いじめの本質とは、「出る釘を叩く」である。
特に、学校というものは、「前に倣え」つまり、皆が同じであることで秩序が保たれている。
学校とは、「目立つやつ」、すなわち、「変わったやつ」は、決して許されない所なのだ。
いじめにあった子供が自殺した時でも、学校は、「気付かなかった」「いじめと認識していなかった」と言うが、あながち嘘ではない。
学校にとって、いじめは、秩序維持のための好ましい現象であり、出来る限りそれを黙認しようとするものなのである。
岡本太郎は激しくいじめられた。超個性的であったからだ。生徒はもちろん、教師にも徹底していじめられた。個性は、学校の秩序を乱すのである。
森山風歩さんは、筋ジストロフィーという、筋肉が無くなっていく病気のために、歩き方がおかしいということのために、クラス総動員のいじめに遭った。もちろん、教師に相談しても無駄だった。普通でない子の存在を許さない学校では、どんないじめも黙認される。教師の信頼厚い優等生もいじめに参加したが、不思議なことではない。それが学校である。
『火星人地球大襲撃』という映画で、地球人類をはるかに超える文明を築いていた火星人が滅びた理由が明かされる。それは、火星人の中にもあった、異分子を許さない性向だった。
ジャイアント馬場さんは、学生の頃から並外れて大きかったが、目立たないように、いつも小さくなっているおとなしい少年だったのは、目立つと危ないことを感じていたからかもしれないと思う。そんな馬場さんをなめてか、1人の男子生徒が、身体のことで馬場さんをからかったことがあった。馬場さんは、号泣しながら、その男子生徒をやっつけたという。腕力・体力では当時から桁違いだったが、それでも馬場さんは身体のことで強い劣等感を持っていたのだった。
他人と同じようでなくて辛い目に遭っている人はいるだろう。
では、そんな人はどうすれば良いかというと、方法はただ1つだ。
それは、自分が異分子を受け入れることだ。
ジョディ・フォスターが14歳の時に主演した『白い家の少女』という映画がある。
ジョディが演じたリンという少女は、自分の考え方をしっかりと持ち、自分の個性を大切にする、利発で大人びた美少女で、まさに、ジョディに相応しい役だった。
詩人であるリンの父親は、リンに、「大人は個性的なお前を決して認めない」と言ったが、それに対応するための、父親の遺言となったアドバイスは、「賢くなって戦え」だった。
だが、それを守ったリンは、2人の大人を殺すことになる。
原作小説でも映画でもそうは言わなかったが、父は愚かだった。
私なら、こうアドバイスしただろう。
世界の所有者として振る舞いなさいと。
それは、次のようにすることだと。
どんな人の行いも、それをすることを許しなさい。
どんな出来事も、それが起こることを許しなさい。
どんな人の個性も認めなさい。
お前が見下したり、攻撃したりしない限り、誰もお前を害したりできない。
許せない人間が存在する限り、あなたは自分が世界の所有者であることを思い出せない。
認めることができない人間がいる限り、あなたは魔法の力を手にしないのである。
小説・アニメの『僕は友達が少ない』で、美少女で成績抜群だが友達がいない三日月夜空(高2女子)は、ギャルゲー(ギャルゲーム。魅力的な女性が売り物のゲーム)に陶酔する星奈(高2女子)や、ボーイズラブ(若い男同士の同性愛)等に熱狂する理科(高1女子)に顔をしかめたり、見下すようなことをしなくなれば、いやでも、男にも女にもモテモテになるだろう。
主人公の小鷹(高2男子)は、夜空や星奈に比べれば数段進歩しているが、「不味いたこ焼きを平気な顔で売っているやつは赦せない」と言わなくなれば、不器用でも友達が作れるに違いない。
彼らより、もっと不利な条件で、同姓、異性の友達が多い者など、いくらでもいるのである。
岡本太郎は、小学校の同窓会で、「君にはよく殴られたなあ」と言いながら、かつて自分をいじめた相手と酒を飲むまでになったが、閉鎖的な日本の画壇も認めればよかったと思う。そうであれば、病魔に侵されることもなかったかもしれない。
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特に、学校というものは、「前に倣え」つまり、皆が同じであることで秩序が保たれている。
学校とは、「目立つやつ」、すなわち、「変わったやつ」は、決して許されない所なのだ。
いじめにあった子供が自殺した時でも、学校は、「気付かなかった」「いじめと認識していなかった」と言うが、あながち嘘ではない。
