CLAMPの『CLOVER』という漫画で、和彦という名の元軍人のシブいおじさんが、12歳の美少女スゥを連れて来たところ、和彦のことをよく知っているらしい美少年が、「趣味、変わった?」と尋ねる。和彦は織葉(おるは)という名の大人の女性の恋人がいたし、美少年、あるいは、美青年趣味でもあったのだろう。しかし、美少女趣味は無かったと、その美少年は認識していたのだ。実際、和彦に美少女趣味は無いらしく、スゥを連れていたのは、そんな理由ではないのだが、スゥは和彦を愛するようになった。
異性の好みが変わるなんて話をよく聞くが、そんなことが本当にあるのだろうか?もし、あったとしても、些細な部分でのことではないだろうか?たとえば、以前はショートカットの活発な女性が好きだったのが、たまたまロングヘアの落ち着いた素敵な女性と出逢うことで、長い髪の物静かな女性も好きになった・・・程度である。
しかし、私は、好みが極端に変わったことが何度かあった。
小学3年生くらいの時、久し振りに幼稚園の卒園アルバムを見たら、幼稚園の時は、とても可愛いと思っていた女の子の写真を見て、「なぜ、こんなのを可愛いと思ったのだろう?」と不思議でならなかった。また、小学5年生になった時、新しいクラスメイトになったある女の子を非常に可愛いと思い、気に入っていたが、夏の体育の授業で、水泳をやった時、水着姿の彼女を見て、何の関心も無いことに気付き、自分で不思議だと思ったことがある。そんなことが、大人になってからも続いていた。
長い間、夫婦をやっている人の中には、「なんでこんなのと結婚したのだろう?」と思う人は少なくないと思うが、「やっぱり昔は白雪姫のようにキレイだった」とか思っているものだろうか?だが、もし、私のような人であれば、昔の彼女を見てすら、「なんで、こんなのがいいと思ったのだろう?」ということになるはずだ。
昔、自分が好きだったアイドルの映像を見て、あまり可愛いと思わないというのは、よくあるらしい。
逆に、昔のアイドルが可愛くて、今のアイドルは全然可愛くないと思うというのは、あまり聞かないように思う。
だが、昔の国民的な大女優や大俳優、大歌手などの熱狂的なファンだった人には、「今の女優は全然駄目」とか言う人が少なくないように思う。
つまり、本当に良いか悪いかではなく、注ぎ込む情熱のエネルギーの量の問題と思う。アイドルでは、瞬間的には熱心でも醒め易いが、大女優、大歌手だと思っているものに対しては、それが長く続くのだろう。
総括して言うなら、「好み」なんてものは、全て嘘なのである。言い換えれば、幻想、迷妄、洗脳、虚妄、夢幻である。
今、好きだと思っているものも、単に、心を覆った幻想が、そう感じさせているだけだ。具体的には、今、AKB48の誰かに夢中でも、後で、「なんで?」と思うことになる。いや、アイドルだけでなく、現実の恋人でも、熱狂みたいなものに関しては同じことなのだ。
なら、幻想がなければ、人生は楽しくないと思うかもしれないが、幻想がもたらす楽しさ、喜びは、必ず裏切られ、苦痛という対価を後払いで持っていかれることだろう。
そして、幻想を払ってしまえば、それまで考えたこともなかったような真の喜びがある。
至高の聖典、『エメラルド・タブレット』や『バガヴァッド・ギーター』は、そういったことを教え、幻想を破るよう導くものである。
バグワン・シュリ・ラジニーシが、『究極の旅』で、ラマナ・マハルシを、『バガヴァッド・ギーター』でアルジュナ王子に教えを授ける至高神クリシュナのようだと書いているらしいが、マハルシはクリシュナそのものと言って良いと思う。
幻想を破った時の至福に比べれば、あらゆる快楽がものの数でないばかりか、快楽は全て苦悩でしかないことが分かると思う。
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異性の好みが変わるなんて話をよく聞くが、そんなことが本当にあるのだろうか?もし、あったとしても、些細な部分でのことではないだろうか?たとえば、以前はショートカットの活発な女性が好きだったのが、たまたまロングヘアの落ち着いた素敵な女性と出逢うことで、長い髪の物静かな女性も好きになった・・・程度である。
しかし、私は、好みが極端に変わったことが何度かあった。
小学3年生くらいの時、久し振りに幼稚園の卒園アルバムを見たら、幼稚園の時は、とても可愛いと思っていた女の子の写真を見て、「なぜ、こんなのを可愛いと思ったのだろう?」と不思議でならなかった。また、小学5年生になった時、新しいクラスメイトになったある女の子を非常に可愛いと思い、気に入っていたが、夏の体育の授業で、水泳をやった時、水着姿の彼女を見て、何の関心も無いことに気付き、自分で不思議だと思ったことがある。そんなことが、大人になってからも続いていた。
長い間、夫婦をやっている人の中には、「なんでこんなのと結婚したのだろう?」と思う人は少なくないと思うが、「やっぱり昔は白雪姫のようにキレイだった」とか思っているものだろうか?だが、もし、私のような人であれば、昔の彼女を見てすら、「なんで、こんなのがいいと思ったのだろう?」ということになるはずだ。
昔、自分が好きだったアイドルの映像を見て、あまり可愛いと思わないというのは、よくあるらしい。
逆に、昔のアイドルが可愛くて、今のアイドルは全然可愛くないと思うというのは、あまり聞かないように思う。
だが、昔の国民的な大女優や大俳優、大歌手などの熱狂的なファンだった人には、「今の女優は全然駄目」とか言う人が少なくないように思う。
つまり、本当に良いか悪いかではなく、注ぎ込む情熱のエネルギーの量の問題と思う。アイドルでは、瞬間的には熱心でも醒め易いが、大女優、大歌手だと思っているものに対しては、それが長く続くのだろう。
総括して言うなら、「好み」なんてものは、全て嘘なのである。言い換えれば、幻想、迷妄、洗脳、虚妄、夢幻である。
今、好きだと思っているものも、単に、心を覆った幻想が、そう感じさせているだけだ。具体的には、今、AKB48の誰かに夢中でも、後で、「なんで?」と思うことになる。いや、アイドルだけでなく、現実の恋人でも、熱狂みたいなものに関しては同じことなのだ。
なら、幻想がなければ、人生は楽しくないと思うかもしれないが、幻想がもたらす楽しさ、喜びは、必ず裏切られ、苦痛という対価を後払いで持っていかれることだろう。
そして、幻想を払ってしまえば、それまで考えたこともなかったような真の喜びがある。
至高の聖典、『エメラルド・タブレット』や『バガヴァッド・ギーター』は、そういったことを教え、幻想を破るよう導くものである。
バグワン・シュリ・ラジニーシが、『究極の旅』で、ラマナ・マハルシを、『バガヴァッド・ギーター』でアルジュナ王子に教えを授ける至高神クリシュナのようだと書いているらしいが、マハルシはクリシュナそのものと言って良いと思う。
幻想を破った時の至福に比べれば、あらゆる快楽がものの数でないばかりか、快楽は全て苦悩でしかないことが分かると思う。
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Kayさんが紹介しているアニメや漫画等の美少女への
Kayさん自身が感じる「美しい」と思う心も幻想という事なのでしょうか?
あるいは『エメラルド・タブレット』や『バガヴァッド・ギーター』を「おもしろい」と感じる心も幻想なのでしょうか?