超人パフォーマンスを売り物にする能力開発セミナーは多い。
能力開発の分野で、世界で最も有名なコーチの1人であるアンソニー・ロビンズのセミナーもそうだ。
彼のパフォーマンスで有名なものに、火渡りがある。
火がついた炭の上を素足で歩き、セミナー受講者にもやらせる。
かつて、ロビンズのNLP(神経言語プログラミング)の師であったリチャード・バンドラーは、著書の中で、「あんなものは簡単な見世物に過ぎない。足を炭の上に乗せたり、離したりするタイミングさえ正しくやればいいだけのことだ」と批判していた。
だが、世界的な量子物理学者のフレッド・アラン・ウルフは、自身もこの火渡りセミナーに参加して実際に行った後、「科学的には不思議なことだ」と言う。
ただ、バンドラーは、ウルフの言うようなこともこみで、そう言ったに違いない。バンドラーだって、弟子だったロビンズが優秀なことくらいは知っているのだから。
ロビンズが昔やっていた他のパフォーマンスに、空手家がやるようなレンガ割りや板割りがあった。
ロビンズは、別に空手の修行をした訳ではないというが、これらをマスターするのにかかった時間は、数時間とか数日とかと言っていたと思う。
私が参加したことのある、多少は知られた日本人トレーナーのセミナーでは、電話帳破りや、自然石を素手で割るとかいった、プロレスラーや実戦空手家が得意とするパフォーマンスを受講者にやらせるところもあった。
いかがわしいものが多いだろうが、中には、ちょっとしたものもあるかもしれない。
ただ、もし、多少のことが出来たり、受講者にもそれをやらせることが出来るとしても、そのトレーナーはたまたまそれが出来るようになっただけで、人間の奥深い部分に関する本質的な理解があることは、まず無いのだ。
そんなトレーナー達は、勝手な理論を作り上げて、それを受講者達に教えるのである。ちょっとびっくりするようなパフォーマンスを見たり、自分でも実際にやってみたのだから、受講者達も、トレーナーの言う教えを信じてしまうことがある。そして、さらに上級の高価なセミナーに参加し、いろいろグッズも買わされるが、教えられるのは全く変な理論や教義なのだから、名刺で割り箸は切れても、応用がさっぱり効かず、何か有益なことで役に立つわけではない。せいぜいが、宴会のスターになる程度だ。そのために、何十万円も何百万円もつぎ込むのだから滑稽だ。
宝島社のムック本(雑誌のような書籍といった雰囲気の本)だったと思うが、その本のテーマは能力開発だった。そして、その中で、こんな話を取り上げていた。
何人かの人たちが、揉め事でもあったのか、険悪な雰囲気になっている中で、1人の男が、素手の拳で、木の壁をぶち破って見せ、他の者達を震え上がらせて話をまとめてしまうといった感じだったと思う。
後で、その超人技を見せた男に、「どの位修行すれば、あんなことが出来るのか?」と尋ねると、彼は、「修行なんかいらない。誰でも出来る」と言う。
だが、その男は、そのやり方を、「拳に魂を乗せ・・・」とか言った、やっぱり馬鹿な説明をするのである。
セミナーなどでは、拳が鉄になったと思えとか言うのかもしれない。
しかし、拳が鉄になったと思って壁をぶち抜けても、セールスでものが売れる訳でも、抜群の商品企画が出来るわけでもない。
上に挙げた、ちょっとした超人パフォーマンスというのは、多少、世間常識を超えたところがあったとしても、実をいうと、ありふれた現象なのだ。
小学生の男の子が、好きな女の子の前で意外ながんばりを見せる時に、普段の彼の120パーセントの実力を発揮するというのは、別に珍しいことではない。
また、名刺での割り箸切りという人気パフォーマンスなんてものは、ちょっとコツを教わればすぐに出来ることで、小さな能力の発揮ですらない。私は、割り箸の入っている薄い袋での、割り箸4本同時切断を、新聞記者の前でやったことがある。もちろん、やり方さえ分かれば、誰でもすぐに出来る。
もうあなたはセミナーに行く必要はない。
真理を言うなら、想念が消えれば消えるほど、人間に不可能は無くなる。
だが、現在のほとんどの人は、想念が消えることと、怠惰に愚考を続けていることの区別が付いていないのだ。
想念を消すには、欲望から解放されていなければならない。欲望がある限り、頭は馬鹿なおしゃべりを止めないのだ。
