宣伝で、「徹底したこだわり」とか「頑固一徹」などという言い方をするものがあるが、死後、閻魔様に舌を抜かれないよう、気をつけたがいいだろう。まあ、閻魔様を信じていないから言えるのだとは思うけどね。
徹底してこだわったり、頑固一徹でビジネスは成り立たない。
自分が料理するラーメン屋を始めようという時、自分でラーメンをしっかり作ったことがないような者がやって成功することはない。
コーヒー店なら、自分がコーヒーが好きで好きで仕方がなく、長年に渡って、自分でいろいろな煎れ方を試し、高価なコーヒーメーカーを購入し、ありとあらゆるコーヒー豆を購入して煎れてみた者なら成功に近いかもしれない。
だが、商売で始めたら、限度を知る必要もある。あまりにこだわると、コストの面や自分の健康の面などで、必ず行き詰る。
しかし、それでも、妥協しろということでもない。ここらが、昨夜も書いた「止揚」が必要になるところだ。
つまり、こだわるポイントを変えないといけないのだ。
自分が味に徹底してこだわったとして、誰がそれを求めているのだろうか?
自分の自我だけの満足ではなく、自分も含めはするが、客、家族の満足にこだわれば成功する。世界の満足に気付けば大成功する。
逆に、いつまでも自分の自我にこだわっていると、大きな病気になったりするなど、何か困ったことが起るが、それは天の配慮というものだ。
また、儲けにばかりこだわっても、一時的には良くても、いつか大失敗する。
世界的な大投資家だって、百戦百勝とはいかないし、そんなことは目指していない。ただし、損をするとしても、勝利を呼ぶ損をするのだ。
イチローだって全打席でヒットは打てないのは当然だが、どんな一流の格闘家でもいつかは負ける。ボクシング元世界ヘビー級王者ロッキー・マルシアーノは生涯に渡り無配だったが、それでもアマチュア時代には試合か練習かはともかく、こっぴどい負けを味わったことがあるだろうし、さらに、ボクシング以外でなら、彼は野球選手を目指して失敗している。
奥城良治さんという、日産自動車で16年連続世界一の記録を立てたセールスマンは、「強豪セールスマンは、最も多くの敗北を喫した者」と言うが、その通りだろう。
新渡戸稲造は、毎日、必ずやる行の大切さを知ることがあり、それで、水ごりをやることと決めた。行とは、何があっても毎日欠かさずやってこそ行である。ところが、ある日、風邪で高熱を発する。それでも彼は鉄の意志で決行したが、医者には怒られた。
さて、新渡戸はどうすれば良かったのか?これも止揚である。彼は、風邪をひいたことを反省すれば良かったのだ。高熱を発する風邪など、普通の生活の中でひくなら異常なことである。その愚かさを戒めれば良かった。新渡戸が気付いたかどうかは知らないが。
上にあげた、奥城良治さんも、毎日、競歩を必ず1時間やり、雨の日も嵐の日も決行した。どうしても出来なければ、翌日2時間やったという。社員旅行の時も例外ではなかったが、ある年の社員旅行では、行った先に歩ける道がなかった。それで石段の上り下りを1時間やって疲労困憊となった。まあ、喜劇といえば喜劇だ。
しかし、新渡戸さんや奥城さんのような馬鹿なことも、一度はやっておくべきで、そんなことが出来るのは若い間だろう。
これもまた限度はあるにせよ、若いうちに無茶をやっていないと、後で振り返って楽しくないということもある。
そして、年をとって賢くなったら、妥協ではなく、止揚・・・高いレベルでの真の満足、即ち、高度な調和を実現しなければならない。しかし、不調和を知らなければ調和は分からない。やれるうちに、ある程度の不調和を体験しておくことだ。そして、それはそれで楽しいものであるはずだ。
最初から待遇の良い大企業に入ったら、不調和を学べない。学力エリートは、高次の調和という、最高の果実を味わうことができないのだ。それが不幸なことでないはずがないが、それを教えられない大人ばかりである世間とは愚かなものである。
頑固一徹などと言っていると舌を抜かれる。つまり、高次元の調和を得そこなうのだ。
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徹底してこだわったり、頑固一徹でビジネスは成り立たない。
自分が料理するラーメン屋を始めようという時、自分でラーメンをしっかり作ったことがないような者がやって成功することはない。
コーヒー店なら、自分がコーヒーが好きで好きで仕方がなく、長年に渡って、自分でいろいろな煎れ方を試し、高価なコーヒーメーカーを購入し、ありとあらゆるコーヒー豆を購入して煎れてみた者なら成功に近いかもしれない。
だが、商売で始めたら、限度を知る必要もある。あまりにこだわると、コストの面や自分の健康の面などで、必ず行き詰る。
しかし、それでも、妥協しろということでもない。ここらが、昨夜も書いた「止揚」が必要になるところだ。
つまり、こだわるポイントを変えないといけないのだ。
自分が味に徹底してこだわったとして、誰がそれを求めているのだろうか?
