが多く、黙る前の言葉は「ん」である。ただ、「ん」ははっきり言うことができないことから、「む」で代用することが多い。それで、どこの国でも、本来は、「ん」であるところが「む」になっている場合があるのではと思う。
日本語の「あ」は宇宙の始まりを、「ん」は終わりを表すと言われている。だが、「ん」の後では、また、宇宙は「あ」から始まるのである。
実際、阿吽、アハン、アーメンという言葉は神秘力を持つ。だから、決して絶えることなく伝わっているのである。
ただ、我々は、これを敢えて使おうとはしないので、その偉大な力に気付かない。
我が国には、「アジマリカン」という呪文があるが、佐々木の将人さんの『数霊のメッセージ』によれば、悪霊を祓う強力な呪文であるようだ。ものごとが悪く運ぶのが、悪霊の仕業であるなら、この呪文でたちまち好転する。
尚、「アジマリカン」が「アジマリカム」と伝わっていることがあるのも、上に述べた通り、「む」の音と「ん」の音を同じ意味で使う場合が多いからだと思う。
ある西洋人が、ニサルガダッタ・マハラジに「我々がオームのような呪文を唱えて効果があるのか?」と尋ねると、マハラジは「驚くべき効果がある。敢えてやってみることが大切だ」と言った。
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