『エメラルド・タブレット』や『バガヴァッド・ギーター』を頭でではなく、意識での理解が深まれば、想念を消す能力を得る。
1度や2度読むだけで、そんなことができるようにはならない。
百回読めば、多少は可能になるだろう。
聖書でも良いだろう。エドガー・ケイシーは、9歳の時に、親に強くねだって自分専用の聖書を買ってもらい、13歳になるまでに13回通読した。その時、少しは想念を消す術を見出し、変化があった。その後も、毎朝、欠かさず聖書を読み、やがて、無に到達する能力を得て、偉大な超能力を発揮できるようになったのである。
旧訳・新訳合わせた聖書を13回読むのは、単に分量的に言えば、『エメラルド・タブレット』や『バガヴァッド・ギーター』を50回以上読むことに匹敵するかもしれない。
本物の能力を高める訓練に金は必要ない。
名刺で割り箸を切れても、電話帳を引き裂けても、レンガを素手で叩き割れても、何の意味もない。宴会以外の場所で自慢しようとしたら、ただの変な人だ。あるいは、危ない人である。
1つの方法として、上に取り上げたような本物の聖典を真摯に繰り返し読み、実践で試せば良い。言うまでもなく、実践で使わなければ、実力があるのかどうか分からない。
『荘子』の中にも、高齢でもいつまでも若く、人を超越したほどの者に、どうしてそうなれたかと尋ねると、「まず、書を繰り返し読んでいると、ある時、何かを感じたので、それを実践で確かめた。それを繰り返しているうちに、道(タオ)に達した」という話がある。
必要なことは、欲望を捨て、高貴な目的のために献身することである。
ひたすら無心に、『エメラルド・タブレット』や『バガヴァッド・ギーター』を読むことが、あなたに光を見出させるだろう。
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能力開発の分野で、世界で最も有名なコーチの1人であるアンソニー・ロビンズのセミナーもそうだ。
彼のパフォーマンスで有名なものに、火渡りがある。
火がついた炭の上を素足で歩き、セミナー受講者にもやらせる。
かつて、ロビンズのNLP(神経言語プログラミング)の師であったリチャード・バンドラーは、著書の中で、「あんなものは簡単な見世物に過ぎない。足を炭の上に乗せたり、離したりするタイミングさえ正しくやればいいだけのことだ」と批判していた。
だが、世界的な量子物理学者のフレッド・アラン・ウルフは、自身もこの火渡りセミナーに参加して実際に行った後、「科学的には不思議なことだ」と言う。
ただ、バンドラーは、ウルフの言うようなこともこみで、そう言ったに違いない。バンドラーだって、弟子だったロビンズが優秀なことくらいは知っているのだから。
ロビンズが昔やっていた他のパフォーマンスに、空手家がやるようなレンガ割りや板割りがあった。
ロビンズは、別に空手の修行をした訳ではないというが、これらをマスターするのにかかった時間は、数時間とか数日とかと言っていたと思う。
私が参加したことのある、多少は知られた日本人トレーナーのセミナーでは、電話帳破りや、自然石を素手で割るとかいった、プロレスラーや実戦空手家が得意とするパフォーマンスを受講者にやらせるところもあった。
いかがわしいものが多いだろうが、中には、ちょっとしたものもあるかもしれない。
ただ、もし、多少のことが出来たり、受講者にもそれをやらせることが出来るとしても、そのトレーナーはたまたまそれが出来るようになっただけで、人間の奥深い部分に関する本質的な理解があることは、まず無いのだ。
そんなトレーナー達は、勝手な理論を作り上げて、それを受講者達に教えるのである。ちょっとびっくりするようなパフォーマンスを見たり、自分でも実際にやってみたのだから、受講者達も、トレーナーの言う教えを信じてしまうことがある。そして、さらに上級の高価なセミナーに参加し、いろいろグッズも買わされるが、教えられるのは全く変な理論や教義なのだから、名刺で割り箸は切れても、応用がさっぱり効かず、何か有益なことで役に立つわけではない。せいぜいが、宴会のスターになる程度だ。そのために、何十万円も何百万円もつぎ込むのだから滑稽だ。
宝島社のムック本(雑誌のような書籍といった雰囲気の本)だったと思うが、その本のテーマは能力開発だった。そして、その中で、こんな話を取り上げていた。