学校にとって、いじめは、秩序維持のための好ましい現象であり、出来る限りそれを黙認しようとするものなのである。
岡本太郎は激しくいじめられた。超個性的であったからだ。生徒はもちろん、教師にも徹底していじめられた。個性は、学校の秩序を乱すのである。
森山風歩さんは、筋ジストロフィーという、筋肉が無くなっていく病気のために、歩き方がおかしいということのために、クラス総動員のいじめに遭った。もちろん、教師に相談しても無駄だった。普通でない子の存在を許さない学校では、どんないじめも黙認される。教師の信頼厚い優等生もいじめに参加したが、不思議なことではない。それが学校である。
『火星人地球大襲撃』という映画で、地球人類をはるかに超える文明を築いていた火星人が滅びた理由が明かされる。それは、火星人の中にもあった、異分子を許さない性向だった。
ジャイアント馬場さんは、学生の頃から並外れて大きかったが、目立たないように、いつも小さくなっているおとなしい少年だったのは、目立つと危ないことを感じていたからかもしれないと思う。そんな馬場さんをなめてか、1人の男子生徒が、身体のことで馬場さんをからかったことがあった。馬場さんは、号泣しながら、その男子生徒をやっつけたという。腕力・体力では当時から桁違いだったが、それでも馬場さんは身体のことで強い劣等感を持っていたのだった。
他人と同じようでなくて辛い目に遭っている人はいるだろう。
では、そんな人はどうすれば良いかというと、方法はただ1つだ。
それは、自分が異分子を受け入れることだ。
ジョディ・フォスターが14歳の時に主演した『白い家の少女』という映画がある。
ジョディが演じたリンという少女は、自分の考え方をしっかりと持ち、自分の個性を大切にする、利発で大人びた美少女で、まさに、ジョディに相応しい役だった。
詩人であるリンの父親は、リンに、「大人は個性的なお前を決して認めない」と言ったが、それに対応するための、父親の遺言となったアドバイスは、「賢くなって戦え」だった。
だが、それを守ったリンは、2人の大人を殺すことになる。
原作小説でも映画でもそうは言わなかったが、父は愚かだった。
私なら、こうアドバイスしただろう。
世界の所有者として振る舞いなさいと。
それは、次のようにすることだと。
どんな人の行いも、それをすることを許しなさい。
どんな出来事も、それが起こることを許しなさい。
どんな人の個性も認めなさい。
お前が見下したり、攻撃したりしない限り、誰もお前を害したりできない。
許せない人間が存在する限り、あなたは自分が世界の所有者であることを思い出せない。
認めることができない人間がいる限り、あなたは魔法の力を手にしないのである。
小説・アニメの『僕は友達が少ない』で、美少女で成績抜群だが友達がいない三日月夜空(高2女子)は、ギャルゲー(ギャルゲーム。魅力的な女性が売り物のゲーム)に陶酔する星奈(高2女子)や、ボーイズラブ(若い男同士の同性愛)等に熱狂する理科(高1女子)に顔をしかめたり、見下すようなことをしなくなれば、いやでも、男にも女にもモテモテになるだろう。
主人公の小鷹(高2男子)は、夜空や星奈に比べれば数段進歩しているが、「不味いたこ焼きを平気な顔で売っているやつは赦せない」と言わなくなれば、不器用でも友達が作れるに違いない。
彼らより、もっと不利な条件で、同姓、異性の友達が多い者など、いくらでもいるのである。
岡本太郎は、小学校の同窓会で、「君にはよく殴られたなあ」と言いながら、かつて自分をいじめた相手と酒を飲むまでになったが、閉鎖的な日本の画壇も認めればよかったと思う。そうであれば、病魔に侵されることもなかったかもしれない。
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私も中学の時いじめにあっており、救いを求めたその時の担任から
「キミは個性的過ぎる、だから人に嫌われるんだ。皆に合わせる事を覚えなさい」
と言われました。
ヘタレな私はそう言われて黙っていました、自分の命を守る為に黙って素直に頷くしかありませんでした。
担任を恨んでいる訳ではありません。
彼がいじめに対処してくれ、とりあえず命の危険から私を遠ざけてくれた事には今でも感謝しています。
しかし、どうしてもあの言葉の違和感と不条理さには納得出来なかった。
命の安全と引き換えに、自分の個性を認める事が出来ずに魂を売った自分が一番許せなかったのかもしれません。
今日のお話の「どんな人の行いも~」は名訓として心に刻みます。
長々と語って申し訳ありませんでした。