身体や心に病気を抱えていたり、学校や職場が辛かったり、お金に困っていたりという人もいるだろう。
そんな人が、このブログを見て、「よし、少食にすれば状況が良くなるのだな」と思ったり、「腕振り運動をやれば若返って健康になるのだな」と思うなら、その通りである。
私自身、幼い頃からのアトピー性皮膚炎とメニエール氏病という、自然には決して治らないと言われる病気を一切の医療に頼らず治した。
それでも、昨年9月には乾癬病という皮膚病にかかり、かなり重症だったが、こちらは新しい魔法を習得する機会を与えてくれたというに過ぎず、11月の健康診断の時には、ほとんど完治していた。これは、世間常識的にはあり得ないことと思う。

江戸時代の観相家、水野南北は、運命は食で全て決まると断言しているが、彼は、天下一の観相家として大勢の人を調べたが、万に1つの外れもなかったのだ。
電波工学の世界的権威であった関英男博士は、腕振り運動で自身の胃癌を消滅させ、数多くの難病治癒の実証データを研究者用テキストに載せたりもしていた。
少女時代の『GENIE』という歌に、「この地球(ほし)は思い通り」「世界は意外にも単純に出来てるの」という歌詞があるが、それはそれで本当だ。

ただ、苦しい状況にあるからといって、「いつ、この病気が治るか」「あなたは何ヶ月で状況が改善されたか」と、せっかちになってはならない。
私は以前、末期の胃癌で余命1ヶ月という人を、ある方法で完治させたことがある。しかし、彼は、やがて亡くなった。身体だけ治しても駄目なのだ。
病気になったり、苦しい状況に陥るのは、やはり、理由があるのだ。それを解決しない限り、同じことが繰り返されるだけだ。
だが、どんな理由で病気になったとか、辛い目に遭うかなどといったことは、考えて分かるようなことはあまりない。
だが、常日頃、トレーニングをしていれば、分かる前に解決する。それは、心の深奥では理解したということだ。
トレーニングという言葉は、学校などで教えられた意味は忘れることだ。これは、トレイン(列車)、トレーラー(牽引車)から来た言葉で、引っ張るという意味だ。つまり、望ましい原因を常に引っ張ることがトレーニングだが、目に見えない世界から引っ張るべきものなのだ。スポーツなどのトレーニングも良いが、それは、ごく一面的な意味だ。

食の慎みは、目に見えない実相から原因を引っ張る優れた方法なのだ。
他にも、聖典を読む、聖なるマントラを唱える、大祓詞を上げるなどがある。
誰かが、ラマナ・マハルシに、「時々、バガヴァッド・ギーターを読むべきでしょうか?」と尋ねたら、マハルシは「いつもにしなさい」と答えた。バガヴァッド・ギーターを読むことは最高のトレーニングだが、「時々」では駄目だ。トレーニングとは、可能であれば、1日中やるものだ。
岡田虎二郎は、岡田式静坐法を教えたが、「生活しながら静坐をするようでは駄目だ。静坐しながら生活しなさい。念仏を唱えるなら、生活しながら念仏するようでは駄目で、念仏しながら生活しなさい」と教えた。法然上人は、1日6万回、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えた。

魔法といったらおかしなもののように感じるかもしれないが、電話の仕組みの分からない未開人には電話は魔法だ。神秘的な魔法も、理解してしまえば、魔法でも何でもない。魔法を得る最上のトレーニングは、ラマナ・マハルシが教えたように、常に、「私は誰か?」と問うことや、あるいは、『エメラルド・タブレット』をいつも読むことだ。
常にトレーニングすれば、気が付けば世界は変わっているだろう。

尚、霞ヶ関書房の『エメラルドタブレット』は、Amazonになかなか入荷しないが、竜王文庫の『エメラルド・タブレット』がAmazonに大量入荷した。私は両方共所有しているが、竜王文庫版も、ドリール博士の解説が付けられており、良い翻訳だと私は思う。
意味が分からなくても、根気よく読むことに意味があると思う。









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