新年、おめでとうございます。
今の季節は、準備の時期を象徴していると考えることもできる。つまり、春に芽吹くため、冷たい土の中で耐える期間だ。
ギリシャ神話では、それを美しく表現している。
ペルセポーネという女神の別名はコレー(乙女の意)と言う通り、愛くるしい少女神だ。ところで、オリュンポスには、男嫌いの女神は意外に多く、知と戦いの女神アテーナー、純潔と狩猟の女神アルテミスがそうで、また、炉の女神ヘスティアも男を寄せ付けない。これら3女神は、オリュンポスの12神の地位にあるが、ペルセポーネは幼い少女神だった(母のデーメーテールはオリュンポス12神に入っている)。
だが、そのあまりの愛らしさから、ペルセポーネの父である大神ゼウスの兄で、冥界の王であるハーデースに略奪され、地の底に連れ去られる。これを許したゼウス(本当はそそのかした)と、怒りに燃えるデーメーテール(ペルセポーネの母)が対立する中、2人の母レアー(ハーデースの母でもある)のとりなしで和解し、ペルセポーネは冬の間だけハーデースの妻として地中の王国で過ごし、春になれば、母デーメーテールの元に戻ることになった。
デーメーテールは豊穣の女神である。つまり、ペルセポーネは、冬の間地下にいて、春になれば芽吹く種子である。
今流に言えば、ペルセポーネは萌え(芽吹くの意)に相応しい美少女神であるわけだ。
古代ギリシャの伝説は、アトランティスやそれに関わる宇宙人の高度な知恵が秘められており、ペルセポーネのお話も、もっと詳細に見ると実に面白い。正統なものとしては、ホメーロス風諸神賛歌の中のデーメーテールのところを見れば良いが、岩波文庫の『四つのギリシャ神話』の中にある。この中には、他に、理性と芸術の神アポローン、知恵の神ヘルメース(マーキュリー)、そして、美の女神のアプロディーテー(ヴィーナス)のお話では、ペルセポーネとは正反対の男好きの所業が収められている。実際、アプロディーテーとペルセポーネは度々争っているようである(美少年を争った話はよく知られている)。
我々もまた、芽吹く春に備え、寒い季節を耐えねばならない。耐えつつ、準備しなければならない。今こそ、力を蓄えるべきだが、それは、世間で言われるようなものや、学校で教えられた、ろくでもないものであってはならない。
我々は、今年こそ魔法使いになるべきだろう。別におかしなことではない。神秘というものは、分からないから神秘なのであり、明らかにされれば神秘ではない。
だが、明かしてはならない神秘というものもある。それは、人に明かしてはならないという意味で、普通の言い方をするなら、頭で考えて分かるようなことではないということだ。頭で考えて分からないことは、下らないものであるという観念を学校で植え付けられたことが我々の大きな不幸である。ソクラテスや荘子のような賢者、あるいは、サン・テグジュペリが『星の王子様』で言ったように、本当に大切なことは目に見えないし、頭で考えて分かるようなものではない。
ペルセポーネのお話で言えば、コレー(乙女)の神秘や美は、やはり、隠されるべきものであるのだろう。それは、魂で感じるべきことだ。これもまた、魔法を得る秘儀である。萌えも結構だが、扱いを誤り、度を越えると、力を失うということには注意したがいい(そんな人を見れば分かると思うが)。
魔法とは、崇拝すべき英国の魔法使いダイアン・フォーチュンの定義では、「心に自在に変革を起こす技術」である。
言うまでもなく、それができれば、世界は意のままであり、世界に自在に変革を起こせるだろう。
そして、それは、恐ろしく難しいことだ。ただ、それが難しいのは、西洋的な合理思想の元で考えればの話だ。真理というのは、本当は子供でも分かることである。いや、子供のようでないと分からないのだ。
魔法という言い方に難があるのかもしれないが、私はそう呼ぶ。
今の時期、世間を超える威力を持たねばならないし、苦しい状況からの脱出の道を求めても見つからない人々を見るのも忍びない。
我、神秘を明かさんである。贅沢三昧はお奨めしないが、優雅であるのは良いことである。
