どこの会社だったか忘れたが、ある国際的な有名企業の、まだ先進性があった頃のことかもしれない。
社長が、採用担当者に、「嫌いな人間を採れ。でないと、自分より優秀な人間を採用できない」と言ったのだそうだ。
美しい言葉だとは思うが、企業の中でそんなことを求めることが出来るだろうか?
絶対に無理である。
理由をいちいち述べる気にはならない。なぜなら、あまりに当たり前のことを言葉で説明したら、かえって誤解を招くことが多いものだからだ。

当たり前のことは説明してはならない。当たり前のことを説明しないといけないなら、きっと世界がおかしいのだ。
例えば、こういうことだ。
以前、「なぜ人を殺してはいけないか?」という問題に、偉い人たちがいろんな回答を述べていたが、私はどれも覚えていない…と言うより滑稽だった。説明するようなことなのか?
もし、子供や若い人に、「人を殺すことを悪いと思っていない人がいる」としても、それをしてはいけない理由を言葉で説明するなんてのは最悪のやり方だ。さっきも言った、偉い人達の回答を見ると、私ですら、「ああ、別に人を殺してもいいんだ」と思ってしまうほどだというのは、別に冗談ではない。
ほぼ唯一の解決策は、自分が、人に親切にすることなのだよ。
我々が、人に不親切だから、人殺しも悪いことに感じなくなるのだ。。

採用の話に戻るが、もし、本当に優秀な人を採用したければ、知能テストで選ぶことだ。もちろん、この方法は欠点だらけではあるが、一般に行われている採用方法の千倍マシである。
ただ、優秀な人なんて採用したら、大変だ。数ヶ月後にはみんな辞めるだろうからだ。
昔、マイクロソフトの採用方法が話題になったことがあるが、あれって、単に、知能指数が高い人を選ぶ方法でしかない。ビル・ゲイツは、知能指数しか信じていなかったのだ。

会社や役所の中で、中年の管理職が若い社員や職員のことで、「俺はあいつはさっぱり分からん」と言うのは、ありふれた光景と思う。
この「さっぱり分からん」と言うのは、「俺はあいつが気に食わん」という意味であり、さらに言えば、「俺の気に入るタイプに変わるべきだ」と言っているのである。
なら、その若者は、最低限合格である。
そんな中年管理職に気に入られるようだったら、人間として、全く見込みなしと言うべきだろう。
ところで、言っておくと、知能指数が低い人ほど、嫌いな人が多いのだ。
だが、心配無用だ。嫌いな人がいなくなるほど、知能指数も向上する。余計なことを考えなければ、知能指数は向上するのだ。

ところで、現在のレベルの人間に出来る、一番良い採用方法というのは、実際は、縁故による採用だろう。この場合は、トップがよほどしっかりしている、つまり、無私である必要があるが、もし、トップが立派なら、これが最上であることは間違いない。

もう1つ、アドバイスをするなら、いくつかの基準を設け、それをクリアしたら、面接とか心理テストといった下らないことをしないで、無条件に採用し、クリアしなければ不採用とするのだ。
その基準なんて、早い話が何でもいい。まあ、道義に反しないことは必要だろうが。
百問くらい質問を用意し、あらかじめ決めておいたルールに従って得点を付ければいいだろう。
質問内容は、「犬を飼っている」とか「携帯電話の色は白だ」とか「初音ミクが好きか」といった程度で良い。もちろん、どんな答が良いとかいった問題ではない。得点の付け方だって、コインでも投げて決めればいい。いっそのこと、コインを投げて採用してもいいのだ。
なぜ、それで良いかというと、採用結果を悪くする原因は、人間の思考だからだ。有用な人材を採用しようとする作為が、最悪な人間を採用するのだ。

だが、本当はこうだ。
いい人を採用しようなんて、これっぽっちも思わないことだ。
これが、究極の採用方法である。








  
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