食というものは、単に肉体を養うだけではない大きな力がある。
フランス料理の名シェフだった、村上信夫さんが、第2次世界大戦中、シベリアで旧ソ連の捕虜として(いわゆるシベリア抑留)生活を送った時のことだ。
ある夜、ソ連兵に呼び出され、彼らと一緒に1つの部屋に行くと、全身を包帯で巻かれた日本兵がベッドに横たえられていた。
ソ連兵は、「この日本人は明日の朝までもたない。最後に何か食べさせてやれ」と言う。
村上さんは、その瀕死の日本兵に、「何が食べたい?」と聞くと、彼は、「パイナップル」と言う。そんなものがあるはずがなかった。あるのは、ただリンゴのみ。村上さんは、リンゴをパイナップルの形に切り、砂糖で巧妙に味付けした。
出来たものを、村上さんは、その日本兵に食べさせてやると、彼は全て食べたのだった。
そして、村上さんは、彼と永遠の別れをする。
それからしばらく経った時、村上さんが捕虜施設の中を散歩していると、誰かに呼び止められた。見ると、なんと、あの時の、死んだはずの日本兵である。彼は村上さんに言った。「あんな美味いものが食べられるなら、もう一度生きてみようと思ったのだ」。
あのリンゴのパイナップルは、村上さんの得意料理となった。
平坂読さんの小説『僕は友達が少ない』で、10年間、友達がいない、高校2年生男子の小鷹が、たこ焼きへの思い入れを熱く語る場面がある。大阪に住んでいた時(彼の家はよく引っ越した)、彼が周りに馴染めず塞ぎ込んでいた時、父親が買ってきてくれる名店のたこ焼きだけを心の支えにして生きていたと言う。
著者にも、似た経験があったのかもしれない。
江戸時代の大観想家、水野南北は、人の運勢は食の量の多い少ないで絶対的に決まると断言した。現代でも通じる最高の観想法(顔や身体の相で運勢を鑑定する占術)で数万人の人間の運命の鑑定をした彼が、観想では百発百中ではないが、食の量で鑑定すれば、万に1つの誤りもなかったと言う。
彼自身、18歳くらいで牢屋敷(現在の刑務所)に入れられ、そこを出てから、あるきっかけで厳しく食を慎み、運勢を大好転させ、75歳の長寿を裕福で幸福に過ごし(弟子は千人で、妻は8人だった)、天皇から貴族にまで叙せられた。
ところで、南北は部類の酒好きで、「存分に楽しんでいる」と言っていた。彼が1日に飲む量は、1合(約180ml)と厳しく決めていた。日本酒を軽くコップに1杯である。現在でも、酒好きなら、この数倍を呑むだろう。しかし、1合であるから、大いなる喜びなのである。
私は2007年8月に、それまで大食で肉食だったのが、不意に1日1食の菜食で、一切の間食もやめた。当初は、少しばかりやり過ぎの少食で、1日1回の食事は、米半合、豆腐1丁と漬物程度であった。食事の時には、ほとんど飢餓という感覚であり、それだけの食事が天国の食事に感じた。
ある頃から、やや糖分不足と思えたので、毎朝1個の黒砂糖を食べることにした。大好きな甘いものを絶っていたこともあり、その黒砂糖が、感動を超え、震えが来るほどに美味しかった。それだけを支えに生きていたと言って良いだろう。
一方、好きなだけ食べていた時の食事には、本当の喜びは何も感じていなかったに違いない。
また、水野南北も実際は気付いていたに違いないが、食欲を克服することで、神秘力とでも言うしかないものが確かに備わる。
南北が、「食が全て」という啓示を得たのは、伊勢で20日の断食と水行の荒行を敢行した後、伊勢外宮に安置されている、食の女神、トヨウケビメの前であった。
南北は、食と運命の関係の根拠は、仏教の経典、法華経の中にあるという。
また、南北は仙人からも直接教えを受けていたと言われる。彼は、文字は読めないので、口伝で集中的な教えを受けた後は、全て実践で確かめた。
2万年前に、アトランティスの神官トートによって書かれたという、純粋な『エメラルド・タブレット』(後にヘルメスが、その時代の人々に合わせて程度を落として書いたものが一般に知られているエメラルド・タブレットである。ヘルメスはトートの転生である)にも、食欲が魂を束縛するのであり、食欲を克服することで、魂を解放することが書かれている。
人類最高の聖典であるに違いない『バガヴァッド・ギーター』には、至高神クリシュナは、アルジュナ王子に、「食べ過ぎてはいけない。しかし、少食過ぎてもいけない」と言ったと書かれている。
そして、現代随一の聖者と言われるラマナ・マハルシは、日常で最も優れた行となるのは、「清らかな食物を適切な量食べること」と言った。マハルシは、肉、魚、卵を一切食べなかった。(ただ、ミルクは良いとした)
日常、十分に食を慎みつつであれば、何か1つ、適度な量の「楽しむための食」は、心と身体を高揚させる素晴らしい恵みとなるであろう。
スポーツ選手の活躍を見て、継続する勇気や元気を得ることなど実際には無いが、それであれば、実際的な勇気、元気、あるいは、心の支えとなることは、上に述べたいくつかの話からも、そして、私の経験からも明らかと思う。
