どの国にも、沈黙の行というものがあるように思う。
ラマナ・マハルシですら、16歳で悟りを開いた後、アルナチャラに移ってから何年も沈黙の行を行ったようだ。
イエスは、「人は入るもので汚れたりはしない。出るもので汚れる」と言った。これは、弟子が手を洗わずに食事をしたことを人々に非難された時に言ったのだが、別に手を洗わないことを誉めた訳ではなく、それよりも、悪い言葉を出すことの方がはるかに悪いと言ったのである。
およそ、人が口に出す言葉の大半は悪いものである。
電車の中や喫茶店、駅の構内など、他の人がいる場所で平気で携帯電話で喋り続ける人を不快に思うのは、マナー違反というより、そんな人の話す言葉はひどく汚れたものなので、その響きのようなものを受けると我々の身体や心が悪い影響を受けるからである。もちろん、話している本人は救いようがないほどだ。

よく、流行歌なので、「言葉にしないと伝わらない」といった言い方があるが、言葉で伝わることはほとんどない。
本当に愛し合っている者達なら言葉はいらないというのが真実である。
共にいれば、相互理解は自ずからやってくる。
ラマナ・マハルシは沈黙をもって教えた。
誰かが、マハルシに、「あなたはなぜ講義をしないのですか?」と尋ねると、マハルシは「毎日、熱弁を振るっている」と答えた。
この熱弁とは沈黙である。どんな言葉も沈黙ほど雄弁ではない。
講義は、聞いている間は何か良いことを聞いている気になる。だが、実は聞いていた者は何も変わらない。
しかし、マハルシの沈黙に接した人々はすっかり変わって去っていくのである。だから、何も語らない彼の元を、毎年大変な数の人々が世界から訪れたのである。

必要なことはもちろん話さなければならないが、我々は喋り過ぎている。ほとんど喋らない方が良い。
日本では昔から「阿吽の呼吸」「阿吽の仲」などと言うが、阿吽(あうん)は仏教の強力なマントラ(呪文、真言)であり、インドの聖言オームからきている。
阿吽、オームは言葉を超えた響きで、宇宙はこれで満ちており、貴いことはそれで全て伝わる。だから、阿吽の仲である者達は、呼吸だけで全て伝わり、言葉の要らない仲なのである。

少なくとも、つまらないお喋りはやめることだ。
そして、頭の中のお喋りが止まれば、宇宙の英知に達する。
ドン・ミゲル・ルイスはエデンの園にいた蛇は、人の頭の中で喋りつづける思考であり、それが人を楽園から追放したと言ったが、その通りである。
仙道家の高藤総一郎さんは、頭の中のお喋りをやめれば、自然に速読が出来ると言ったが、まさにそうで、巷の速読術は何の役にも立たないものだ。
頭の中のお喋りをやめるには、まず、口での無駄なお喋りをやめることだ。
同時に、余計な想念を起こさない練習をすれば進歩は早い。
仏教の修行に、歩いている時は「歩いている、歩いている」と心の中で唱え、食べている時は「食べている、食べている」と唱えるというものがあるらしいが、良い方法と思う。人はあまりに余計なことを考えるので、今に生きておらず、幻想あるいは妄想に生きることになるのである。
話した言葉で後悔することは多い。しかし、言わすに後悔する必要は全くない。
「言えば良かった」などと思うな。本当に良い想いであれば、最も良い形で伝わっているのだ。

一応述べておくが、下にご紹介した、神道家で合気道の達人、佐々木の将人さんの著書『数霊のメッセージ』は、非常に危険な秘法の書だと思う。入手したら心して扱い、無用と思えば書棚の奥深くにしまうように。









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