『おなかのへるうた』というのは、日本人なら誰もが知っている有名な歌だ。
「どうしておなかがへるのかな?」という歌詞で始まるのだが、そこにどんな心情が込められているのかは分からないが、1つの答は、
「そんな歌を歌うからだ」
である。
そして、根本的な答は、
「食べることを考えるからだ」
だ。

手塚治虫さんの『紙の砦』には、戦争中、食べるものがなくて、冗談でなく「お腹と背中がくっつく」のではないかという体験が語られている。その時、手塚さんは、米軍の爆撃で死んだ大勢の人々の死体を思い出し、あの死体の腕を1つ持ってくればよかったと本当に思ったらしい。
そんな時、食べ物のことを考えてもどうにもならない。最良のことは、食べ物のことを考えないことだ。

『おなかのへるうた』は、そんな悲惨な歌ではない。
だが、単に愉快な歌を装っているが、愚かな歌だ。決して子供達に歌わせてはならない。
音楽に興味を持たせるために、テーマを子供の関心事に合わせるという考え方であるかもしれないが、食欲を喚起させれば、音楽はどうでも良くなるのである。さらに、お腹がさほど空いていないのに、食べ物のことを思い出させ、食欲を煽るということは、子供達を醜い餓鬼にしてしまう。
さらに、本当に、今は食べたいと思っていない子供でも、歌はある程度の感情を込めて歌ものであることから、この歌により、食べたくない時でも食べる気を起こさせる悪しき習性を与える可能性が高いのである。
こう言われてもピンとこないなら、例えば、「スカートまくりの歌」なんてのを考えてみればいい。考えなくていいことを考えさせる愚かさが分かると思う。
ところで、ちょっと話を脇に逸らす。
かつては、教育者の中にも、「スカートをまくるくらいの元気がないといけない」と言う者もいたという信じられない話を聞いたことがあるが、子供であろうが、それは痴漢であり、犯罪である。だが、多くの教育者は、子供の性的欲望を煽るもののことを放っておいて子供を抑圧するという、教育の素人であることを暴露するようなことをした。抑圧されると、歪んだ形で噴出するというのは教育の基礎だ。それで、現在、変態的な大人が多いのである。
かといって、有害図書を隠すというのも下手なやり方だ。煙草を禁止すると隠れて吸う者が増えるのは当たり前だし、ナイフの所持を禁止するとナイフでの犯罪は増えるのである。それと同じだ。
かつてのアメリカで、禁酒法で酒の製造販売が禁止されると、闇酒屋、闇バーが爆発的に増えたようなものだ。
ちなみに、我が国でも、淫行条例とやらのために援助交際が急激に増えたのである。
2次元ポルノ規制とやらが本当に実施されたらどうなるかは馬鹿でも分かるはずなのだが、馬鹿とは少しはマシな者のことを言うようだ。

学校では教育は出来ない。我々は、自分で自分を教育しなければならない。
我々は、無駄なこと、不要なことを考えないという訓練をしなければならず、子供のうちからそんな習性を持つなら、彼は天才になる。
しかし、自由にものを考えるということと妄想するということの区別がつく大人がいない。
学校の授業中、子供が遠い惑星のことや深海のことを考えるのは、よそ事ではなく、中心的な考えである場合が多い。しかし、おやつやお弁当のことを考えているなら、余計な考えである。
子供が聖なる想像をしている時に、汚れた教師の言葉を聞かせてはならない。岡本太郎は、授業中、両手で耳を堅く塞ぎ、清浄な頭脳に教師の声が届くことを許さなかった。無論、教師の言うことなら、何でもかでも拒否すればいいというのではない。だが、聞くべきでないなら、断固、聞かないことだ。

まずは、仏教で日常の規律としていることもあるらしいが、歩いている時には歩き、食べている時には食べることだ。わざわざ、歩いている時に、「歩いている、歩いている」と唱えることもあるらしい。悪い癖の矯正には有効だ。風呂に入っていて、「あれ、もう頭洗ったっけ?」というようでは駄目なのである。そんなことが多いなら、「風呂に入っている」「頭を洗っている」と唱えることだ。
自分を教育するための最良の教科書は、至高の聖典である『バガヴァッド・ギーター』だと思う。『エメラルド・タブレット』もそうであるが、こちらはやや上級と言えるかもしれない。









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