何人かの人たちが、揉め事でもあったのか、険悪な雰囲気になっている中で、1人の男が、素手の拳で、木の壁をぶち破って見せ、他の者達を震え上がらせて話をまとめてしまうといった感じだったと思う。
後で、その超人技を見せた男に、「どの位修行すれば、あんなことが出来るのか?」と尋ねると、彼は、「修行なんかいらない。誰でも出来る」と言う。
だが、その男は、そのやり方を、「拳に魂を乗せ・・・」とか言った、やっぱり馬鹿な説明をするのである。
セミナーなどでは、拳が鉄になったと思えとか言うのかもしれない。
しかし、拳が鉄になったと思って壁をぶち抜けても、セールスでものが売れる訳でも、抜群の商品企画が出来るわけでもない。
上に挙げた、ちょっとした超人パフォーマンスというのは、多少、世間常識を超えたところがあったとしても、実をいうと、ありふれた現象なのだ。
小学生の男の子が、好きな女の子の前で意外ながんばりを見せる時に、普段の彼の120パーセントの実力を発揮するというのは、別に珍しいことではない。
また、名刺での割り箸切りという人気パフォーマンスなんてものは、ちょっとコツを教わればすぐに出来ることで、小さな能力の発揮ですらない。私は、割り箸の入っている薄い袋での、割り箸4本同時切断を、新聞記者の前でやったことがある。もちろん、やり方さえ分かれば、誰でもすぐに出来る。
もうあなたはセミナーに行く必要はない。
真理を言うなら、想念が消えれば消えるほど、人間に不可能は無くなる。
だが、現在のほとんどの人は、想念が消えることと、怠惰に愚考を続けていることの区別が付いていないのだ。
想念を消すには、欲望から解放されていなければならない。欲望がある限り、頭は馬鹿なおしゃべりを止めないのだ。
『エメラルド・タブレット』や『バガヴァッド・ギーター』を頭でではなく、意識での理解が深まれば、想念を消す能力を得る。
1度や2度読むだけで、そんなことができるようにはならない。
百回読めば、多少は可能になるだろう。
聖書でも良いだろう。エドガー・ケイシーは、9歳の時に、親に強くねだって自分専用の聖書を買ってもらい、13歳になるまでに13回通読した。その時、少しは想念を消す術を見出し、変化があった。その後も、毎朝、欠かさず聖書を読み、やがて、無に到達する能力を得て、偉大な超能力を発揮できるようになったのである。
旧訳・新訳合わせた聖書を13回読むのは、単に分量的に言えば、『エメラルド・タブレット』や『バガヴァッド・ギーター』を50回以上読むことに匹敵するかもしれない。
本物の能力を高める訓練に金は必要ない。
名刺で割り箸を切れても、電話帳を引き裂けても、レンガを素手で叩き割れても、何の意味もない。宴会以外の場所で自慢しようとしたら、ただの変な人だ。あるいは、危ない人である。
1つの方法として、上に取り上げたような本物の聖典を真摯に繰り返し読み、実践で試せば良い。言うまでもなく、実践で使わなければ、実力があるのかどうか分からない。
『荘子』の中にも、高齢でもいつまでも若く、人を超越したほどの者に、どうしてそうなれたかと尋ねると、「まず、書を繰り返し読んでいると、ある時、何かを感じたので、それを実践で確かめた。それを繰り返しているうちに、道(タオ)に達した」という話がある。
必要なことは、欲望を捨て、高貴な目的のために献身することである。
ひたすら無心に、『エメラルド・タブレット』や『バガヴァッド・ギーター』を読むことが、あなたに光を見出させるだろう。
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いつも推奨されていらっしゃる『エメラルド・タブレット』と『バガヴァッド・ギーター』についてです。
両者とも人類の”叡智のひとつ”で素晴らしいと感じております。
不二一元論が唯一正しいわけではありませんが、両者とも相対的な二元性の考え方と善悪の決めつけがある点で人類進化の過渡期の所産です。
現代には現代の叡智が地上に現れているようです。私自身はこの世界には別の普遍的な観点もあることを忘れないようにしています。
すべての道はすべて正解です。
見識、洞察にあふれた記事をいつも楽しく拝読させていただいております。ありがとうございます。