弱くて、辛く苦しかった者が、強くなって、自分を虐げてきた者達に復讐を果たす物語は沢山ある。
今、引きこもったりして、辛い毎日を送っている者は、そのような姿に憧れるかもしれないし、また、そうあるべきと考える者もいるのではないかと思う。
手塚治虫さんの『バンパイヤ』という作品では、中学生の時、皆にいじめられていた間久部緑郎(まくべろくろう)という男が、強力無比な巨大犯罪者、通称「ロック」となり、自分を虐げた世界に復讐するかのように大きな悪事を繰り返し、その世界をも手にいれようとする。だが、ある時、ロックと同じ歳くらいの若い男が、ロックを訪ねてくる。どう見ても、ただの田舎者だが、彼の顔を見ると、冷酷無情のロックの顔が見る見る緩み、子供のようになる。しかし、その男は、有無を言わせず、ロックの顔面にパンチを叩き込み、さらに、容赦なくてロックを叩きのめす。彼は、社会的には下層の庶民だが、子供の時、いじめられていたロックをかばい、いじめっ子達をやっつけ、そして、ロックと一緒に遊んであげていたのだった。天才的頭脳の情け無用の極悪人ロックも、彼にだけは弱かったのだ。
世の中で、富と権力を傘にのさばっている者達だって、そんな存在の1人や2人はいるものだ。
結局、ロックは滅ぶことになる。
イタリアの大俳優だったジュリアーノ・ジェンマが主演したマカロニ・ウエスタン『怒りの荒野』では、父親の知れない娼婦の子であるスコットは、町の皆に虫けらのように扱われながら生きてきたが、流れ者の凄腕ガンマン、タルビーの子分になってのし上がり、遂に、タルビーと共に町を手中に収め、かつて自分を虐げた連中を震え上がらせる。
スコットにも、弱い相手がいた。親代わりに彼の面倒を見てくれたマーフという老人だった。ところが、今は小さな馬屋を営むマーフは、昔、遠い町で保安官をやっていた。その時、タルビーのことを知っていたのだ。マーフは、町の支配者となったタルビーを追い出し、スコットを救うために、保安官に復帰するが、タルビーに殺される。目が覚めたスコットはタルビーと決闘して見事、タルビーを倒すが、自分も銃を投げ捨てる。
スコットの場合は、破滅を免れた。
弱かった者が、復讐心を起こすと、とりあえず悪霊と言うが、そんな闇の力の援助を受け、急に力がつき、思いを果たしていって快楽に酔うことがよくある。
だが、悪霊としては、そうやって、心の弱い者をもてあそび、また、自分も偽りの力を楽しむのだが、最後には、その者を、悲惨な状態で捨てて喜ぶのである。
そうやって滅んだ、成り上がりの事業家、政治家、犯罪者は数知れない。ヒットラーなんてのも、そんな者だったのかもしれない。
『エメラルド・タブレット』にも、闇の力に対する警告は、何度もしつこく繰り返している。このような秘教の教えに熱心に取り組む者には、復讐心を持つ虐げられた人達は少なくないことを知っているのだろう。そして、それはそれで悪いことではない。人間は苦しい目に遭わなければ、強くなろうとは思わない。幼い頃から恵まれてきた人間というのは、意気地がないものだし、それはやはり正しいことではない。
しかし、いつまでも、復讐心や恨みの心を原動力にしていては、やがて、暗黒の力に絡め取られ、餓鬼、阿修羅の世界に入り、やがて地獄に落ちる。
そして、『エメラルド・タブレット』が、ただものが書いたものではないのは、この書では、悪の力を否定するのではなく、その中にも、透明な力があることを教えていることだ。
子供の女の子に人気がある、アニメのプリキュア・シリーズの最初の作品『ふたりはプリキュア』では、敵がどこか、見ている者に痛みを感じさせた。子どもには分からないだろうが、敵達は、心が弱いから悪になったことが、大人が見れば分かるのだ。ポイズニーという名の敵の女戦士は、「力のない正義は悪に劣るのよ」と言ったが、彼女は、悪とは、所詮、「劣る」存在であることを認めていた。きっと、彼女も、元々は弱い存在だったのだろう。強くなりたくて、心を悪魔に売ったが、どこかにまだ、純粋な魂が残っていたから、そんなことを言ったのだろう。しかし、手遅れだった。彼女は滅ぶしかなかった。
ピーサードという敵も、全くそうだった。彼は、心の純粋なプリキュア達を前に、なぜか卑怯な手を使わず、「全力でかかってこい」と言って、真正面から対決する。そして、破れたピーサードに、プリキュア達は哀れみを感じる。今は、ただの子供向けアニメになったが、実は素晴らしい作品だった。
現在、放送中の『灼眼のシャナ・ファイナル』で、かつては、シャナに石ころのように扱われた男子高校生、坂井悠二は、シャナ達の敵の首領にまでのし上がり、シャナの前に帰ってきて言う。「シャナ、僕は強く、強くなった!」と。そして、高邁を理想を語るが、シャナは同調しない。
私は、もう何年も前に、小説でその部分を読み、悠二が強くなったことは喜んでいたが、結局、彼も、どこか弱いのだろう。
『スター・ウォーズ』では、ジェダイになることを望む、ルーク・スカイウォーカーに、ヨーダは、フォース(力)の暗黒面に取り込まれないよう、強く戒めた。ルークの父、アナキン・スカイウォーカーは暗黒の力に負け、ダースベイダーとなった。それを止められなかったことを、ヨーダは悔やんでいたのだろう。
あなたも、秘教の教えを学べば、坂井悠二のように、アナキン・スカイウォーカーのように強くなれるだろう。
しかし、力の暗黒面に負ければ、黒悪魔の思うつぼである。
至高の力を目指すための教えと、暗黒力に対する警告は、下記にご紹介する書に詳しい。
