我が国に密教的に伝わる、神通力(超能力)を身に付ける修行では、必ず山籠りというものがある。
普段、「私は一人でいるのが好きだ」などと言っている者であっても、本当に一人になると、これが厳しいもので、まず、耐えられる人はいない。
それでも耐えていると、次は必ず幻覚に襲われる。心を向ける相手がいないと、心の奥に隠れたものが表に浮かび上がってくるのである。
このような状況で生きていくためには、想念を消し、心を無にするしかない。
よって、山籠りを長期間やれれば、ある程度の力は付いているのである。
だが、古神道の修験者になるには、ある程度では駄目なのである。
修行者の心は澄み渡り、身体も少年時代の生命力を取り戻し、何もかも最上の状態だ。
そして、世界各地のあらゆる密教修行で、最後の試練があるところは共通している。釈迦もイエスも悪魔に誘惑されている。
悪魔と言っても良いのだが、実際は、心が再度、その者を支配しようとして、最後の勝負に出るのである。
我が国に伝わるものでは、ここで、理想とするタイプの女・・・これは性的な理想ということになるのだが、それが誘惑してくるのである。性的に理想的な姿とはいえ、必ずしも色っぽい女ではなく、むしろ、ここでは清純な雰囲気の可憐な乙女の場合が多いのである。
そして、この最後の試練で99パーセントは失格となるものらしい。ただし、あくまで、普通の生活と状況がまるで違うからである。普通の生活の中でであれば、私でも、そのようなものは楽々パスできるのである。
最後の試練の勝敗には食べ物も関係する。我が国の修行者の場合は、そば粉のみ持参する場合が多いし、中国からオオムギの粉が伝わってからは、そういったものも利用されたが、そういった、水で溶くだけで食べられるものが効率的で、日持ちもするので都合が良い。そして、その1つのものだけを食べていれば、うまくいく可能性が高い。
だが、他に楽しみが無いからと、自然にある山菜やキノコ、あるいは、川魚などを食べていると、食欲という欲望を満たそうとする際に、性欲という欲望も刺激されるのである。
尚、世界の密教教団の中には、性的なエネルギーを利用して強大な力を得る秘法を説くものも少なからずあるが、一時的には素晴らしく思えても、その者はほどなく破滅するのであることを特に申し添えておく。

我々は別に神通力までは必要ないが、力を得るには、食欲と性欲を克服しなければならず、性欲の方は、食欲を克服すれば容易く支配することができる。
ラマナ・マハルシは、修行することもなく16歳で悟りに達してしまったのだが、すると、やはり食に対するこだわりが全くなくなり、美味しい不味いなど気にせず、何でも食べるようになったのである。おそらく、性欲も容易く制御できたはずだ。
水野南北は17歳くらいの時と思うが、1年間、麦と大豆のみを食べ、それで、本人に自覚はなくても、心をほとんど殺してしまい、後の人生を素晴らしいものにしたのである。だが、彼が、食の慎みを本格的に教えるようになったのは、ずっと後のことであった。
水野南北によれば、食の慎みに関し、法華経に核心が書かれていると言うが、『エメラルド・タブレット』にもはっきり書かれており、『バガヴァッド・ギーター』でも、クリシュナ神は、少食過ぎてもいけないが食べ過ぎてはならないと教えている。エマニュエル・スウェーデンボルグは、英国に亡命した中年以降の時にも、食べ過ぎたことがあったらしいが、霊的な存在に、「満腹するまで食べて自分を甘やかすな」と警告され、それから、彼の真の使命といえる仕事が始まっており、あのエマーソンをして、人類史上最大の5人の1人と言わせているのである。
『バガヴァッド・ギーター』にしろ『エメラルド・タブレット』にしろ、別に極端な苦行を強要はしない。だが、食の慎みは非常に重要である。
水野南北にいたっては、食が全てと強調する。
我々も、食の慎みの実践には、何の障害もない。言い訳さえしなければね。
そうだ。我々は何をしても構わない。ただ、言い訳だけが許されないのだ。









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