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今の季節は、準備の時期を象徴していると考えることもできる。つまり、春に芽吹くため、冷たい土の中で耐える期間だ。
ギリシャ神話では、それを美しく表現している。
ペルセポーネという女神の別名はコレー(乙女の意)と言う通り、愛くるしい少女神だ。ところで、オリュンポスには、男嫌いの女神は意外に多く、知と戦いの女神アテーナー、純潔と狩猟の女神アルテミスがそうで、また、炉の女神ヘスティアも男を寄せ付けない。これら3女神は、オリュンポスの12神の地位にあるが、ペルセポーネは幼い少女神だった(母のデーメーテールはオリュンポス12神に入っている)。
だが、そのあまりの愛らしさから、ペルセポーネの父である大神ゼウスの兄で、冥界の王であるハーデースに略奪され、地の底に連れ去られる。これを許したゼウス(本当はそそのかした)と、怒りに燃えるデーメーテール(ペルセポーネの母)が対立する中、2人の母レアー(ハーデースの母でもある)のとりなしで和解し、ペルセポーネは冬の間だけハーデースの妻として地中の王国で過ごし、春になれば、母デーメーテールの元に戻ることになった。
デーメーテールは豊穣の女神である。つまり、ペルセポーネは、冬の間地下にいて、春になれば芽吹く種子である。
今流に言えば、ペルセポーネは萌え(芽吹くの意)に相応しい美少女神であるわけだ。
古代ギリシャの伝説は、アトランティスやそれに関わる宇宙人の高度な知恵が秘められており、ペルセポーネのお話も、もっと詳細に見ると実に面白い。正統なものとしては、ホメーロス風諸神賛歌の中のデーメーテールのところを見れば良いが、岩波文庫の『四つのギリシャ神話』の中にある。この中には、他に、理性と芸術の神アポローン、知恵の神ヘルメース(マーキュリー)、そして、美の女神のアプロディーテー(ヴィーナス)のお話では、ペルセポーネとは正反対の男好きの所業が収められている。実際、アプロディーテーとペルセポーネは度々争っているようである(美少年を争った話はよく知られている)。
我々もまた、芽吹く春に備え、寒い季節を耐えねばならない。耐えつつ、準備しなければならない。今こそ、力を蓄えるべきだが、それは、世間で言われるようなものや、学校で教えられた、ろくでもないものであってはならない。
我々は、今年こそ魔法使いになるべきだろう。別におかしなことではない。神秘というものは、分からないから神秘なのであり、明らかにされれば神秘ではない。
だが、明かしてはならない神秘というものもある。それは、人に明かしてはならないという意味で、普通の言い方をするなら、頭で考えて分かるようなことではないということだ。頭で考えて分からないことは、下らないものであるという観念を学校で植え付けられたことが我々の大きな不幸である。ソクラテスや荘子のような賢者、あるいは、サン・テグジュペリが『星の王子様』で言ったように、本当に大切なことは目に見えないし、頭で考えて分かるようなものではない。
ペルセポーネのお話で言えば、コレー(乙女)の神秘や美は、やはり、隠されるべきものであるのだろう。それは、魂で感じるべきことだ。これもまた、魔法を得る秘儀である。萌えも結構だが、扱いを誤り、度を越えると、力を失うということには注意したがいい(そんな人を見れば分かると思うが)。
魔法とは、崇拝すべき英国の魔法使いダイアン・フォーチュンの定義では、「心に自在に変革を起こす技術」である。
言うまでもなく、それができれば、世界は意のままであり、世界に自在に変革を起こせるだろう。
そして、それは、恐ろしく難しいことだ。ただ、それが難しいのは、西洋的な合理思想の元で考えればの話だ。真理というのは、本当は子供でも分かることである。いや、子供のようでないと分からないのだ。
魔法という言い方に難があるのかもしれないが、私はそう呼ぶ。
今の時期、世間を超える威力を持たねばならないし、苦しい状況からの脱出の道を求めても見つからない人々を見るのも忍びない。
我、神秘を明かさんである。贅沢三昧はお奨めしないが、優雅であるのは良いことである。
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