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フランス料理の名シェフだった、村上信夫さんが、第2次世界大戦中、シベリアで旧ソ連の捕虜として(いわゆるシベリア抑留)生活を送った時のことだ。
ある夜、ソ連兵に呼び出され、彼らと一緒に1つの部屋に行くと、全身を包帯で巻かれた日本兵がベッドに横たえられていた。
ソ連兵は、「この日本人は明日の朝までもたない。最後に何か食べさせてやれ」と言う。
村上さんは、その瀕死の日本兵に、「何が食べたい?」と聞くと、彼は、「パイナップル」と言う。そんなものがあるはずがなかった。あるのは、ただリンゴのみ。村上さんは、リンゴをパイナップルの形に切り、砂糖で巧妙に味付けした。
出来たものを、村上さんは、その日本兵に食べさせてやると、彼は全て食べたのだった。
そして、村上さんは、彼と永遠の別れをする。
それからしばらく経った時、村上さんが捕虜施設の中を散歩していると、誰かに呼び止められた。見ると、なんと、あの時の、死んだはずの日本兵である。彼は村上さんに言った。「あんな美味いものが食べられるなら、もう一度生きてみようと思ったのだ」。
あのリンゴのパイナップルは、村上さんの得意料理となった。
平坂読さんの小説『僕は友達が少ない』で、10年間、友達がいない、高校2年生男子の小鷹が、たこ焼きへの思い入れを熱く語る場面がある。大阪に住んでいた時(彼の家はよく引っ越した)、彼が周りに馴染めず塞ぎ込んでいた時、父親が買ってきてくれる名店のたこ焼きだけを心の支えにして生きていたと言う。
著者にも、似た経験があったのかもしれない。
江戸時代の大観想家、水野南北は、人の運勢は食の量の多い少ないで絶対的に決まると断言した。現代でも通じる最高の観想法(顔や身体の相で運勢を鑑定する占術)で数万人の人間の運命の鑑定をした彼が、観想では百発百中ではないが、食の量で鑑定すれば、万に1つの誤りもなかったと言う。
彼自身、18歳くらいで牢屋敷(現在の刑務所)に入れられ、そこを出てから、あるきっかけで厳しく食を慎み、運勢を大好転させ、75歳の長寿を裕福で幸福に過ごし(弟子は千人で、妻は8人だった)、天皇から貴族にまで叙せられた。
ところで、南北は部類の酒好きで、「存分に楽しんでいる」と言っていた。彼が1日に飲む量は、1合(約180ml)と厳しく決めていた。日本酒を軽くコップに1杯である。現在でも、酒好きなら、この数倍を呑むだろう。しかし、1合であるから、大いなる喜びなのである。
私は2007年8月に、それまで大食で肉食だったのが、不意に1日1食の菜食で、一切の間食もやめた。当初は、少しばかりやり過ぎの少食で、1日1回の食事は、米半合、豆腐1丁と漬物程度であった。食事の時には、ほとんど飢餓という感覚であり、それだけの食事が天国の食事に感じた。
ある頃から、やや糖分不足と思えたので、毎朝1個の黒砂糖を食べることにした。大好きな甘いものを絶っていたこともあり、その黒砂糖が、感動を超え、震えが来るほどに美味しかった。それだけを支えに生きていたと言って良いだろう。
一方、好きなだけ食べていた時の食事には、本当の喜びは何も感じていなかったに違いない。
また、水野南北も実際は気付いていたに違いないが、食欲を克服することで、神秘力とでも言うしかないものが確かに備わる。
南北が、「食が全て」という啓示を得たのは、伊勢で20日の断食と水行の荒行を敢行した後、伊勢外宮に安置されている、食の女神、トヨウケビメの前であった。
南北は、食と運命の関係の根拠は、仏教の経典、法華経の中にあるという。
また、南北は仙人からも直接教えを受けていたと言われる。彼は、文字は読めないので、口伝で集中的な教えを受けた後は、全て実践で確かめた。
2万年前に、アトランティスの神官トートによって書かれたという、純粋な『エメラルド・タブレット』(後にヘルメスが、その時代の人々に合わせて程度を落として書いたものが一般に知られているエメラルド・タブレットである。ヘルメスはトートの転生である)にも、食欲が魂を束縛するのであり、食欲を克服することで、魂を解放することが書かれている。
人類最高の聖典であるに違いない『バガヴァッド・ギーター』には、至高神クリシュナは、アルジュナ王子に、「食べ過ぎてはいけない。しかし、少食過ぎてもいけない」と言ったと書かれている。
そして、現代随一の聖者と言われるラマナ・マハルシは、日常で最も優れた行となるのは、「清らかな食物を適切な量食べること」と言った。マハルシは、肉、魚、卵を一切食べなかった。(ただ、ミルクは良いとした)
日常、十分に食を慎みつつであれば、何か1つ、適度な量の「楽しむための食」は、心と身体を高揚させる素晴らしい恵みとなるであろう。
スポーツ選手の活躍を見て、継続する勇気や元気を得ることなど実際には無いが、それであれば、実際的な勇気、元気、あるいは、心の支えとなることは、上に述べたいくつかの話からも、そして、私の経験からも明らかと思う。
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