自分の自我だけの満足ではなく、自分も含めはするが、客、家族の満足にこだわれば成功する。世界の満足に気付けば大成功する。
逆に、いつまでも自分の自我にこだわっていると、大きな病気になったりするなど、何か困ったことが起るが、それは天の配慮というものだ。
また、儲けにばかりこだわっても、一時的には良くても、いつか大失敗する。
世界的な大投資家だって、百戦百勝とはいかないし、そんなことは目指していない。ただし、損をするとしても、勝利を呼ぶ損をするのだ。
イチローだって全打席でヒットは打てないのは当然だが、どんな一流の格闘家でもいつかは負ける。ボクシング元世界ヘビー級王者ロッキー・マルシアーノは生涯に渡り無配だったが、それでもアマチュア時代には試合か練習かはともかく、こっぴどい負けを味わったことがあるだろうし、さらに、ボクシング以外でなら、彼は野球選手を目指して失敗している。
奥城良治さんという、日産自動車で16年連続世界一の記録を立てたセールスマンは、「強豪セールスマンは、最も多くの敗北を喫した者」と言うが、その通りだろう。
新渡戸稲造は、毎日、必ずやる行の大切さを知ることがあり、それで、水ごりをやることと決めた。行とは、何があっても毎日欠かさずやってこそ行である。ところが、ある日、風邪で高熱を発する。それでも彼は鉄の意志で決行したが、医者には怒られた。
さて、新渡戸はどうすれば良かったのか?これも止揚である。彼は、風邪をひいたことを反省すれば良かったのだ。高熱を発する風邪など、普通の生活の中でひくなら異常なことである。その愚かさを戒めれば良かった。新渡戸が気付いたかどうかは知らないが。
上にあげた、奥城良治さんも、毎日、競歩を必ず1時間やり、雨の日も嵐の日も決行した。どうしても出来なければ、翌日2時間やったという。社員旅行の時も例外ではなかったが、ある年の社員旅行では、行った先に歩ける道がなかった。それで石段の上り下りを1時間やって疲労困憊となった。まあ、喜劇といえば喜劇だ。
しかし、新渡戸さんや奥城さんのような馬鹿なことも、一度はやっておくべきで、そんなことが出来るのは若い間だろう。
これもまた限度はあるにせよ、若いうちに無茶をやっていないと、後で振り返って楽しくないということもある。
そして、年をとって賢くなったら、妥協ではなく、止揚・・・高いレベルでの真の満足、即ち、高度な調和を実現しなければならない。しかし、不調和を知らなければ調和は分からない。やれるうちに、ある程度の不調和を体験しておくことだ。そして、それはそれで楽しいものであるはずだ。
最初から待遇の良い大企業に入ったら、不調和を学べない。学力エリートは、高次の調和という、最高の果実を味わうことができないのだ。それが不幸なことでないはずがないが、それを教えられない大人ばかりである世間とは愚かなものである。
頑固一徹などと言っていると舌を抜かれる。つまり、高次元の調和を得そこなうのだ。
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