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今、引きこもったりして、辛い毎日を送っている者は、そのような姿に憧れるかもしれないし、また、そうあるべきと考える者もいるのではないかと思う。
手塚治虫さんの『バンパイヤ』という作品では、中学生の時、皆にいじめられていた間久部緑郎(まくべろくろう)という男が、強力無比な巨大犯罪者、通称「ロック」となり、自分を虐げた世界に復讐するかのように大きな悪事を繰り返し、その世界をも手にいれようとする。だが、ある時、ロックと同じ歳くらいの若い男が、ロックを訪ねてくる。どう見ても、ただの田舎者だが、彼の顔を見ると、冷酷無情のロックの顔が見る見る緩み、子供のようになる。しかし、その男は、有無を言わせず、ロックの顔面にパンチを叩き込み、さらに、容赦なくてロックを叩きのめす。彼は、社会的には下層の庶民だが、子供の時、いじめられていたロックをかばい、いじめっ子達をやっつけ、そして、ロックと一緒に遊んであげていたのだった。天才的頭脳の情け無用の極悪人ロックも、彼にだけは弱かったのだ。
世の中で、富と権力を傘にのさばっている者達だって、そんな存在の1人や2人はいるものだ。
結局、ロックは滅ぶことになる。
イタリアの大俳優だったジュリアーノ・ジェンマが主演したマカロニ・ウエスタン『怒りの荒野』では、父親の知れない娼婦の子であるスコットは、町の皆に虫けらのように扱われながら生きてきたが、流れ者の凄腕ガンマン、タルビーの子分になってのし上がり、遂に、タルビーと共に町を手中に収め、かつて自分を虐げた連中を震え上がらせる。
スコットにも、弱い相手がいた。親代わりに彼の面倒を見てくれたマーフという老人だった。ところが、今は小さな馬屋を営むマーフは、昔、遠い町で保安官をやっていた。その時、タルビーのことを知っていたのだ。マーフは、町の支配者となったタルビーを追い出し、スコットを救うために、保安官に復帰するが、タルビーに殺される。目が覚めたスコットはタルビーと決闘して見事、タルビーを倒すが、自分も銃を投げ捨てる。
スコットの場合は、破滅を免れた。
弱かった者が、復讐心を起こすと、とりあえず悪霊と言うが、そんな闇の力の援助を受け、急に力がつき、思いを果たしていって快楽に酔うことがよくある。
だが、悪霊としては、そうやって、心の弱い者をもてあそび、また、自分も偽りの力を楽しむのだが、最後には、その者を、悲惨な状態で捨てて喜ぶのである。
そうやって滅んだ、成り上がりの事業家、政治家、犯罪者は数知れない。ヒットラーなんてのも、そんな者だったのかもしれない。
『エメラルド・タブレット』にも、闇の力に対する警告は、何度もしつこく繰り返している。このような秘教の教えに熱心に取り組む者には、復讐心を持つ虐げられた人達は少なくないことを知っているのだろう。そして、それはそれで悪いことではない。人間は苦しい目に遭わなければ、強くなろうとは思わない。幼い頃から恵まれてきた人間というのは、意気地がないものだし、それはやはり正しいことではない。
しかし、いつまでも、復讐心や恨みの心を原動力にしていては、やがて、暗黒の力に絡め取られ、餓鬼、阿修羅の世界に入り、やがて地獄に落ちる。
そして、『エメラルド・タブレット』が、ただものが書いたものではないのは、この書では、悪の力を否定するのではなく、その中にも、透明な力があることを教えていることだ。
子供の女の子に人気がある、アニメのプリキュア・シリーズの最初の作品『ふたりはプリキュア』では、敵がどこか、見ている者に痛みを感じさせた。子どもには分からないだろうが、敵達は、心が弱いから悪になったことが、大人が見れば分かるのだ。ポイズニーという名の敵の女戦士は、「力のない正義は悪に劣るのよ」と言ったが、彼女は、悪とは、所詮、「劣る」存在であることを認めていた。きっと、彼女も、元々は弱い存在だったのだろう。強くなりたくて、心を悪魔に売ったが、どこかにまだ、純粋な魂が残っていたから、そんなことを言ったのだろう。しかし、手遅れだった。彼女は滅ぶしかなかった。
ピーサードという敵も、全くそうだった。彼は、心の純粋なプリキュア達を前に、なぜか卑怯な手を使わず、「全力でかかってこい」と言って、真正面から対決する。そして、破れたピーサードに、プリキュア達は哀れみを感じる。今は、ただの子供向けアニメになったが、実は素晴らしい作品だった。
現在、放送中の『灼眼のシャナ・ファイナル』で、かつては、シャナに石ころのように扱われた男子高校生、坂井悠二は、シャナ達の敵の首領にまでのし上がり、シャナの前に帰ってきて言う。「シャナ、僕は強く、強くなった!」と。そして、高邁を理想を語るが、シャナは同調しない。
私は、もう何年も前に、小説でその部分を読み、悠二が強くなったことは喜んでいたが、結局、彼も、どこか弱いのだろう。
『スター・ウォーズ』では、ジェダイになることを望む、ルーク・スカイウォーカーに、ヨーダは、フォース(力)の暗黒面に取り込まれないよう、強く戒めた。ルークの父、アナキン・スカイウォーカーは暗黒の力に負け、ダースベイダーとなった。それを止められなかったことを、ヨーダは悔やんでいたのだろう。
あなたも、秘教の教えを学べば、坂井悠二のように、アナキン・スカイウォーカーのように強くなれるだろう。
しかし、力の暗黒面に負ければ、黒悪魔の思うつぼである。
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